2012年5月16日 (水)

LSDW〜ロー・スキル・ディーセント・ワークの模索〜

「高いスキルがあれば、所属や階層からの移動が可能である」と一般的に考えられている。

高スキルを獲得し、キャリア・アップすることは、自己実現だけに留まらず、今いる不満足な所属や階層の移動が可能になる。現在のサバイバル的雇用状況から言えば、移動というよりも「脱出」が可能という言葉の方がしっくりくるかもしれない。

低所得層からの脱出。生活保護からの脱出。この支配からの卒業。まあ、言い方はいろいろある。ロックという音楽は、この衝動で成り立っているとも言えなくないぐらいだ。最近読んだブログ記事で「尾崎は自由になれたのではなく、自由になれた気がしただけだ」というのをノマドワーカーに当てはめてて面白かった。いきなり脱線してしまった…。

移動可能性を持つためには専門性を獲得し、高スキルにならなくてはいけない。高スキルとまではいかなくても、何か秀でたスキル、もっと妥協的に言えば、部分的にでもいいから平均レベルのスキルを持てば、自分を取り巻く不満足な環境から抜け出すことができる。

だから頑張ろうよ。

相談機関などでよく言われることである。ただしこれは、同時にスキルを評価し、対価に変えていくという企業側の仕組みがなければならない。これがなし崩しになっているのが今の日本の劣悪化してしまった雇用状況である。月曜から金曜まで最低賃金で働いても生活がままならない労働ダンピングの現実は過酷である。

日々、相談を受けていると、高スキル=移動可能という考えはすでに破綻している、或いは破綻しかけているということを実感として感じている。

今から25年前、僕が18歳だった頃。時代的にはバブル前夜祭的な様相だろうか。世間では、「頭が良ければ大学へ、頭が悪ければ手に職を」。この至ってシンプルな方程式で、進路の悩みはほぼ解決していた。だからキャリア・カウンセラーなんていらなかった。

勉強がカラッキシできなかった僕に、父は手に職をつけた方がいいと、たぶんそんなに深く考えもしないで先の方程式に当てはめ、テレビの巨人戦を観ながらキリンの瓶ビールでも煽って言ったに違いない。

そんなこともあり、僕の通っていた札付きの悪たれ課題集中校に来ていた求人票には、何の魅力も感じられず、僕は美容師の専門学校に進学した(美容室に就職したけど1年経たづに辞め逃避行した)。

あれから、25年。書くのも面倒くさいほど日本は大きく変わった。

「高いスキルがあれば、所属や階層からの移動が可能である」

↑これ、25年前の発想とまったく同じじゃないか。

どんな技術も、海外でより安い労働力があれば簡単に仕事は流れ、コピーされ、便利なソフトやサービスが誕生すれば、高スキルはいっきに低スキルと化す。技術の最先端の波に乗り、サーフィンしていけるのは極一部の人たちで、そんな人たちが無人で何かを作るロボットを作り上げ、作業員を切り捨てるという、なんとも皮肉な社会である。

ヨーロッパの職業訓練が、所属や階層を移動可能な「職業スキル」を身につけさせることをコンセプトにしていると聞いたことがあるが、そうあるべきだと強く思った。いや、今でも思っている。だけど、今の日本で、高スキル=移動可能性に本当になるのか?

超業績主義という意味を持つ、本田由紀先生の「ハイパー・リメトクラシー」という造語がある。簡単に言えば、超優秀な人材しか生き残れない組織構造のことだ。日本企業のハイパー・リメトクラシー化に歯止めが利かず、人よりもちょっとぶきっちょで作業の飲み込みが遅かったり、コミュニケーションに難があるような人材は簡単に切り捨てられてしまうのがハイパー・リメトクラシー化から起きる現象だ。

組織に残れなかったり、入れ込めなかった若者たちが貧困状態に陥り、生活保護受給者となっている。この中には超高学歴の若者や、高スキルの資格を持った若者も多いと実感している。しかし、それが職と結びつかず、今の場所から移動不可能になり社会から孤立している。今後、若者の孤立死が増え社会問題になっていくだろう。

一定以下の賃金しかもらってなく不安定雇用の人は、すべて生活保障付きの職業訓練を受ける権利があるというような制度を導入することが考えられます。もしそれがあれば、低スキルの仕事に一生滞留する必要はなくなります。

上記の引用は、2008年の『生きづらさの臨界』湯浅誠、川添誠、本田由紀対談の中での、本田由紀先生の発言だ。

現在、国は生活給付金付きの職業訓練である「求職者支援訓練」を実施している。お金もかからず、逆に生活給付金として一定条件を満たせば毎月10万円が支給される仕組みだ。本田先生が提唱した仕組みが制度化されているわけだ。

しかし、現状の求職者支援訓練の実態を見てみると、滞留から抜け出すための仕組みになっているのだろうか?。言い換えれば、高スキルを身につければ、滞留せずに抜け出せる社会構造になっているのだろうか?。

シェアするココロでは、基金訓練時代から求職者支援訓練の講師をお引き受けしているが、実感値として、高スキルを身に付けても厳しそうな人は確実いるし、高スキルが身に付きそうにもない人も少なからずいる。これは求職者支援訓練に限らず、就労支援支援施設には、一定数、スキル付与型の支援ではどうにもならない層の方々がいるということが現実なのである。

(遅ればせながら今読んでいるので、なんとなく検証しているようになってしまって申し訳ないが)この本の中には、本田先生の言っていることを、すとんと飲み込めない湯浅さんと川添さんがいる。本田先生の言っていることは正しいと思うし、そうなるべきだと思うが、社会のリアリティはそんなもんじゃない、という拒絶反応だと思う。以下の川添さんの言葉がそれを表している。

「それが目指す方向性としてはイメージできるんだけど、そこに至るプロセスが見えにくい」

高スキルを持って移動した先に、私たちは何を見ているのか?

それが近頃よく聞く、人間らしい働きがいのある仕事という意味の「ディーセント・ワーク」である。その反対側にあるのが、「低スキルでは人間らしさを奪われた仕事しかすることができない」ということが設定されているわけだ。

だがもはや、高スキルでも人間らしさを奪われた仕事に就く確率が高いのが、過労死やメンタル問題で大勢が休職している今の日本社会ではないか。だからこそ、「ディーセント・ワーク」という拠り所的なキーワードが必要だったのだ。

前置きが、異常に長くなってしまったが、そこで「ロー・スキル・ディーセント・ワーク」(以下LSDW)というものが作れないのか?ということを、今後書きながら“模索”したいというのが本ブログの趣旨である。

はじめに申し上げておくと、「ロー・スキル」というだけで、ある種の見下しが存在し、いちいち言い訳の言葉を使うはめになるので、このネーミングは失敗していると思う。しかし、わかりやすく現実を捉え、未来へのコンセンサスを得ていく過程では、これほどわかりやすい言葉はないのではないかと思い、しばらくはこの言葉を使っていきたいと思う。

また「高スキル高収入ディーセント・ワーク」を否定するものでもない。もしも、このような方々のやりがいある仕事を底支えしているのが「ロー・スキル・ノット・ディーセント・ワーカー(LS"N"DW)←もういいっちゅうの」であるなら、ここは格差の是正を考えて欲しいだけである。

LSDWの僕のイメージを簡単に説明すると、「そんなに特別なことをしてるわけじゃないけど、10時にはお茶を飲みながら、空を見上げ季節の移ろいを感じてみたり、お昼を食べたら、ふっと昼寝してみたり、それなりに毎日決まったルーティン作業はこなし、給料はそんな高くないけど、子どももなんとか育てられて、なんか日々充実」みたいなことだ。

このイメージを読んで、それってそんな特別なことか?って思った世代の人たちっているはずなんじゃないかな?。LSDWこそが、製造業や農業が中心だった日本の原風景なのだ。恐らくIターンやUターンする人たちのイメージする世界はLSDWなんじゃないかと思う。そして、LSDWで生きている人たちはこの日本にはいる。それが意外と多いのか、絶滅危惧種的なのかは、今の僕は把握できていない。

製造業や農業のすべてをロー・スキルと言っているわけではないことは強調したい。こういうエクスキューズを必要とするあたり、やはりこのネーミングの失敗を感じつつ進める…(;´Д`)スミマセン

しかし、LSDWを要約し「特別なスキルがなくても人間らしくやりがいのある仕事をしながら生きていける社会」とすると、途端にハードルが上がって思考が停止しそうになる。現にこのブログは何度もこの辺りで思考が止まり、時間をおきながら書いている。

ちょっと前にスローライフとか、ロハスみたいな言葉が流行ったけど、あれって、そこそこの収入があった高所得層の人たち、即ち高スキル高収入の人々の嗜みだったというのが実態だったと思う。でもそれを低スキル定収入で、嗜みではなく「営み」として実現していく。

いや、そんな崇高な人間らしさを求める気は、実は僕にはない。ここからいっきに弱気になっていく…。すなわち模索が始まる部分であり、皆さんといっしょに考えてみたい事柄である。

「人間らしさってなんだ?」という問いに、
「友人や知人、恋人や家族との絆のある暮らし」と答えてみよう。

LSDWな生き方には断捨離が必要だ。それは何か?

何をして対価を得るのかの「何をして」の部分を断捨離するのがLSDWだと思う。もっと究極的には「何をしていても」DWな状態になることがLSDWの目指すところだと思う。そして手元に残って際立たせたいものは何か?それが「友人や知人、恋人や家族との絆のある暮らし」なのではないか、と個人的には考えている。いや、これを取り戻すための運動がLSDWなのかもしれない。

これをさくっとがっちゃんこさせると、「何をするかではなく誰とするか」という労働観へと到達する。これは僕がバイターンで目指している世界でもある。

このLSDWになるには、現在国も動き出している、正規雇用と非正雇用の格差是正と労働ダンピングの抑制。この辺を簡単に文字化しちゃうのなら「非正規でも子どもを養育していける社会の実現」か。

話が飛躍するが少子化問題の施策を、正規就労をしている夫婦だけにターゲッティングしてたんじゃ解決はあり得ないというのが日本の現状だと思われる。そのためにも、「非正規でも子どもを養育していける社会の実現」が必要だ。そのためにLSDW。

いろんな角度での突っ込みを感じるし、自分自身の歯切れの悪さがないわけじゃないが、このブログはLSDWの“ススメ”ではなく“模索”である。今回はやたら長くなってしまったので、この辺で一旦切り、また思索が進んだら書いてみたいと思う。是非、ご感想がいただければ幸いだ。

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2012年5月 3日 (木)

「田奈Pass」という顔の見える相談員の仕組み〜顔の見える相談員じゃなきゃ意味がない〜

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これはぴっかり図書館の一コマ。笑顔で金髪の生徒に話しかけるのは、「田奈Pass」等、外部の就労支援機関と積極的に繋がりを持つために尽力する金澤先生。以下の物語も金澤先生なしには、成し得なかったと思います。

僕は今、横浜パーソナル・サポート・サービス『生活・しごと・わかもの相談室』の出張相談員として、毎週水曜日の午後に神奈川県立田奈高等学校にお邪魔し「田奈Pass」という相談事業を実施しています。詳しくはこちらの記事をご覧ください。→青春相談室「田奈Pass」

去年の6月からはじまった相談事業ですが、僕自身のキャリアとしては、高等学校内の相談業務、しかも定期性を持つものは初めての体験です。そろそろ1年が経ちますので、振り返りながら、僕が今痛感している「顔の見える相談員じゃなきゃ意味がない」ということについて書いてみたいと思います。

地域若者サポートステーションの「中退者等へのアウトリーチ事業」等で、NPO法人の支援者たちが学校に接近している事例が出始めている中、僕自身は遅ればせながらという思いを持ちつつ、自分がやるからには「意味性の高いイノベーティブなもの」をやりたいという、またいつものようなスケベ根性を持って、この役をお引き受けしました。

まずはじめに思ったことは、生徒にとって僕のいる相談室を特別な場所にしてはいけない、という思いでした。

負のイメージとしては、相談室に行って石井さんに相談して来たら、と先生に促された生徒が「え〜」とドン引きしている姿。そして、相談室に入る前にキョロキョロっとして、入るところを友だちに見られないようにしている姿。もしもこうなったら、この事業は失敗だと考えました。また、そのような状況で、自分の存在価値=パフォーマンスを発揮できるとは思えませんでした。

「導入部分の失敗は致命傷」ということは、若者支援に限らず、様々な支援の現場、或いは人間関係の構築には付き物なわけですが、僕はとりわけ、高校生年代の若者及び、僕が対応してきた層の若者たちは、若かりし僕自身がそうだったように、この導入部分、とりわけ強制力には過敏です。自分の支援スタイルとして、この導入部の演出に対しては、強いポリシーというか、自分なりのスタンスがあるわけです。

父親がひきこもりの息子を僕の前に突き出す、みたいなシチュエーションなんかは最悪なわけですが、この力関係のバリエーションは腐るほどあるわけで。典型的なのは福祉事務所でのワーカーと生保受給者の関係とか。この力関係に、力のある側からではなく、フラットに入り込むところにけっこうな極意があるような気がします。

これを、アウェイである相談機関でどう担保していくかというのは、自分の支援者としてのパフォーマンスにとっては非常に重要なファクターなんですよね。環境整備まで出来てはじめて一人前の支援者じゃないかとか、偉そうなことも考えたりします。僕の周りのリスペクトする支援者はみんなこれができている方々ですね。

そういう意味で、導入部分を失敗しないためには、先生の口から「石井さん」という名前が出た時に、その表情とは関係なしに、生徒の頭の中に僕の顔と同時に“ポジティブな期待感”或いは"ちょっとした好奇心”が浮かぶことが、僕のパフォーマンスを最大限に発揮するためには重要なポイントになるわけです。ていうか、その時点で勝ちなんです。

ここでひとつ、大変重要なポイントを忘れていました。先生が生徒の相談ツールとして「田奈Pass」をポケットに入れておいてくれなければ、先生の口から「石井さん」は出て来ないということです。この辺の先生方への浸透度=信頼関係の構築は、担当の先生の努力及び、トップ(校長)を含めたしっかりとした体制がなければ出来なかったことだと思います。ここも随分時間をかけた点です。

しかし、「田奈Pass」のイノベーティブ性は、教師の口から「田奈Pass」や「石井さん」という言葉が出てこなくても、生徒が「田奈Pass」や「石井さん」に、図書館に行けば出会ってしまうという、先生のリファーよりも先に生徒に出会えてしまう仕組みがあったということです。担当の先生側からのプッシュと、僕ら側のからのプッシュが存在していたということです。

次に、そこに行くことが恥ずかしいことではなくなるという仕掛けが必要です。今回の「田奈Pass」が成功したのは、ここの仕掛けに"なんの用事がなくても居られる場所"である図書館を利用したことです(それを快諾してくれたイノベーティブな司書さんの存在が大きい!しかもロック好き!!)。信頼関係を構築しやすい図書館というオープンな場から、進路相談室というクローズな場を上手に使い分けていくことで、導入の課題を解決できているように思います。

そして、心がけていることはディープさの排除。「本当に困ったときには絶対私たちのところに来て」なんて、重たいことはぜったい言いません。本当に困った人が行く場所ではなく、音楽談義をしたり、恋愛相談にも乗っているという事実が、生徒にとって大きなカムフラージュになっているということも大きいのではないでしょうか。

もちろん、図書館の中に外部のおっちゃんが自然にいることへの試行錯誤はけっこう大変でした。何をしていても不自然な状態が続きましたから…(;´Д`)イバショガネエヨ。以下の11、12なんかは、司書さんのアドバイスもあり、やったことですが、ほんと良かったと思います。

そんな中、なんとか定着を果たせたのには、オフィシャルにアンオフィシャルに以下のようなことがあったからだと思います。第二第三の「田奈Pass」ができるために、ランダムにですがシェアしたいと思います。

1.全クラスに相談員2名のカジュアルなプロフィールを貼りだした(まるで使命手配写真のようw)。
2.教員の朝礼に出席し、先生方に顔を知ってもらう時間を作った。
3.教員を対象とした校内研修の講師を務めた(これは随分時間が経ってから)。
4.文化祭に出て歌ったw。
5.図書館が暇な時間は積極的に校内を歩いた。
6.担当教師や校長とよく飲んだ。
7.忘年会に出席した。
8.1年生の全クラス20分ずつ自己紹介と印象的なワークショップを実施した(24年度)。
9.毎週月曜に校内放送(ロック入門講座)を担当した(来週の月曜からスタート!)。
10.お昼ご飯を司書室に食べに来る生徒と一緒に食べてた。
11.本の貸出返却を覚え、(まるでバーテンダーのように)カウンター内で業務をした。
12.無闇に図書室で声かけ等はせずに、司書室でくつろぐようにした。

こんなところでしょうか。飲みニケーションは多かったなあ…w。これらの成果により信頼を獲得できたわけですが(できていない方がいるだろうことも踏まえつつ)、その信頼によりできるようになったことがあります。それが一番の収穫でしょう。さて、なんだと思いますか?

何もしてなくても大丈夫になったんですw。

これ、実はすごい大事なことなんですよ。一生懸命、先生方の視線を気にしながら仕事しちゃったら、生徒たちの信頼を損なうわけです。初期的にはこの状態でしたね。「石井さんがああ見えて仕事をしてる」と思わせてからは楽です(笑)。

僕ら外部相談員で、学校に入り込めてる支援者って、なんだかんだまだまだ極一部なわけです。1年やって今思っていることは、そんな僕らのミッションは何かということです。

僕らのミッションは3年間では終わらない。卒業後も引き続き支援を継続していく、教育と支援機関の橋渡しなんです。このブログで何度も書いているように、18歳で進路未決定で卒業して、支援機関に現れるのが27〜28歳。この「失われた10年」を取り戻すには本人的にも社会的にも負担がかかりすぎる。これを作らないというのは僕らのミッションだと考えています。

でもって、年が若いと、施設や機関の名前では行かないんですよね。信頼のおける知ってる人のところに彼らは行くんです。ハローワークにはそういう人が居ないから若い人は行かないわけです。

ですので、僕ら外部相談員は、顔を知ってもらってナンボだということなんです
。今、田奈高校を卒業した生徒数名と相談を継続していますが、恐らく『生活・しごと・わかもの相談室』を利用しているという意識は低いと思います。みんな僕という顔の知っている人に相談しているという感覚でしょう。それがなければ繋がらない、が、彼らの世代感なのです。

そして、相談できる人を僕という「点」から、わかもの相談室という「面」に増やしていく作業をする。この営みの繰り返しが、セ−フティネットという網があるとしたら、目を細かくしていき、捕捉率を上げていくことなんだと思います。

Today's BGM is
The Rolling Stones/Some Girls - Live In Texas '78
Trs_somegirls_live_cd大好きなストーンズのライブDVD「Let's Spend The Night Together」というのがあって、あれの2〜3年前の秘蔵ライブ。アリーナクラスのライブで、ストーンズ的には相当狭い箱。ニューアルバム『Some Girls』の曲も多く、メンバーは興奮状態の中で緊張感を保ち、なかなかのプレイをしている。個人的にはミックのアクションに今さらながら自然児的な魅力を感じたなあ。ストーンズ離れしている大人たちにオススメですよ。ちなみにこれもロッキン司書さんが貸してくれた一品w


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2012年4月26日 (木)

三年生の軽音部で、就活予定の生徒に継ぐ。

ピンポンパンポーン♪

三年の軽音部で、就職を希望している生徒に継ぐ。

もう時期、就活用の写真を学校で撮る予定です。

君たちの中には、髪型が奇抜だったり、

茶髪に金髪だったり、ピアスやメイクなど、

表現力豊かで、自己主張の強い生徒が多く、

校則に違反している生徒が多いわけですが…。

実は先生、そんな君たちを、誇りに思ってます。

君たちは、ヒカリ輝いています。

そして、そんな君たちは今、

髪を短く切り、黒く染めようかどうか、

悩んでいると思います。

社会への迎合だ!

つまらない大人になんか成りたくない!

その気持ち、先生、よ~く、わかります。

先生も、君たちの年の頃には、同じことを思っていました。

でも今日は、君たちに一言、言いたいことがあります。

それは、「ロックはファッションではなく、生き様だ」ということです。

君たちが、どんな髪型、髪色、ファッションをしていようが、

君たちが、心からロックを愛していれば、

ロックは、君たちのハートの中で転がり続けます。

それが、ロックンロールです。

かつて、偉大なギターヒーローであるジミ・ヘンドリクスはこんなことを言いました。

「ブルースを弾くのは簡単だ。しかし、ブルースを感じることは難しい」

先生は、この言葉をこんな風に受け止め、君たちに捧げたいと思います。

「髪を染めることは簡単だ。しかし、ロックを生き様にすることは難しい」

バンドはルックス、ファッションにこだわるのもいいです、

しかし、ファッションより、生き様を築きあげていくことに、

もっとこだわってみてください。

以上、全国高等学校軽音部顧問の石井でした。

ピンポンパンポーン♪

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2012年4月23日 (月)

ニートになる不安”大学生の半数超(NHK NEWS WEB より)

「QOUL|大学生の生活満足度調査~Quality Of University Life~シンポジウム」の模様をNHKが取材に来ていただき、ニュースとして放送して下さいました。

今の大学生の半数以上が卒業後に就職ができず「ニートの状態になることが不安」と考える一方、大学の就職課などを半数以上が「利用したことがない」と答えるなど、就職をめぐり、学生と大学の協力がうまくいっていないことを示すアンケート結果が明らかになりました。

この調査は、横浜市で若者の就労支援などを行っている団体が神奈川大学と協力して行ったもので、21日、横浜市内で開かれたシンポジウムで結果が報告されました。
それによりますと、アンケートは去年暮れからことし2月にかけて主に首都圏の大学生およそ2100人を対象に行われ、8割を超える1800人余りから回答を得ました。
この中で、大学生活は充実しているか聞くと、全体の75%が「充実している」と答えた一方、「卒業後の不安について」複数回答で聞くと、就職ができずニートの状態になることという回答が52%に上りました。
さらに大学にある就職課やキャリア支援センターを活用したことがあるか聞くと、「活用したことがない」という回答が55%に上り、学生と大学の協力がうまくいっていないことを示していました。
調査した若者の就労支援団体の石井正宏さんは「最近はコミュニケーションが苦手な若者もいるので、大学側から働きかける姿勢が求められる。もっと彼らの不安と向き合い、伴走する大人が必要ではないか」と話していました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120421/t10014618011000.html

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2012年4月22日 (日)

微弱なSOSをキャッチせよ!

「微弱なSOS」という言葉を聴いた時、とても切ない感じがした。たぶん、孤独死にまつわるニュースだったと思う。新聞受けの新聞が溜まるとか、公共料金の滞納等…。

微弱なSOS、それは言葉にならない助けを求める声である。

対人支援をしている経験では、このSOSは、目線であったり仕草であったり、言葉尻に隠れたりしている。そしてその発信は、無意識的であったり意識的だったりしているように思う。それをいかにキャッチできるか。このアンテナの感度が支援者のセンスである(あえてスキルとは書かない)。僕らは常にイマジネーションを研ぎ澄ましておく必要があり、キャッチしたSOSが身体のどこかに溜まるんだろう、これがなかなか消耗するのだ。

イメージがしづらい人のために、シチュエーションを書いてみよう。

支援機関で60分の相談が終わり、次回の予約を確認して出口で見送る。なんとなく、若者は来たときより笑顔が出て、ほぐれた印象がする。しかし、その笑顔の端に、微弱なSOSが現れていたりして、別れるタイミングがお互いつかめず、ぎこちない別れになる。なんてことがよくある。

僕 「大丈夫?」
若者「大丈夫です(へらっと笑った口元がちょっと引きつってる=(微弱なSOS)」
僕 「ほんと大丈夫?なんかあったら電話してきていいからさ」
若者「はい(微弱なSOSが消えている)」
僕 「次回までに俺もなんか考えておくよ」

若者が発信する微弱なSOSは、キャッチ(受信)されているという安心感、すなわち繋がりによって安らぎへと変わる。そしてキャッチした支援者は、次の一手を思案しはじめる。

「QOUL|大学生の生活満足度調査」で、大学生の相談相手の実に友人知人が89%で、大学教員・職員は僅か5%だった。

昨日のシンポジウムのパネルディスカッションで、僕が冒頭議論したかったことは、「大学教員及び職員は、大学生が発する微弱なSOSをキャッチできているのか?」という、支援の流れの最上流にあたる「発見」の部分についてだった。

微弱なSOSは、まだアクションにはなっていない無言のメッセージ。上記アンケート結果である「相談」はアクションである。言葉にして伝えられないことをソーシャル・スキルの低下という言葉で表すこともできるだろう。

だから、大学内でSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)をしっかり教えるべきだ、という意見がある。僕は賛成。一部の学生には絶対に必要なことだと思う。でも、それは『しっかり歯を磨きましょう』という予防的取り組み。それもしつつ、虫歯で痛がってる学生には治療が必要だ。大学にはすでに困難な状況に陥ってしまった学生がおり、大学生の孤立死の問題なども起きており、対処的支援が強く求められていると思う。

昨日、言葉に出きないことを「生命力のなさ」という言い方を大学関係者の方がされた。それに対して、私と同業の方が、「それは言葉にすることが出来る人の理論である」と反論していた。おっしゃるとおりだと思う。

こっち側に来て私のテーブルに座りなさい、ではなく、そっち側に自分が行って、一緒に地べたで体育座り。沈黙の時間も共有する。これが僕の伴走・寄り添い型の支援の在り方だ。そして、大学が相談室があるんだから相談室に行けではなく、相談室が大学生のところに行くべきだ。これが僕の考えだ。

大学は経営的課題を克服するために多様な学生を受け入れているのだから、もっと積極的に多様な課題を抱えた学生像にアウトリーチするべきである。

上記太字のアンケート結果を客観的に考えれば、大学生からすると、大学教員及び職員は微弱なSOSを発する対象にはなれていない、或いはキャッチできていないという結果だと言えるだろう。

しかし、友人たちとの関係に神経を使い、空気の読み合いしている大学生たちにとって、微弱なSOSほど友人には気づかれたくないものだろう。そう考えると、一番届いて欲しい身近な大人たち、つまり大学教員及び職員に、微弱なSOSをキャッチして欲しいに違いない。

しかし、果たして本当にキャッチできていないのか?

昨日のパネリストで、神奈川大学で非常勤講師を務める小川泰子さんは、授業をしていればそのSOSは感じるという。同じく小川さんの授業のゲスト講師をしたことのあるNPO法人ユースポート横濱の岩永さんは、感想文の中にそのSOSはあると言う(僕も同じ経験あり)。

当然のことながら、大学関係者には、微弱なSOSをキャッチできている人もいれば、いない人もいるということだ。

大学者たちのミッションは何か?

昨日、ディスカッションの終了間際。そういう議論も大事だが、日本の経済情勢がこんなんじゃ、学生のキャリア不安を解消できない、これは大学だけの問題ではなく、社会全体の問題なのだ、という発言があった。

このことに対して、NPO法人NEWVERRYの山本さんは「それこそが大学の役割である」と言い切った。大学は研究成果を地域社会に貢献しているのか。大学こそがその問題を解決する立役者にならなくてどうるすのか、という発言だった。

大学者たちのミッションは何か?

いま、このそもそも論を議論しなければならないのではないだろうか。大学に人を育て上げる仕組み(微弱なSOSをキャッチすることもそのひとつ)がなく、そのミッションが達成することができるのだろうか?

次回、微弱なSOSをキャッチした先の「誘導」について、書いてみたいと思う。

書きながら、僕の中にはひとつのメタファーがずっと浮かんでいる。微弱なSOS、それはまるで大学という果てしなく広い海に投げられた「メッセージ・イン・ア・ボトル」なのではないかと。そのボトルを拾うのは誰か?そこにはいったい何が書かれているのか?

Today's BGM is
Free/Highway [UK Bonus Tracks]
Free20highwayフリーは僕にとってはハマリ切れないバンドである。このアルバムも何気にかけてたらけっこういいじゃん、という感じ。ボーカルの声も好き、コゾフのギターだって。そして何より僕はベースが好き。でもなんか遠いんだよなあ〜。それは哀愁の度合いなんだよね。ちょっと僕には濃いw。例えばこのアルバムの人気曲「Be My Friend」。ダメだなあ〜。「Ride on a Pony」みたいなのばっかだとほんとかっちょいいのにな。

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2012年4月13日 (金)

透明な動画中継の不透明な現実〜Ustream中継は誰得?〜

来週の月曜日、政府主催の「雇用戦略会議ワーキング・グループ」で、横浜パーソナル・サポート・サービスの出張相談で行ってる神奈川県立田奈高等学校内の「田奈Pass」と、シェアコロが提案している「バイターン」が、いずれも先進的な事例という評価を受け、ワーキング・グループで紹介して欲しいというご依頼をいただいた。大変、光栄なことだ。

その後、内閣府から送られてきたメールに、「尚、当日の様子はUSTREAMで中継させていただきます」の文字。得体の知れない重い感じがのしかかり、それが嫌な緊張へと変わっていった。

Ust中継は誰得?

最近読了した、東浩紀の興味深い『一般意志2.0』では、すべての国の会議をニコニコ動画で中継し、受けてであるユーザーの言葉及びその反響をカテゴライズし、一般意志として、ゆるく政策決定に影響力を持たせるという思想が紹介されていた(アカデミックなこの本の一番アカデミックじゃない部分を抜粋してしまっています)。

僕は、非常にこの思想に共感していた。シェアするココロとはこういうことではないかと思うほどだった。ところが、今回自分がカメラを向けられる側になって、ちょっと待てよ、という感じになってきている。結論を言うと、中継されると言えないこと、出せないデータがあり、現場は不自由(不透明)な議論にならざる得ないだろうな、ということだ。

言えないこととしては、個人情報は当然なこととして、根拠性に乏しいことや、出典を思い出せないなど、言い直しが効かない中での冒険的な発言は相当難しいだろうと思う(音楽好きなら一発録りの緊張感に普通なら怖じ気づいて手癖のフレーズで済ますことを想像して欲しい)。

そして出せないデータについては、弊社もいまアンケート調査をしており、データの怖さのようなものを痛感しているところなのでデータの話をすると。出し方によってどうとでもデータは言えるっていうことと、まったく関係のない人たちを平気で傷つけるのがデータだということ。

データの検証の余地は(現時点での僕の感覚では)永遠続く。そのようなデータの一瞬を切り取られ、永遠、オンデマンドでリピートされるのは、発言者にとってあまりにもリスキーである。

それはおまえがカメラを向けられるのに慣れてないからだよ。すでにテレビの議論番組もあるし、国会中継だってデータ出してやりあってるじゃないか、という意見もあるだろう。

僕はそこにこそ問題があるんじゃないかと、今回改めて思った。それこそが劇場型の政治になる要因なのではないのか?議論の過程をエンターテイメント的に見せる意味がどこにあるのか?(ひょっとするとこれが日常化していく先に一般意志2.0があるのかもしれない)

話が逸れるようだが、昨日テレビでサッカーの神様ペレがこんなことを言っていた。要約すると、「自分たちの時代にはテレビ(プレイバック)がなく、人々の記憶に残ってもらうには、素晴らしいプレーを何度もしなければならなかった」ということを言っていた。

逆に言えば、今は一度でも素晴らしいプレーをしたら、世界中に何度でもその映像がリピートされ、Youtubeにアップされれば永遠観ることができ、英雄になれるということをペレは皮肉ってたわけだ。当選するために選挙期間だけいいことを言い、マニュアフェストを平気で反古にする。瞬間が良ければそれでいい。見えてるところはしっかりやり、見えてないところはどうでもいい。カメラのONとOFFが政治家のONとOFFになっていないのか?

今回、僕が出席させていただく「雇用戦略会議ワーキング・グループ」というのは、「雇用戦略対話」というすごい方々の下部組織(こちらもすごい方々)ということなので、「雇用戦略会議ワーキング・グループ」は完全じゃなくてもいいからクローズドなぶっちゃけトークを繰り広げ、それがしっかりとクローズドな議事録としして「雇用戦略対話」に繋がっていくことで、はじめて「雇用戦略対話」は意味をなすのではないか。

仮に、カメラを回すことをオープンと考えている方(特に官僚)がいるのであればそれは違うということが言いたい。今回、Ustreamがなければもっと言いたいことがあった、という委員はきっといただろう。その声を封じた「中継」は、罪なのではないか。そう考えると東浩紀の言う『一般意志2.0』は、難しいのではないかと思った。

Today's BGM is
Elton John/Goodbye Yellow Brick Road
51tm0gg9g0l_2エルトン熱が熱い。これは徐々にだ。最初のエルトン体験は、映画『ファンダンゴ』のオープニング。ジョンとのアレは正直どちらの個性もよくわからなかった。エルトンの魅力は一般的には恐らく美メロ。僕がはまってるのは狂気や錯綜だ。僕の中でそれは「Bennie And The Jets」と「Rocket Man」。なんだこの納まりの悪さと、解き放たれた美メロへの帰結は。天才だ!僕はそう思う。

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2012年4月 3日 (火)

ハマトリアム・カフェの委託事業終了のお知らせ

以下は、弊社発行のメルマガからの挨拶文と同文になります。メルマガの配信を希望される方は、mailmagazine@sharecoro.com に配信希望と書いてメールを下さい。

 株式会社シェアするココロ 代表取締役の石井です。
 いつも大変お世話になっております。

 新年度を迎え、配属先などが異動になった方々、
 又は、会社を辞め、自分の夢を追いはじめた方々、
 新しい場所での、これまで以上のご活躍を期待しております。

 弊社は、平成21年5月18日に設立し、
 今年は、3周年という節目の年になり、
 身が引き締まるような思いでいっぱいです。

 アルバイトをはじめた若者に、
「3日もてば1ヶ月、3ヶ月もてば1年、1年もてば3年」
 などという話しを、よくしますが、
 弊社もなんとか3年、皆さまのお陰で辿り着けそうです。
 今年は特に、年度末らしい慌ただしさを味わいました。
 これもひとえに皆さまの支えがあったからだと、
 今朝も、年度末処理に追われるオフィスを眺め、
 実感しています。

 さて、皆さまに事業終了のご報告が、一点あります。
 このメルマガでも毎回更新報告をしていました、
 横浜市こども青少年局から委託し、弊社が開発運営してきました、
 ハマトリアム・カフェの運営業務が、
 3月31日付けをもちまして、委託業務のすべてを終了致しました。
 残念ながら、今後は新たな運営法人をつけず、閉鎖するとのことです。

 新聞紙面でも若者の雇用問題が毎日のように取り上げられるほど、
 若者の失業問題は、事業開始当初より深刻さを増しており、
 ハマトリアム・カフェで私たちが目指してきた、

 「支援機関やカリキュラム及び、支援者たちを可視化することで、
     若者たちの不安要因を下げ、彼らの最初の一歩をアシストする」
 
 そんな、支援機関と若者をつなげる情報支援は、
 今後、更にニーズが高まると思います。

 第二、第三のハマトリアム・カフェのような情報支援サイトが、
 できることを願っています。
 また、そのようなサイト立ち上げの際には、
 是非、お気軽に声を掛けて下さい。
 ハマトリアム・カフェの運営を通して弊社が蓄積したノウハウのすべてを、
 シェアさせていただければと思っています。
 
 弊社と致しましても、
 ハマトリアム・カフェで学ばせていただいたノウハウを、
 次の情報支援事業に必ず活かし、私たちシェアコロのミッションである、
 「若者と保護者、教える人と支える人が笑顔で暮らせる社会創り」
 達成のために血肉化し、社会に還元していくことをお約束したいと思います。

 取材にご協力して下さった皆さま。
 運営にご協力頂きました皆さま。
 また、このような画期的でチャレンジングな事業を受け入れて頂いた、
 横浜市こども青少年局青少年育成課の皆さま。
 本当にありがとうございました。
 今後も引き続き、よろしくお願いいたします。

 [代表取締役 石井正宏]

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2012年3月29日 (木)

【告知】大学生よ、ロールモデルをぶっ壊し危機感をアクションへ!〜今、求められている大学内支援とは〜

多くの大学生と大学関係者の皆さまにご協力いただきました、厚生労働省の社会福祉推進事業「大学生の生活満足度調査」の結果報告とこれからの支援について考えるシンポジウムを下記の通り開催致します。

第一部は、結果の公表とアンケート実施担当者からの感想。そしてNPO法人NEWVERY理事長山本繁さんによるご講演をしていただきます。テーマは「学生はなぜ中退するのか―『中退白書』から2年経ち見えてきた課題とその処方箋」。私自身が学ばさせていただけることを心から楽しみにしています。

第二部は、パネルディスカッションを予定しています。パネルデョスカッションも、申し合わせたようなものではなく、「今、求められている大学内支援とは何か?」について、議論をしていきたいと思います。パネラーは以下の皆さんです。

NPO法人NEWVERY理事長 山本繁さんNPO法人ユースポート横濱理事長 岩永牧人さん社会福祉法人いきいき福祉会専務理事 小川泰子さん、神奈川大学卒業生 大堀竜哉さんです。

山本さんには、今回の事業開始に当たり、不躾にアドバイスを乞いに伺わせていただき、その後、ソーシャルメディア上で、お付き合いをさせておいただくようになりました。当日は、中退者問題や教育改革を切り口に、切れ味鋭いご意見を期待しています。

岩永さんには、ユースポート横濱が運営しているよこはま若者サポートステーションの利用者の最終学歴が第一位が、中卒でも高卒でもなく大卒である点。その彼らが過ごしていた大学時代、そして卒後の軌跡を語ることで、今大学が取り組むべき課題と施策が見えて来ると考えてのご依頼です。

そして特別養護老人ホームの施設長も勤める小川さん(弊社スタッフのリスペクト率が超高い!)には、社会保障や人生、支え合いや社会的包摂という大きなテーマから見た、若年者支援という一歩引いた立場と、小川さんご自身が神奈川大学で授業を持っている実感値から、語ってもらいたいと期待しています。

そして、もう一人。神奈川大学卒業生の大堀さん。大堀さんには、等身大の若者から見た大学という社会的機能について、ご自身の体験から感じていることを、大学生の代表としてではなく、率直にお話してもらい、この議論全体をどのような温度感を持って大学生が受け止めるのか?そんな話ができればと司会者として考えています。

最後に、私自身、ひきこもりやニートの予防的支援を標榜し会社を立ち上げたわけですが、高等学校との縁が強く、あまり大学のことを知りません。しかし、大学の進学率や、サポステ利用者の実態を考えれば、大学及び大学生支援というのは、シェアコロのミッションであると考えていますので、ご参加いただく皆さまとともに学び、考え、次の具体的な一手の形が見えるところまで、話し合いたいと考えています。

最後に、大学生よ、ロールモデルをぶっ壊し危機感をアクションへ!というキャッチを冠してますが、ロールモデルを追っていたのでは、もはや危機感しか生まれないのではないかという思いが僕にはあり、このイベントで課題解決策を模索しつつ、新しい生き方についても思いを馳せれればと考えました。また、大学生自身が起業し、自分たちの課題を解決していく事業を考え、大学内起業とか、そういう発想を持ってみてもいいのでは、と思いこのキャッチにしました。

是非、ご都合が合いましたら、足をお運びいただき下さい。

Qoul_symposiumflyer1
Facebookにイベント告知をさせていただいております。
http://www.facebook.com/events/339969119389057/

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パッション馬鹿と情熱クレバーが社会を変える〜イノベーションを生む人たち〜

バイターンを進めてると、いろいろな課題が見えてきます。課題が明確になればなるほど、僕が他人事のようにおかしく感じてるのは、イノベーションという美味いスープの仕込み方のヒントが見えることですw。バイターン協議体の皆さますみません(;´Д`)

今回のブログは手前味噌になりそうですが、僕自身が気づいていなかった、実感としての大きな気づきなので、あえて書いてみたいと思います。

そのイノベーションという名のスープのレシピに欠かせないのは、無知と情熱と知性。僕はこれをパッション馬鹿(無知と情熱)と、情熱クレバー(知性と情熱)と、今朝名付けました。

パッション馬鹿がイノベーションというスープに不可欠な理由は、無知ゆえにシミュレーションが精緻にできないということ。しかし、無知ゆえに無邪気なほど、そのゴールをクリアに思い描くとこができる。ここがパッション馬鹿の大きなアドバンテージです。

僕には、バイターンに今降りかかってきてる問題が正直見えてませんでした(この問題はいつか話したいと思います)。今の問題がもしも見えてたら、多分僕はバイターンの仕組みを考えなかっただろうし、考えても諦めてただろうなと思うんです。

無知というのは、発想の根本がルールや慣習、法律の外側にあるということです。今、十分に機能しているものの追加機能を考えるのではなく、今、にっちもさっちも機能していないものに変わる新しい仕組みを考える時、その機能が生まれたルールや慣習、法律の中で考えてたら、イノベーティブな事業は生まれないでしょう。

そして、今のルールの中で動いてる人たちにしてみれば、そのカウンター・カルチャーはあまりにも強烈で、これまでの自分の常識ややり方が通用しなくなるという恐怖を与えてしまうし、時にはビジネスモデルが成り立たなくなることさえある。これが破壊的イノベーションというものです。

この恐怖や不安や、或いは面倒やメンツが、イノベーティブな事業の障壁になります。これをぶっ壊すのが、ボトムアップという民意なのか、トップダウンという政治力なのか?はたまた両方なのか?僕にはまだわかりません。この辺は、両方に携わってきた湯浅誠さんに、いつか聞いてみたいなあ、と思っているところです。

さて、もうひとつの重要な要素。それは、必ず美味いスープに仕立てて、子どもたちにご馳走してやるんだ!という情熱。あ、スープのメタファーは終わってませんのでw。

この時の子どもたちの笑顔を事業の「答え」としましょう。としちゃえるのもパッション馬鹿のなせる技というも気もしますw。

パッション馬鹿にも、ただの馬鹿にも、情熱クレバーも、ギークもスーツもデザイン型も、きっと、その答えが笑顔だということはわかると思うんです。

でも、その答えを導く過程で、知り過ぎていると萎える要素が増えるんです。学習性無力感というものがあります。これはあまりにも成功しない状態が長く続くと、人はやる気や自信を失う、という当たり前のことなのですが、負の情報を知り過ぎてると、自然に思考がそれを避け、萎えるというわけです。

恐らく見え過ぎてる人たちは、美味いスープを作って子どもたちにご馳走し、笑顔になってもらう、というミッションの手前で妥協点を作ったりしてしまいます。

このブログで書いてる「先付けの人」と「後付けの人」にも通じますね。

パッション馬鹿は、先に意味や理屈や手法や手段を吟味し、納得しないと先に進めないが、その過程で疲弊し先に進めない、いわば石橋を叩いてたらへばってしまう「先付けの人」とは違い、無知ゆえに答えに突っ走る、典型的な「後付けの人」なのです。

こういう人は後から「あっぶなかったねえ〜」と、目を輝かせます。ちなみに僕の座右の銘は「見る前に跳べ」です。笑ってしまいますねw。

次に重要なポジションを担うのは情熱クレバー。

情熱クレバーは、パッション馬鹿と違い、精緻なシミュレーションが可能です。パッション馬鹿の言ってることが、魅力的ではあっても、当然、リスクや無茶が読めます。

しかし、パッション馬鹿が描き出した子どものたちの笑顔。どう考えてもそのスープ作りには、危険が伴うが、そのレシピを見たら美味いに違いないという確信、それが笑顔とつながり、情熱を帯び、障壁に立ち向かうモチベーションを生み、自家発電がはじまります。

頭のいいだけの、ただのクレバーは、ここで揚げ足を取ってしたり顔をするのでしょうが、情熱クレバーたちは違います。揚げ足を取ったところで満たされるのは、自己顕示欲だけ。社会は1ミリも動きません。彼らは障壁を取り除くことに動き出し、社会を1ミリでも良い方向に押そうとします。

今僕は、ちょうどここを体験している最中なんです。

最後に、パッション馬鹿の話に戻します。パッション馬鹿は馬鹿じゃないんですw。そこのルールや慣習、法律を知らなかっただけです。何が言いたいかというと、イノベーションを起こすには、外側の
異質な人間が必要だということです。一度身に染みてしまったルールや慣習からは、技術的に脱することは不可能です。

僕は今回、学校という文化の外側の人間だった。パッション馬鹿だった。バイターンはそれが始まりだったんだと、昨日気付きました。

終わりに、全く関係のない東浩紀の『一般意志2.0』からの引用で締めくくります。

情報量の減少、あるいは「複雑性の縮滅」は、現代社会の成り立ちを考える上で鍵となる概念のひとつである。私たちはしばしば、サービスにしろコンテンツにしろ、情報量が多く、選択肢が増えれば増えるほど価値が高まると考えてしまう。しかし、実際は、現代人は複雑なものにはお金を払わない。むしろ複雑さを減らしてくれるものにこそ、お金を払うのだ。したがって、いまの政治の再生、さらにはコミュニケーションの再生を構想すのであれば、そこで必要なものは、まず世界の複雑さを「縮滅」し、催事的なコミュニケーションを可能にする制度設計の技術ということになる

パッション馬鹿の夜明けを宣言しているようだwwww。

Today's BGM is
Bob Marley/Dreams Of Freedom: Ambient Translations Of Bob Marley In Dub
Albumdreamsoffreedomambienttranslaボブ・マーリーのアルバムをビル・ラズウェルがダブミックスしたアルバム。ダブにもいろいろとあるんだけど、僕の中ではアーティストを単なる素材としてしか見てないタイプと、その世界観やクリエイティビティへのリスペクトを持っているタイプ、リミックスにも言える思うけど、ビル・ラズウェルは完全に後者。どうシリーズでマイルスのもあるんだけど、ファン目線だから、ファンも納得のダブアルバムに仕上がってる。アンビエントな感じが最高だ。

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2012年3月14日 (水)

NPO法人侍学園スクオーラ・今人|前夜祭_

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