2012年12月16日 (日)

ブログを引越しましたm(__)m

長い間、こちらに書いてきたブログですが、
使用が変わったりして書きにくくなったのと、
なんとなく違うスタイルで書いてみたいという思いがあり、
以下にお引越しを致しました。
よろしければ、こちらにも遊びに来て下さいね。

http://sharecoro.blog.fc2.com/

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2012年11月 8日 (木)

【告知】保護者の支援リテラシーを上げる「保護者のためのはじめの一歩」セミナー開催致します。

保護者セミナーを開催致します。これまで一時間半の中に詰め込んできた情報を、わかりやすく二回に分け、じっくりお話をさせていただきたいと思います。NPO法人の新人教育としての参加や、教育関係者の方々にも有益な情報になっていますので、是非、ご参加をご検討下さい。

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2012年11月 4日 (日)

学校図書館を市民図書館に!生徒の自己肯定感を育む文化的シャワーは本+市民 and more!

子どもたちの学力を支えているのは学習資本だといわれています。この学習資本を持つか持たざるかが教育格差となり、ひいては経済格差になるという、貧困の連鎖の根っこになるわけです。

その学習資本には、どのような学校を選択し、塾に行けるか行けないかという教育環境に影響を与える「経済的資本」と、どのようなテレビを観て、どのような本を読むのかなど、心や感情に影響を与える「文化的資本」があるといわれています。

僕個人は、経済的資本に恵まれた家庭には育っていませんし、文化的だったかも怪しい気がします。もっといえば親が離婚したり再婚したりで転校続きだったりと、割りと劣悪な思春期を育って来ました(苦笑)。にも関わらず、僕はなんとかすくすくと育ってきました。若者支援に関わるようになり、これがどうしたことか、ずっと謎でしたが、この「文化的資本」というもので、なんとなく謎が溶けたような気がしています。

ちなみに、僕の子育てのモットーは、支援や教育と同じく「自己肯定感」の育みです。自己肯定感の芽はどうやって育まれるのか?

これは、「ポジティブな言葉のシャワー」と「文化的シャワー」です。水やりをするように挨拶をしたり励ましたり、絵本を読んであげたり家に置いておき、おもいっきり主観的ですが、良質な音楽をシャワーを浴びるように聴く。これでいい子が育たなければおかしいんじゃないかとさえ、僕は思っていますw。

そこで、僕がこのエントリーで何が言いたいかというと、文化的資本を、学校はもっと子どもたちに提供するべきだと思う。ということです。これ、言葉を変えると、「この国はもっと教育にお金を使うべきである」ということですし、「子どもたちにもっと社会的投資をするべきである」ということですが、ただ、今回ここで提案したいことは、お金をかけずにいかに子どもたちに文化的シャワーを浴びせてあげれるかという提案です。まずはこの根拠の基になる学校図書館法の第2条-2を紹介します。

「学校図書館は、その目的を達成するのに支障のない限度において、一般公衆に利用させることができる」

これは、図書室に普通に町の人がいて本を読んだり、借りていくことができる。そして貸し出しをする図書委員の生徒と町の人が「おじさんこんなの読むんだ、面白いんですか?」とか、返却時に「これ面白かったよ、お姉さんも読んでみたら?」なんていう交流が実現可能だということです。

なんかこの光景はどこかで見たことある光景なわけです。そう、僕が横浜パーソナル・サポート・サービスの相談員として行なってる、県立高校の図書館を利用した「田奈Pass」という交流型の相談です。そして僕は、このスタイルの効果性の高さを実感していて、なんとか汎用モデルを作れないのかなと、ずっと考えているわけですが、このモデルだと正直お金がかかる。そこで学校図書館を市民図書館化するアイデアなわけです。

図書館という場所がどういう場所か?

先生たちは、生徒からすると質問をすれば答えてくれる「答えを持った大人たち」です。白黒をはっきりとジャッジする人という役割もあるでしょう。その点、図書室ってグレーゾーンなんですよね。答えがどこにあるかわからないし、司書さんたちは指導的ではない(制度的にはしてはいけないんです)。

そして、今回の話のポイントになる町の大人たちも「正解を持って生きているわけじゃない」んですよね。これ、実は先生たちだって本当はそうなんだけど、正解を職業的に背負わされるんですよね。正解が理路整然と並んでいる場所に文化は生まれないんです。正解と不正解、悪と正義が入り混じるところに文化は生まれるわけです。

学校の中で文化を起こすとしたらどこか?それは図書館なんです。学校図書室こそが、生徒に文化的シャワーを浴びせる、もっとも適した場所であり、司書教諭のスキルや専門性の最大化を図りつつ、そこに町の面白おじさんや世話焼きおばさんが加わることで、図書室は最強のコミュニティサロンとなり、もはや総合的な学習の時間は不要になる、というのが僕の提案なんです。

まず、図書館は高校でも大学でも居場所化しています。その理由は、目的なく居てもおかしくない唯一の場所だから。自然、居場所のない、或いは居場所(かまってくれる人がいる場所)を探してる生徒が集まります。

図書館は話題の宝庫です。ネタに困らない!しかし、もっと重要なのは、ネタに困っても困らないのが図書館なのです。困ったら本に目を落とせば通常形態に戻れますw。

ただ、誰でもいいってわけではないでしょう。生徒とハレーションを起こす町には人物も多いでしょう(でも、本当はこういう時こそが教育機会なんですよね)。なので、ここ小学校なら図書ボランティアの方々にまず開放して居てもらう。中学、高校ならPTAさんたちがいいでしょう。

ポイントは、専門スキルを発揮するのではなく、“居てくれてればいい”ということ。司書さんと主婦トークでもして、今晩のおかずについて話してみましょう。子どもたちは案外耳をダンボにして聞いてて、「私もそれ好き!」なんて言って会話に加わって来るでしょう。

(町人)「◯◯って△△にすると美味しいよね〜」

(生徒)「え!?なにそれ〜知らなかった〜、家でやってみる〜」

これが十分、僕的には文化的シャワーです。

こんな会話からその子の食事の摂取状況や「そんなことも知らないの?」という文化レベルが見えて来るはずです。そして、お母さん目線だろうが、お父さん目線だろうが、安心できる子と、心配になる子が出てくるでしょう。その心配を先生と共有するだけで、このプロジェクトは成功と言えるでしょう。

是非、学校図書館を市民図書館化することで文化的資本力を上げ、同時にコミュニティサロン化することで、学校がコミュニティに中核を担い、子どもたちの就労・就学のサポートを勉強を教えるのではなく、文化的シャワーを浴びせることでしてみませんか?

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2012年11月 3日 (土)

俺が会社を始めた理由

Chapter.4 魂を転がせ!最終章

いい加減今日でこの話は終わりにするぜ。さて諸君、その前に何をすればいいか、もうわかってるよな? そうだ、その通り。YoutubeでMusuic Start だよ、ガハハハ。今日は俺の好きな、シェアするココロの社名の由来にもなっているグレイトフル・デッドの曲を聴きながら読んでくれ。さて、俺が会社を始めた理由を話そう。

俺はNPO法人で本当にいろいろな仕事をさせてもらっていた。全国でセミナーや講演なんかも、指名してもらえるようになっていた。そして、そこで出会う、日本中の支援者が同じような想いや悩みを抱えながら、若者たちを支援していることを知った。

ネットワークという言葉がもてはやされていた時代だし、俺も本当に必要だと思っていたよ。そして俺には、全国の支援者と語り合い、そのネットワークが広がっている手応えもあった。ひとつの団体でできることなんて限られてる、みんなで力を合わせないとな。俺が会社の名前を「シェアするココロ」としたのもそういう想いなんだ。

ある日、調子に乗ってた俺にボスがこんなことを言って釘を刺したんだ。「お前に仕事が来てんじゃないからな、うちの看板に仕事が来てんだ、勘違いするんじゃないぞ」ってさ。まあ、どこかで聞いたことあるような、生意気な部下に上司がよくいう常套句さ、ガハハハ。しかし、俺はその言葉を真に受けて、その通りだと思ってしまった。そしてこの言葉は俺に恐怖心としてずっと残ったんだ。

俺が辞めたら誰も俺を相手にしてくれなくなる。そう思うと本当に怖くなったんだ。想像してみてくれよ、夜の街に出て馴染みのパブに入って仲間を見つけて声を掛けても、みんなが俺を無視する…。ぞっとするよな。俺はストーンズのキース・リチャーズなんだぜ!おっと、俺はキースじゃなかった、キース風の俺だった、ガハハハ。

この一件以来、俺が仕事を辞めることで一番不安になったのは、給料がなくなるとか生活だとか、そんなことではなく、この10年で築き上げたネットワークが崩れ去り、誰にも相手にされなくなることになった。

俺はネットワークは大切だと思ってたから、どんな仕事も引き受けるべきだと思ってたし、多少、相手に不安があっても、自分がそこに行けば何かが起きるという自分自身に対する期待感もあった。しかし、いわゆる大人の事情ってヤツで、俺に来た仕事がすべて仕事になるといことでもなかったんだよ。

そうこうしているうちに、としか言いようがないんだが、この看板がなくなったら、もっといろいろな人とつながれる、つながって来てくれる人がいるんじゃないかと考えられるようになっていったんだ。そして、俺には俺をを支えてくれる仲間も出来た。俺は仲間たちと毎週末に集まって、起業のプランを練っていた。これまたそうこうしているうちになんだが、いつの間にか恐怖心は消えていたんだ。そして俺は辞めると言った。

繰り返しになるが「シェアするココロ」っていうネーミングは、日本中の支援者たちと、喜びや悲しみ、ノウハウやスキル、ありとあらゆるものをシェアして、共に成長することで、ひとりでも多くの若者が自立することを願ってつけた社名だ。そんな名前を付けたのには、ココロがつながっていない現実への不満と、それをつなげたいという想いがあったからなんだよ。

そして俺は2009年の3月31日に、10年務めたNPO法人をひっそりと辞め、5月18日に株式会社シェアするココロを設立したんだ。ピンと来てるヤツもいるだろうが、2009年といえばリーマンショックの起きた後の最悪の年さ。なんでこんな最悪のタイミングで俺は仕事を辞め会社を立ち上げたと思う?

辞める、起業するって随分前から言っちまってたから、引くに引けなくなってしまったんだよ、ガハハハ…笑えるだろ?。結婚式の日に無職だったことや、訪問販売の時もそうだが、俺が何かをやろうと思うと、なんの因果か出鼻をくじく出来事が起こるんだ。今度のは世界的金融危機だぜ。まあ、俺はもともとカネとは縁がないから関係ないんだがな、ガハハハ。おい、笑い過ぎだぞ。

さすがの俺も心細かったよ。とりあえず俺は立川のパソナに行って派遣登録することにした。バイトしながらでも自分の考えてたことをやろうと思ってたんだ。しかし、すぐに横浜市と「ハマトリアム・カフェ」をやることになったから、結局パソナの世話にはならなかったんだけど、そのパソナが今のバイターンの事業パートナーなんだぜ、ガハハハ。ほんと、人生とは何が起るかわからんよなあ。

ではまたな、いつかどこかで会おうぜ!ガハハハ…。

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ガハハのブログあとがき

僕がこのシリーズを書き始めたきっかけは、このシリーズの最初のブログ「俺がこの仕事をはじめた理由」の冒頭に書いた通りです。書きながら、不意にキースの自伝を思い出し、キースの口ぶりを真似て書いてみることを思いつきました。

これが当たって、書いていてもとても楽しい作業になりましたし、読んでくれた皆さんも、楽しんでくれているようです。ただ、これを僕のキャラだと勘違いされていらっしゃる方もいるようなので、ここで、これが“そういう遊び”だったということをお伝えしておきます。しかし、この文体、なんとも大胆になれるし、これだから許されるような許容範囲が拡大される自由さが気持ち良く、また、こんな風に書くことがあるかもしれません。

ある日、突然「よお、元気にしてたかい?また、あの頃の話を聞かせてやるよ、ガハハハ」と現れるかもしれません。では、また、その時まで。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

株式会社シェアするココロ
石井正宏

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2012年10月27日 (土)

俺が会社を始めた理由

Chapter.3遥かなる旅路へ

さてと、この間はどこまで喋ったかな…?思いだすまでの間、いつものように一番下のYoutubeで音楽でも聴いててくれよ。

そうだ、御茶ノ水の酔いどれ女神に「人生は一回しかない」って言われたとこまでだったな。あれは、ほんと在り来りの言葉なのに、雷が落ちたみたいだったよ。体が痺れたままホテルに戻り、そこで思いついたのが「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」のリフさ!ガハハハ…、冗談だよ、俺はキース風に喋ってるだけで、本物のキース・リチャーズじゃないんだぜ、ガハハハ!

あの頃、仕事ではじめて高校に行ってワークショップをやるという企画があったんだ。学校嫌いで、先生の悪口をラップしてた俺が教壇に立ったんだぜ、笑える話だけど、本当に緊張したよ。

あれがはじめて高校生たちに出会った仕事だった。そこは定時制高校で、いろんな歳のなんとなく斜に構えたような若僧がたくさんいたよ。だが、一番斜に構えてたのは誰だと思う?

生徒じゃなくて先生の方さ。腕組して俺たちを腕前拝見とばかりに見てる。ありゃあ、やりにくかったなんてもんじゃなかった。さすがの俺も冷や汗もんだったよ。事前にネタを説明したら、平仮名だらけのテキストを見て、「うちの生徒は頭が悪いからこれは難しすぎる」って言われたんだ。だけど、生徒たちは俺たちのやるワークに目を輝かせて食いついてた。

俺は思ったね、若者の可能性の芽を摘んでるのはこういう教師だって。「ピグマリオン効果」 ってというのを知ってるか?生徒の成績が悪いのは、教師が「こいつは馬鹿だから教えてもわからない」って予測してることが影響しているってことを証明した実験だよ。俺はその時、そんな知識はなかったけど、おんなじ仮説を持ったね。

こいつらには、こいつらの可能性を信じてる大人たちが必要だって。

俺がその大人にならなきゃって思ったよ。俺がやるべき仕事は、こいつらを一人前に育てて、いっぱしの仕事に就け、ニートや引きこもりにさせないことなんじゃないかって思ったんだ。

あの頃、俺はもう勤続8年だか9年のNPO法人にしてはベテランで。毎日が繰り返しのモグラ叩きみたいに思えて、少しうんざりしてたのかもしれないな。誰かを元気にして社会に出すと、翌週にはまた新しく自尊心を失った若者が頭を垂れて入寮してくる…。

これはこれでとても重要な仕事だけど、俺がやるべきことは、やっぱりあの高校生たちに現実を知ってもらい、こんな時代の生き抜き方を、こいつらと一緒に考えていくことなんじゃないかって、そう思うようになっていった。

いいか、ここ大事なところだぞ。答えを教えるんじゃないんだ、一緒に考えるんだ。教師たちはみんな答えを持ってる。俺たちは答えを持ってない。俺たちだってどうしたらいいかわからない中で、より良いだろうと思う方向に歩いてるだけなんだ。

たまにこんなやつが俺のところに来るんだ、「答えを教えてくれ」って。勘弁してくれよってんだよ、俺だってどうしていいかわかんないんまんま気がついたら子供が三人いるんだぜ、ガハハハ。でも生きてる。なんでだと思う?そんなことを高校生たちと話しながら、一緒に歩いていたね。

意外なことに、例の腕組み教師たちの定時制高校から、もう一度あのワークショプをやってほしいって依頼が入った。それが俺の自信にもなり、予防支援というキーワードを本格的に考えるようになっていったんだ。

おっと、余計な話をしてる間にまた時間が来ちまった。いつまで続くんだよこの話は。真面目な話も書かないと俺の信用が丸潰れだから、次回辺りで完結させたいな。だけど、まあいいか。人生は気が遠くなるほどに長そうだ。時間は俺たちの味方さ(Time is on my side)。

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2012年10月 8日 (月)

俺が会社を始めた理由

Chapter.2 「ゴスペル・ハイウェイを行く」

ガハハハ!前回のエントリーを見てない連中は、俺が気でも狂ったんだろうと思ってドン引きしてることだろうな、ガハハハ!まずは、これを読んでくれよ、話はそれからだ。

『俺がこの仕事を始めた理由』

さて、その間にいつものように、一番下にスクロールしてこの物語にぴったりな音楽でもかけてくれよ。

あれから10年、本当にあっという間に月日は流れた。俺は、いいことも、嫌なことも、本当にいろんなことを経験させてもらったし、覚えきれない人に出会った。良かったことは、全てのことを責任者として、自分で考えて行動した10年だったってことだ。右も左も分からない、エクセルも開いたことのない男だった俺は、この10年で大きく成長した。ちなみに、この間にまた1人、かわいい娘が産まれたんだぜ、ガハハハ!。

ゴスペル・ハイウェイって言葉を聞いたことがあるか?

サム・クックやレイ・チャールズなんかのレジェンドたちも、若い頃はドサ回りをしてたわけさ。50年代のまだ道路が整備されていない時代は、どさ回りするルートが限られてて、みんな同じコースを辿ってたんだ。その道がゴスペル・ハイウェイさ。

各地の教会でやつらはオーディエンスの湧かせ方、女の口説き方なんかを学んでいったわけさ。いわばゴスペル・ハイウェイは音楽修行の道ってわけだ。俺にとってのNPO法人での10年間はまさにゴスペル・ハイウェイだった。

若者たちとの距離の詰め方や、信頼関係の構築、ケンカの仲裁方法、リストカットした後の処置…。ありとあらゆる経験をあそこで俺はしたんだ。しなくてもいい経験もいっぱいしたけどな…。いいか、覚えておいてくれよ、無駄な経験なんて何もないんだ。俺はいつもそう思ってるし、引きこもってた若者たちにもずっとそれを伝えてきた。だから、あれはするべき経験だったんだろうなって思って感謝してる。

俺みたいな“人”を相手にする商売は、いわゆる正解のない仕事なんだ。正解のない仕事をしていて辛いことは、わからなくなった時に調べる辞書がないってことさ。俺たちスタッフは、わからなくなるとよく飲みに行ったよ。知った口を聞くヤツにはとことん噛み付いて、なんでそんなことが言えるのかって。まあ、大人気ない話だけど、とにかく真剣だったってことさ。なんせ何十人もの未来ある若者たちの人生を背負っているんだからな。

正解のない仕事とはいえ、何年もやってれば、たとえそれが勘違いだったとしても、この仕事の神髄みたいなものを感じるようになるんだ。それがスタッフとしての成長だし、人としての成長なんだと思う。これが対人業務に就く人間の醍醐味なんじゃないか?

ただし、その神髄は社長の言った一言で決まるようなもんじゃない。スタッフそれぞれが経験の中の痛みや喜びから築き上げるような、言ってみりゃあ世界にたった一つの血と涙のバイブルみたいなものなんだよ。そこに書かれた言葉が同じならスタッフ同士の絆になる。しかし、違うことが書いてあったらどうなると思う?

そうさ、バイブルが完成に近づくと段々と気持が食い違ってバラバラになっていく。そしてそんな奴が1人消え、2人消えしてくんだ。俺はゆっくりと時間をかけてバラバラになった1人なのかもしれないな。

俺は、入った当初からよくボスとぶつかってた。いろんなモア・ベターになる提案をし続けてきた。でも、大抵は経営って壁に押し潰される。もっと直截的にいえばカネだよ。今、俺も経営者だから、あの頃の俺を青臭いガキだったと思う。

俺は酒の席では必ずボスの傍に陣取った。いつも言いたいことが山ほど俺の中には溜まってるんだ。ボスもさぞかし俺には手を焼いただろうな。なんせ、俺が言い出すことはカネのかかることか、或はカネを失うことばかりで、そのすべてが正論だったからな、ガハハハ…。

でもボスは「酒中別人」といって、翌日にはキレイさっぱりだった。そして俺が言ったことが翌日には採用されてることもあったよ。俺が10年やれたのは、今改めて考えてみると、これだと思うな。まあ、甘えてたんだと思うし、ボスも甘えさせてくれてたんだろうな。

常にボスに物言うタイミングを見計らってたということは、常にアウトプットを俺は持っていたってことなんだよな。なんて言えばボスに響くか、納得してくれるか。だからインプットであるスタッフの言葉や、利用者の声にずっと耳を澄ましてたよ。

だけど、湧き出るものよりも吐き出せるものの方が少ない状態にどんどんなっていった。これは単純に委託事業の仕様書や予算の関係さ。俺はすべての委託事業の責任者か、或いはそれに近いことをしてた。そんな苛立ちの中で、ある日俺は御茶ノ水の居酒屋で、酔っぱらって真っ赤な顔した女神に天啓を受けたのさ。

「人生はたった一度しかない。私は後悔するような生き方をしたくない」

下手なロックバンドの若造が声を枯らして歌いそうな陳腐な言葉さ。でも、俺の体中に電流が流れたような気がしたほど、その言葉は俺を打ちのめした。そんな生き方をしてきたはずだったのに、なんで俺は酔っ払って組織への愚痴を吐いてるんだ?

俺はこのままじゃ人生を後悔するなって確信したんだ。

でもすぐに辞めるなんて言えなかったし、何をすればいいのかわからなかった。俺は今まで起業なんてことをこれっぽっちも考えたことがなかった。だから、何かがしたいというより、このままじゃダメだと思っただけだった。だから会社を作るまでに、この夜から2年もかかったんだぜ。準備はちゃんとしとくもんだよな。

つづきはまた今度、ゆっくり時間のある時に話すよ。

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2012年10月 4日 (木)

俺がこの仕事を始めた理由

Chapter.1 「Blues=不確実性に身を委ねて」

僕のお話を聞いて下さった方々は、皆さん「どうしてこの人はこの仕事をはじめたんだろう?」という疑問を思い浮かべるらしく、「石井さんは、どうしてこの仕事を始めたんですか?」と、よく聞かれる。

なので、かなり前からお答えがルーティン化してきていて…。ウケもいいし(笑)、いっそブログにしっかり書いておこうと思った次第なのでした。この続編として「俺が会社を始めた理由」も書いておこうと考えていますので、そちらもお楽しみに!

この物語は、いつもは端折っている、不意に息子を授かるところからはじめようと思う。でもってキース・リチャーズの伝記風に書かせてもらいたいと思います。以下を読んで、僕へのアポイント取り消しても構いませんよw。しかし、これを読んでワクワクしてご来社いただけた方とは、きっといい仕事ができると思います!それでは、はじまりはじまり〜。
※より、ムードを楽しみたい方は、文末のYoutubeを再生しBGMにしてください。

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27歳の夏のある日、妊娠検査薬を持ってトイレから出てきた俺の恋人は「私、産むからね」と、固い決意を秘めた瞳で俺に言った。俺は結成3年目に入った「コズミック・モンクス」という、ライブをやればそこそこお客が集まり始めたバンドのリーダーで、音楽家になることを夢見る典型的な夢追い型フリーターだった。借金はあったけど、貯金なんかない、レコード収集が趣味の頼り甲斐のない男だった。

「私、産むからね」なんて、まるで雷が落っこちてきたみたいな言葉への答えは、思った以上に時間はかからなかったと思う。こういう時に時間をかけると男らしくないし、女は怒りだすからな。しかし、いわゆる走馬灯ってヤツが頭の中でスローモーションで回転してて、「男の責任」とか「バンドの成功」とか「嫌われたくない」とかいう未練がましい思いをエネルギーにしてずっと回ってた。

平静を装った顔してタバコに火をつけた俺が出した答えは、「じゃあ、結婚しようか」だった。

なんの準備もしていない、若干パニクった男なんて、こんなことぐらいしか言えないんだよ。しかし「じゃあ」は余計だったな。妻となった恋人は、このことをしばらく厭味として使ってたし、今でもそれは地雷として彼女の心の中で眠ってるはずだ。だから俺はいつもその地雷を踏まないように気をつけてるよ。未婚の諸君は気をつけた方がいいぜ。これだけは言っておくよ、プロポーズの時には「じゃあ」とは言わないことだ。

27歳の俺は、産まれてくる赤ちゃんのために正社員として働くことを決意したんだが、多分またケンカして啖呵切って後先考えず辞めたんだろうけど、結婚式当日は無職で2,500円しか持ってなかった。情けないことに、親に花束を買うのを躊躇したのを覚えてるよ。若いっていうのは気持ちと行動とが裏腹になるもんさ。

どういうわけだか、当時の俺の仕事選びのモットーは「やったことがないことをする」だった。はてさてやったことがないこと…。人に頭を下げて回る営業かあ。ロックンローラーだった俺の職業観では、営業っていうのはそんなものだった。

しかし、下げたことのない頭を産まれてくる息子のために下げてみる、それもロックじゃないか?悪くないぞ!そんな気分で俺はさっそく求人誌を見て電話した。俺の特技は面接に必ず受かることなんだ。まあ、いい時代だったってことなんだけどな。数日後には先輩の同行訪問に付いて行ってた。

「ど・う・こ・う・ほ・う・も・ん?これって訪問販売なんですか?」
「そうだよ〜w」

俺はいつもこうなんだ。真面目にしようと思うとこうやってつまづく…。俺の真っ当人生の出鼻はくじかれっぱなしだぜ、コンチクショー。だけど、俺はただじゃ転ばない。俺は天性の話術によって悪徳セールスマンの中のトップに君臨したんだ、ガハハハ…。

人生ってこれだからわかんないよな。最短昇進記録とか樹立しちゃって笑えるぜ。でも、考えてみると俺の特技はスピード出世なんだよな。まあ、自慢話はしらけるからやめておこう。3年ぐらいその訪問販売をやったけど、あることをきっかけに売れなくなっちゃって辞めたんだ。まあ、何にでも潮時ってもんがあるのさ。

そこから就職活動をするんだけど、高い金を稼ぐと安い金で働くのが馬鹿バカしくなっちまってな。内定はもらうんだけど仕事を決めれなかった。その頃は幸せすぎて詞が書けなくなって曲作りのスランプだったから、小説家になりたいなんてことを思ってた。

小説はメロディに乗せるための語呂だとか韻なんてことを考えなくていいし、またサビに戻すためのフックもいらないから、作曲に比べりゃあ楽なもんだった。結局、8ヶ月無職で毎日小説家気取りの生活をしてたよ。

ちなみに、営業職の途中で今度は女の子を授かった。二人の子どもが本当に可愛くてさ。子どもたちとずっと毎日一緒にいて、公園や川に行って遊んで、子どもが寝たら小説書いたり、曲作ったりしてた。めっちゃラブ&ピースなこの8ヶ月間を、石井家では「エンドレス・サマー〜永遠の夏〜」って呼んで、語りぐさになってるよガハハハ…。

(ちなみにこの時書いてた小説は、文藝の新人賞への応募作品1600作品近くの中から2次選考を通過し11作品に選ばれた。受賞は綿矢りさの『インストール』)

あるとき、何がきっかけだったのか。多分、失業保険も終わっちまって、いい加減働かなきゃまずいってことになって、またハローワークに行ったんだ。俺は横田基地で働きながら、小説書いたり、みんなとジャムったりできたら、金なんかもういらないと思ってた。

8ヶ月で俺はまっとうな金銭感覚に戻ったんだな。金はいらない。俺が欲しいのは時間だった。内側から溢れだす表現したいって欲求は金があっても満たせないんだ。時間を使って気の済むまで吐き出すしかない。そんな気持ちでハローワークに行ってみたけど、横田基地の求人の載ってそうなファイルは誰かが見ててなかったんだ。外は暑いから、暇つぶしに適当に手にとったファイルでも眺めてようと思った。まさかそこに、俺の人生を変えるたった1行の言葉があるなんて、夢にも思ってなかったよ。

「不登校、ひきこもりの生活指導」

生活指導じゃなかったかもしれないけど、そんなことが書いてあった。俺はそこではじめて「ひきこもり」なんて言葉を知ったよ。正直、気持ちの悪い言葉だと思ったね。でも地図を見たら、俺の借りてた平屋の家から車で10分だし、宿直なんていうわけのわかんないものはあるけど、5時で終わるのか、時間はたっぷりじゃねえか、と思ったよ。

まあ、何より横田基地の仕事はしたことがあったけど、ひきこもりの支援は「やったことがないこと」だった。俺は面接を受けてみることにした。

面接に行ったら建物がボロくてがっかりしたよ。俺はてっきり白衣着て、サンダルみたいなのを履いて清潔そうな床をペタペタ歩く仕事だとばかり思っていたからな。なんとか法人ってのはそういう仕事なんじゃないのかよって。帰ろうかと思ったけど、俺の根っからの好奇心の嗅覚が何かを探り当ててたんだろうな、俺はそのまま面接を受けることにしたんだ。

はじめに出て来た男が何を話したかのか何も覚えてないけど、その次に現れたタバコをよく吸う、結局、俺のボスに10年間なった男の言葉は忘れない。「お前がお前のままでいればそれが仕事だ。ここは社会をしらない若者のための擬似社会みたいなところだから。資格なんか要らないさ、人が人を支援するのに資格なんか要ると思うか?」。福生には面白い大人が割りと多かったけど、ここにもいたって思ったね。

ちなみに履歴書の中の8ヶ月前の俺は坊主頭だった。でもいまここにいる俺は髪が伸びてたんだw。「すみません古い写真でw」なんて。そんな俺が、今やキャリアカウンセラーで履歴書の書き方なんて金もらってやってるんだぜ!笑えるよなあ、ガハハハ…。

そして俺は、求人票に書いてある高い方の額で雇用されることを条件に、この仕事をはじめた。俺の言った条件を飲んでくれなかったら、俺はこの業界にいなかっただろうな。

確かあれは、もう13年前の話だ。あの時、たまたま暇つぶしで手に取ったファイルの一番上にあった求人票が、俺の一生の仕事になってるんだぜ、ストーンズのミックとキースが出会って、あの時ミックがマディ・ウォーターズのレコードを持ってなかったらみたいな話しみたいだろ?ガハハハ…。

今、就活中の大学生や高校生諸君たちよ、ちょっと聞いてくれ。個人のキャリアの8割は偶然で成り立っているって知ってるか?。人生は不確実性に満ちてるんだから、それを解明しようなんて神への冒涜だよ。だから、あんまり難しく考えるなよ、考えるだけ無駄なんだよ。とりあえず飛び込む。目の前の現実に精一杯対処する、それだけだ。

15年前、俺はこんな仕事をするとは夢にも思わなかった。そして10年前、まさか自分がこの仕事を一生の仕事にするなんて、これっぽっちも思わなかった。そして5年前、俺は自分が起業するなんてことはこれっぽっちも思ってなかったんだぜ。

君たちにもきっとそんなことが起こるよ。人生っていうのは面白いよな。何が起るかわからない。だから楽しいんだ。ガハハハ…。

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2012年9月29日 (土)

努力はするものではなく、与えられるものだった。

努力とはポジティブな結果期待に向かってするものだと思うんです。誰だって絶対無理だとわかってたらトライしないですよね。

傍から見てる人は「やってみなきゃわからんだろう」と思うわけですが、この、「やってきみなきゃわからない度」をアンケート的に言語化すると以下のようになるでしょう。しかし、この差はどやって生まれてくるのでしょうか?

① 絶対無理だと思う人
② たぶん無理だと思う人
③ ひょっとしたらいけると思う人
④ ダメ元でやってみようと思う人
⑤ やればできると思う人

数字が大きくなるほど、結果期待が高まっているわけですが、この中で実際に行動に移せる人=努力する人は何番の人たちでしょうか?

恐らく①と②は、努力できないと思いませんか?逆に④と⑤は努力しそうですよね。ちょっと脱線しますが、支援者たちは日常的に①と②の人をエンパワメントして③にして、「あ、本当にいけた」というプチ成功体験を演出している人たちだと思います。言い換えれば、支援者たちは努力できる下地をサービスとして提供しているといえるでしょう。

この①〜⑤の人たちの差が、これまでの学習経験から判断を下しているんだろうということはピンと来ますよね。今回、僕が「努力は与えられるもの」だというのは、この学習経験をする機会に出身階層により格差が生じているという事実を苅谷剛彦氏の『学力と階層』で、改めてまざまざと知ったからです。

この学習経験は、このブログで何度か紹介してきたSCCT理論(社会認知的キャリア理論)によると、性別や人種などの「個人的要因」と、その方が育った時代背景等の「社会的要因」で作られるとされており、僕は平川克美氏の『移行期的混乱』を読み、SCCT理論とのクロスで若者と人口減少社会=ゼロ成長社会という、若者が知らずに知らずに受けている「社会的要因」について関心を持ち、『防衛的先送り』ということを考えました。

苅谷氏は、学習経験を学習資本と考えた場合、「経済的資本」と「文化的資本」があるとし、興味深くもショッキングなデータから教育への警鐘を鳴らしています。

僕は常々、経済的資本が少ない家に育ち、今も経済的資本の少ない世帯の主なわけですが(涙)、その割に明るく朗らかに育ちましたし、子どもたちも今のところ明るく朗らかに育っていることに、職業柄か、何か根拠がほしいと思っていましたが、その答えが「文化的資本」だということに気付かされました。

苅谷氏の小中学生に実施した調査では、この「文化的資本」を以下のような項目から上位、中位、下位グループに分けています。

・家の人はテレビでニュース番組を見る
・家の人が手作りのお菓子を作ってくれる
・小さいとき、家の人に絵本を読んでもらった
・家の人に博物館や美術館に連れて行ってもらったことがある
・家にコンピュータがある

ちなみに我が家は胸を張って上位グループだと言えます。ただし、博物館をロック・コンサートと置き換えた場合ですがw。

様々な項目に渡り、上位グループが学習面でも生活面でもしっかりしてることがわかる結果なわけですが、個人的に「努力」について個人的にフィルターをかけた項目を抽出すると、以下のようなものがあります。※以下は全て小学校。中学校はポイントが低くなりつつ、バランスは小学校に準じてる。

「嫌いな科目の勉強でも頑張ってやる」上位74.1%、中位69.4%、下位54.0%
「勉強は将来役に立つ」       上位86.2%、中位78.3%、下位69.7%
「家庭での学習時間(平均時間)」  上位51.2分、中位38.8分、下位35.3分

まあ、何から何まで、家に文化的環境のある子どもたちに良い結果が出てるということです。今後、経済成長が見込みにくい日本の子育ては、文化的資本に特化して行くべきだという考えを僕は持っています。それが経済的資本にアクセスするルート、或いはアクセスせずにも幸福になるルートなのではないでしょうか。

僕が特に注目したいのは「勉強は将来役に立つ」という質問。これはSCCT理論でいう所の結果期待そのものであり、「努力のしがい」であると思うのです。そしてこの努力をすれば報われるという感覚に出身階層が大きな影響を与えていることを「インセンティブ・デバイド(期待格差)」といいます。苅谷氏が指摘するように、このことは、ある意味「それを言っちゃあおしめえよ」的なタブーになっていたように思う。

日本でのメリトクラシーの議論では、生得的な能力よりも努力に大きな比重がかけられてきたといわれてきた。また、海外の研究者による日本の教育研究においても、子どもたちの「努力主義」や「がんばる」ことが、日本の教育の特徴であるという指摘もあった。ところが努力の重要性を指摘する一方で、それが社会的階層とどのような関係にあるか、さらには時代を経てそこにどのような変化が生じているか、といった問題に注目した研究は、日本でも十分に行われてきたとは言い難いのである。『学力と階層』苅谷剛彦より

さらに苅谷氏は踏み込み、父親の職業や両親の学歴などから「出身階層によって努力の量(学習時間)には差があるのか」ということを調査し、その結果を以下のようにまとめている。

いずれの年度においても、父親の職業、両親の学歴と学習時間との関連が見られる。職業については専門・管理職の父親、学歴で見れば、大卒の両親を持つ高校生ほど、学習時間が長くなる。出身階層によって、学習に向けての努力に差異があることが確認できたのである。『学力と階層』苅谷剛彦より

個人的には、アルバイトにも部活にも努力はあるよと反論したい気持もあるけど、「努力のしがい」を感じてる(感じることのできる)人が勉強を選択する感じに、なるほどなと唸るわけです。

最後に、少々長めだけど、一番考えさせられる苅谷氏の指摘に共感とリスペクトを込めて締めたいと思います。

努力の階層差とその拡大という本論文の知見は、メリトクラシーの議論が暗黙のうちに前提としてきた「努力の均等状態」ないし、「努力の平等」という糧に疑義を差し挟む。とりわけ、日本の教育を対象とした議論は、努力主義を強調し「誰もが同じように学校での成功に向けてがんばる(がんばらせる)仕組み」が作動してきたというイメージを作り出してきた。しかし、今や私たちは、そうした努力主義、より正確にいえば、努力=平等主義がイデオロギーにすぎないと指摘できる。 教育達成のにおける「結果の不平等」は、能力の差異のみによってもたらされるのではない。出身階層の影響を受けた努力の不平等もそこに介在したいと考えられる。にもかかわらず、「できなかったのはがんばらなかったからだ」というように、個人の失敗を努力の欠如に帰着するとすれば、日本型メリトクラシーのイデオロギー性は、能力の階層差や結果の不平等を隠蔽してきただけにとどまらない。 このイデオロギーの巧みさは、(略)教育達成における階層差を作り出してきたこと、さらにはそうした社会階層の影響を、努力が平等に存在する(「誰でもがんばれば…」)という幻想によって隠蔽してきたことにある。『学力と階層』苅谷剛彦より

改めて、「努力はするものではなく、与えられるものだった」わけですが、僕は努力を否定する気はありません。努力はするべきです。問題はその努力のアウトプットが見えない(見せてあげれてない)ことなわけですが、僕はアントレプレナーシップ教育のようなアウトプット設計ができる感覚を養うことが重要だと自分自身が起業を決意した瞬間から思うようになりました。このことについてもまたいずれ書きたいと思います。

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2012年9月27日 (木)

【Ustream】ソーシャルビジネス公開インタビュー第5回に出演しました!

いつもお世話になっているNPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボの杉浦理事長からのインタビューと、会場に支援者仲間がいてテンション上がったせいで、いい感じでリラックスしつつ、最近考えてることをまとまってお話することができたと思います。長いので、お時間ある時にご視聴下さいませ。


Video streaming by Ustream

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2012年9月13日 (木)

学校図書館開放運動

読みやすくしたものをこちらに再アップしてありますので、こちらへどうぞ。

子どもたちの学力を支える学習資本における文化的資源を、学校がもっと子どもたちに提供するべきだと思う。特に生活困窮世帯の子どもたちが多く通う学校には、文化的シャワーを浴びせてあげれるくらいにコストを投下してほしい。例えば学校のネット環境は劣悪だが、すべての情報にアクセスさせるべき。

学校図書館法の第2条-2に、僕がイメージしてた、図書室に普通に町の人がいて生徒と交流して相談にのってる姿が実現可能だという根拠を見つけた。「学校図書館は、その目的を達成するのに支障のない限度において、一般公衆に利用させることができる」。もっと具体的に考えてみよう。

学校図書室こそが、生徒に文化的シャワーを浴びせる、もっとも適した場所であり、司書教諭のスキルや専門性の最大化を図りつつ、そこに町の面白おじさんや世話焼きおばさんが加わることで、図書室は最強のコミュニティサロンとなり、もはや総合的な学習の時間は不要になる、というのが僕の考え。

上記は9月11日に僕がツイートしたもの。こんなことを考える背景には、僕が県立高校の図書館を利用した「田奈Pass」という交流型の相談を実践していて、効果性の高さを実感できているということ。なんとか汎用モデルを作れないのかなと、考えている。

もうひとつは、最近遅ればせながら読んだ、苅谷剛彦さんの『学力と階層』から派生した周辺資料を読んでいて解明できた、学習資本には「経済的資源」と「文化的資源」が影響しているということ。

苅谷剛彦さんの『学力と階層』を読んで、学力資本には「経済的資源」と「文化的資源」があると知った。自分は後者に対する関心を近年ずっと持ってたんだけど、本田由紀さんの『学校の空気』でも「家庭の資源と学力スコア」で、文化的資源のある子たちが学力上位スコアであることがわかった。

続き。勿論文化的資源を支えるものは経済的資源なんだけど。ゼロ成長時代の限られた収入の中で、保護者たちが家庭内の何に(直接勉強につながらない文化的なものなどに)お金を使うかってことが、子どもたちの学力に大きな影響力を持っていることを、もっと自覚するべきだと思う。文化を育むって大事。

これらを総合していくと、最初にツイートしたアイデアに行き着く。大分前から考えてたんだけど、ちょっと突拍子もないし、実現可能性が低いだろうと思っていたので、傍において置いたアイデアなんですが、学校図書館法というのがあることを思い出し、ちゃんと読んでみようと思ったら、「学校図書館は、その目的を達成するのに支障のない限度において、一般公衆に利用させることができる」というのを見つけ、なんだできんじゃん!と思った次第です。

とはいえ、まだまだ突拍子もないアイデアに聞こえるでしょうし、色々なリスクを挙げて反対して来る人の言い分もだいたい想像がつきます。

そこで、今日はちゃんと整理して説明してみたいと思うのです。

まず、図書館は高校でも大学でも居場所化しています。その理由は、目的なく居てもおかしくない唯一の場所だから。自然、居場所のない、或いは居場所(かまってくれる人がいる場所)を探してる生徒が集まります。

図書館は話題の宝庫です。ネタに困らない!しかし、もっと重要なのは、ネタに困っても困らないのが図書館なのです。困ったら本に目を落とせば通常形態に戻れます。

図書館は、学校の中で唯一正解と不正解が混交している場所だし、そもそも答えなんて十人十色なんだぜって言い切れる場所です。

新しい本を一冊入荷する感じで、新しい世話焼きおじさんはいかがでしょうか?これが図書館開放運動のコンセプトです。

ただ、誰でもいいってわけではない。生徒とハレーションを起こす人物も多いでしょう。ここが難しい。なので、ここは面接があります。或いは、小学校なら図書ボランティアの方々にまず開放して、居てもらう。

あ、ここポイントです。居てくれてればいいんです。司書さんと主婦トークでもして、今晩のおかずについて話してみましょう。子どもたちは案外ダンボになって聞いてて、「私もそれ好き!」なんて言って会話に加わって来るでしょう。

そこからその子の食事の状態が見えて来るはずです。安心できる子と、心配になる子が出てくるでしょう。その心配を先生と共有するだけで、このプロジェクトは成功と言えるでしょう。

高校で考えた場合。図書館利用者ボランティアという名目で、学校に登録し、登録証を発行してもらい、それが入校のパスであり、図書館カードになればいいと思います。

また、事前に研修も受けてもらいましょう。ここは、是非僕を起用していただくことをオススメして起きますw。

学校内の通行可能なルートを予め決めたり、本を借りれる日を設定したり、細かなルールは例によって走りながら。ただ、しっかり決めておくことは、何を話しどんなアドバイスをしたのかのフィードバックをちゃんとすること。

どうでしょうか?あったらいいなな仕組みではないでしょうか?

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