ジャズの語り手と聞き手
最近のトイレ本は昔お世話になったコレ。その名の通りBlue Noteの名盤が200枚、楽器別に各アルバムが1ページ使って紹介されているんだけど、毎ページ関連作品が一枚紹介されており、例えばデクスター・ゴードンの「ドゥーイン・オールライト」では、デックス唯一のサイドマン参加であるハービー・ハンコックの「テイキン・オフ」が紹介されているといった具合。よって計400枚が、数名の筆者によって紹介されているという便利本。
ジャズ・ブーム再来。そんな季節なんでしょうか?俺。
いやいや、最近あんまりCDを買ってなくって、欲求不満解消のために久しぶりにレコ棚に眠るジャズ・レコ掘り起こしているんです。
世代的にレア・グルーブの盛り上がりから組なんで、ルー・ドナルドソンのコンガ入りとか、オルガン物あたりからやっぱ気持ちいいなあみたいに聴いてます。
ジャズは反応の音楽である。所謂アドリブだとかインプロビゼーションと呼ばれる即興性に醍醐味があるんだけど、僕はさらりと聴いちゃう、というか音楽だけに耳を傾けて、まんじりともせず的な聴き方は出来ない「ながら族」な僕には、どこまでがスコアでどこからがアドリブかなんてのは、曲が変わった事すら気付かずPCに向かっている有り様なんでまったく関係ないのである。
だから、ソロも美フレーズ満載な感じだったり、マイルスのような語尾のアウト感、フレディ・ハバードのビブラート、リー・モーガンのヤクザな感じみたいな、ふわっと耳を惹き付ける間を持っているタイプのジャズマンが好みで、吹き倒し系のブローみたいなのは気付くとA面終了な場合が多い。
あまりにも前段が長くなりましたが、というか、久しぶりになんかちゃんと書こうと思って、漸く書く事が思いついた。最近反省していることをちょいと。
その反省とは。僕は、喋り過ぎるのである。しかも声と身振りがでかい。
ジャズで言えば吹き倒し系なのである、きっと。ブローイング・セッションよろしく、どこかで拭き負かしてやろうという性根の曲がった自分がおり、ファシリテートするつもりが総括しちゃったりしてしまう。相手の1の言葉に反応して10の言葉を返してしまうのである…。
企画会議、カウンセリング、相談、打ち合わせ、講師、営業などなど。自分なりにいろいろと使い分けているつもりではある。アウェイではまだいいがホームだとこの吹き倒し傾向が加速する。自分の思い、考えを伝えることに夢中になり、相手の気持ちを思いやれないのである。いや、思いやってるつもりなんだけど、そうではないらしい。
この前の出張で読んだ「聞き上手」というカウンセラーの本にけっこう感化されたんだけどな。
黒ぶち眼鏡のテナー・サックス奏者ベニー・ゴルソンをご存知だろうか?アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの「モ−ニン」の作曲者と言えばピンとくるだろうか。ゴルソン・ハーモニーと呼ばれる彼の作る寄り添い型のテーマ・リフ。そして彼の吹き過ぎないボソボソと語り始める老人のようなソロの吹き出し。それでいて佳境に入ったときの畳み掛けるようなフレージング。バック・ミュージシャンが耳を澄ませたように彼のソロのバックでは音量控えめな気がするのは僕だけか?
強引だが、僕はベニー・ゴルソンのような語り部になりたい。でもって、アート・ブレイキーのような合いの手が上手で、話し手をその気にさせる聞き手になりたい。そんなジャズ・メッセンジャーズな繋がりな二人が共演しているアルバムが今日のBGM。
Today's BGM is
BENNY GOLSON/GROOVIN' WITH GOLSON 存在自体は恐らく地味なアルバム。ジャズにはまりたてで「モーニン」のジャケの痺れから醒め「アート・ブレイキーではなくゴルソンだな」と勘づいた頃に見つけた裏メッセンジャーズ的なアルバムでもあり、トローンボーン奏者のカーティス・フラーとの「ブルースエット」の裏版としての聴き方もありな一枚。