新時代キャリア教育
依頼を受け、某高校キャリア教育のレジュメを鋭意作成している。
結構いっぱいいっぱいの我がチーム。こんなことで生業になるのか不安にもなるが、誰も見たことのない花の種を撒いている期待感は大きい。
若者は大人の轢いた見えないレールに敏感である。気をつけろ。
僕らがレジュメを作る際の訓戒である。
見えないレールの上のあの居心地の悪さが身体に染み込んでいない輩にキャリア教育は行えない。
理想主義的、或は道徳的な誘導は禁物なのだ。
だが、悲しいかな僕たちは労働市場に生きる大人なのである。
クライアントである先生の満足を、生徒の満足同様に勝ち取らなければ、ビジネスにならない。
先生と生徒が!
…ここにキャリア教育の難しさがあるのだと、最近やっとわかってきた。
1番してはいけないこと。
クライアントの操り人形になること。それでは生徒にセミナーの記憶が残らない。
記憶に残らないキャリア教育が、生徒の進路選択や自己への深い気付きに作用をするはずがないのだから。
人生(キャリア)に答えがないように、キャリア教育にも答えはないんだ。と、まずは開き直りたい。
開き直った大人から発生されるメッセージはいつの時代の若者にとっても新鮮で強烈なのだ。
では、どうすればキャリア教育が成功するのか?
セミナーを通じて強烈な「葛藤の種」を植え付け、さらりと水を撒いて後は芽が出るのを待つのである。答えは教え(られ)ない。
考えてみると、そういう悠長な大人がいなくなったというのは世の中の弊害なのではないか?(僕は一方でお節介な大人がいなくなったと嘆いているのだが…)
ただ撒いたんじゃビジネスじゃないので、当然、たまに肥料と水をやりに現れる。
考えてみれば大掛かりなキャリア・カウンセリングである。
自分で考えさせ、自分で意思を決定させる。
僕らは、そのヒントを与え内省を深める手助けをするだけ。
これが正しいキャリア教育の姿ではなかろうか?
当然、プレゼンでの先生方への信頼を勝ち得なければならない。
そのためには何処の馬の骨ともつかない連中が言うのではなく、立派な理念を掲げたサイトが支持を得ているということが非常に重要となるのである。