自分なりに株式会社にする理由があるけど、
なんか根拠が怪しい気がするから
書き進めながら、タラタラと気持ちを確かめてみよう。
バイブル的に読み進めている『ソーシャルエンタープライズ』でも、「組織選択」という章立てで、ソーシャルエンタープライズ特有の組織戦略上の課題として取り扱われている。ちなみに、「株式会社」か、「事業型NPO法人」かのどちらかの選択を前提として、本書では、以下の四つの選択のポイントとしている。
1.市場的制約:市場性(収益性)の有無。
例えば貧困層を対象とした場合、市場性が低いので運営は寄付や助成金を中心としたNPOに なる。
2.資金的制約:資金調達の可能性。
初期投資が必要になる場合は、市場からの資金調達が可能な会社形態となる。NPOは出資を募ることは制度的にできない(ここには工夫がありそう)。
3.法的制約:税制。 法人形態によって、税制上の違いがある。日本ではNPOが税制上で優遇されているとは思え ないけど。
4.社会的制約:信頼性。
日本では、NPOが収益事業に関わることへの認知度が低い上、市場取引、契約において会社 の方が信頼される。
最近では、
組織ポートフォリオという、NPOが株式会社を持つなど、様々な組織形態の組み合わせで、制度的制約を乗り越えようという動きを目にする。先週、シンポジウムに参加させていただいたホームレス支援を行なってる
『NPO法人ふるさとの会』も、ホームレスの方への仕事作りを目的とした株式会社を持っていた。
まあ、いろいろあるのだが、大前提として。「
法人を作るということはあくまでも手段であって目的ではない。」
だから、
目的を達成させるための手段として最適な形態を選ばなければなら
ない。「社長になりたい!」から会社を作るわけではないからこそ事業プランが大切なのだ。
話しが逸れるが、この辺、
進学校のキャリア教育の根底と地続きだと思う。
大学入学は“なりない自分”
になる手段であって大学生になることが目的ではないのだ。自分が起業したら、いつかこんな話を高校生にしてみたいと思う。
『ソーシャルエンタープライズ』
では、私の考えてる形態は、「
社会思考型企業(株式)」というらしい。
株式会社にする理由を、誤解を恐れずに書けば「
若年者支援業界のNPOに絶望している」このことに尽きる(私の知る範囲であり、優れたNPOもきっとあるのだと思う。そう願いたい)。
最近、
都がNPOに出した引きこもり支援の委託事業の中身を知り、自分が危惧していたことが頭を過り、
なんとも言えない気持ちになった。
それは無料のアウトリーチ(家庭訪問)。
しかも受託した団体は有料のアウトリーチを経営の生命線としている
。彼らにはどういう戦略があるのだろうか?
ここで詮索することは避けるが、無料サービスから有料サービスへのリファーが困難であることはサ
ポステから自立塾へのリファーが困難であることで思い知っただろうにと、酷く悲しい気分になった。
国が小さな政府を目指している以上、今後更に
行政が委託事業で行なうサービスが増えるのは必然だと思うのだが、ソーシャル・エンタープライズ=社会的企業の台頭は、行政サービスが進まない、
痒いところに手が届かないからというのが原動力だから、私の勉強不足でイマイチ合致しない部分であるが、私の仮説はこうだ。
行政サービスが進まないのは、ある特定の分野、
例えれば
NPO法人フローレンスの病児保育とか、借金に苦しむ人の自己破産手続きを助けるNPOとかの話で、きっとニート・
フリーター問題は納税という深刻なキーワードが背景にあるから、行政の手が痒い所には届かないまでも伸びる。
行政の手が痒い所には届かないまでも伸びる。しかも無料で!これが若年者支援業界のNPOにとっての癌になると私は感じている。
人件費だけのようなおちょくった委託費にNPOが飛びつき、骨抜きにされて
いく。
そこに気付かないNPOが負の循環を加速させ
ているんだから愚かしい。
これは日本のNPOが社会的ミッションと事業性を同時に達成させるダブルボトムラインを作れずにきたことが原因だと私は思う。社会的ミッションにばかり目を向けてきてしまった。或は事業性に特化できる人材を確保できないまま今日に至ってしまい、片手落ちの欠落感を穴埋めするために委託事業に飛びついているのである。
その前にステークホルダー(NPOでいえば会員)
獲得に向けた戦略や、収益事業の開発をするべきであったのに。
ここが成功した形こそがソーシャルエンタープライズ=
社会的企業であり、事業型NPOになるんだけど、事業型NPOとされている団体のフタを開ければ委託事業型NPOという実態が浮かび上がる。
米のNPOは70年代までに政府系資金源に依存してきた。80年代以降レーガン政権による小さな政府化により補助金、委託金が大幅に削減され、さらに不況により寄附の伸び悩みも加わり大打撃を受けた。
昨日、
千住の飲み屋で役人相手にこの辺を声高に叫ぶと「その通り、お金をしっかり払うべきだと思う」という意見が出た。僕が付け加えたのは「そのかわりしっかりと評価もしましょうよ」。NPOはこれまで評価をされなさ過ぎてきた。特にユーザーは無料なもんだから、それだけでありがたがる。これがNPOを腐らせているんだと感じる。有料の場合でも「他にはない」というだけで選ばれていることが圧倒的だろう。
焦点を絞り込み『無料化』。
格安な委託費で受託したNPOがどうやって現場をまわすのか?
ここで以前お騒がせした『NPO法人職員に有給休暇はないのか?
』に繋がる。申し上げときますが、
この辺を立派に運営している
意識の高い法人もありますよ。また、
このような環境の中で生き甲斐を見出だし使命感に燃えている法人
も職員もいます。ただし寿命が短い。熱意や善意だけでは飯は食えません。
事業型に熱意や善意はいらないと言っているわけではないが、熱意や善意だけを強調するならきっぱりと事業型NPOなんて形態を取らずに慈善型NPOとしてチャリティでボランティアスタッフを募り、アマチュアリズムを突き進めばいいんだと思う。
若者のマンパワーが強く必要とされる若年者の就労支援に対して、そこで働く若いスタッフの意識が10年前とは随分と変化してきているように感じている。安定思考がどんどん高まってる。これは委託事業である程度の給料を確保できていることにもよるのだろうけど、若者全般の価値観になってる気がする。
ここに事業型NPOの矛盾に満ちた運営(慈善からはじまり事業化した団体程、理念と実態に矛盾を孕んでいるのはないだろうか?)があり、経営サイドと現場のモチベーションの乖離が起きているのではないか?言葉にしきれないがまたはこの逆も起きている。ここはまた今度。
「職員の働き方が公務員のようになってきている」
これは最近どこのNPOからも聞こえてくる話だ。話が逸れるので問題提議だけに留めるが、「NPO職員のプロ意識とはなんぞや?」休みなく働くことか?先ほどの乖離の問題を含め、一晩呑み明かしても語り切れない複雑な話しな気がする。
ここをまとめると、今後ますます委託事業漬けのNPO法人がクオリティの高いサービスを提供できる人材を確保していくのは至難の技となるだろう(NPOこそ、ハードではなくソフトなのにである…)。
結論を言えば、個人の善意に依存した経営では人材の確保ができないのである。
冷厳な言い方だが妥協的に残っている人材も多いと思われる。
私はその一人になるのが嫌でこの業界を脱し、株式会社という土俵の上で、一世一代の勝負をしてみたいから辞めるのである(劇的になり過ぎてます(;;;´Д`)
話しを戻すと、委託事業で無料化が進んだ先にある
委託事業撤退後のNPOの有料サービスに利用者は目をくれなくなるのではないか?10年まとはユーザーの懐具合も変わってきている気がするし。
この危機感。たまたま某大学の非常勤講師に話したら、
彼女も同じ危機感を持っていた。
同じ日の違う時間。某新聞社の厚生労働省付きの記者に、
行政サービスが進む一方で、
NPOではこんな状態なんよと話すと、
そんな視点は持ったことはなかったと言っていたが、深刻さには深い共感があった。
きっとこのブログを読んで下さっている方の中にも共感を持って下さる方がいるだろうと思うし、逆に反論や戦略があるなら教えて欲しいと思う。
若年者支援はソフトを失い底をつく。その際の活路を開くには株式会社の方が、可能性を持っている気がする。(
ここが弱い(ノ∀`) アチャー)。
だから私は株式会社を選択するんだけど、これって消去法でなんかネガティブなんだよね。
次回は株式会社にするメリットを書いてみたいと思う。
ちなみに、私は今所属しているNPOとは別の団体でNPOの活動には関わりを持ち続けたいと思っている。こういう自分の危機感や絶望感を運営に反映させていき、袂を分けたから提案できる新たな活路を切り開いていきたいと考えているので、いずれそっちの活動も紹介したい思いますんでよろしくです。
Tday's BGM is
Brian Wilson/That Lucky Old Sun

心配ではありましたが、信頼の置ける情報筋からほぼ諸手を上げて絶賛なんで買っちゃいました。まあ、いいです。近年稀に見るというか、漸くやってくれたか的な作品ではあります。ありますが…。サプライズがない。魔法がかかっていない。マジックが、ミラクルが…。還暦をとうに過ぎたブライアンにそれを求めるのが酷かもしれませんが、なんか計算され過ぎてるんだよなあ。バックの連中がさ、秀才ぞろい過ぎるのがいけない。マイク・ラブのようなアホがいないとマジックは起きない。そう思った。思わぬところでマイク・ラブの再評価です。