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2008年10月の7件の記事

2008年10月26日 (日)

ウンコができる学校作り推進委員会発足!

高知県の室戸高校定時制で第2回目のキャリア教育セミナーを実施してきました。あれ、1回目の報告ってしたっけ?まあ、いいか。翌日の講演は後半少しグダったが、いい反応があり、内容的に少しチャレンジした内容だったけど、やった甲斐があった。

学校関係者の中にも、未だにニートやひきこもりを自己責任論にしたり、家庭の責任にしている人がいるので、なんで彼らのような若者が生まれているのかという社会的理由を講演させていただき、社会問題としての若者問題から個人の解決を考えるという内容。

演題は『今だから身につけられないモノ』

ちょっとでかかったすねえ、タイトル(;;;´Д`)

まあ、どこかでまた同じ内容で話がしてみたい内容でした。

今回も、多くの教育関係者、関心者の方々と素面で、ほろ酔い→泥酔しながら、多くの議論を交わしてきました。今後のビジネス展開には有益で濃い〜情報を頂くこともでき、大漁です!こちらの話題は次回にまとめ、問題をシェアしてみたいと思います。

さて、そんな中で。学校という所は色んなことにチャレンジができ、失敗も成功も、とにかく色々経験できる場所じゃなきゃダメだよねえ、と至極まっとうな思いを誰もが持ち、口にするのだが、実は、学校ほど恥に対して敏感な場所はないのではないのか?

大人が忘れている感覚。忘れた部分を穴埋めするように沸き上がった幻想のような学校。もっと、子供の残酷さや、無垢さのようなものを思い出せ!学校の先生自体が少し近くに居過ぎて麻痺してしまっている気がした。

その象徴が「トイレでウンコをしたら一生笑い者にされる」というあの強迫観念のようなアレ!

子供たちの村社会的監視体制は、今も続いている。みんなと同じじゃなければならない感覚は、ひょっとすると昔よりも強くなってるのではないか?
Vfsh0190
“浮く”ことに対して、過剰なまでに敏感になっている。これが「KY」なんて言葉を生んだりしていないのかなあ?

人との違いに対して、昔より過敏になっているという裏付けとして、こんなのはどうか?

成長の違いや形態の違いといえば“チンチン”(そんなに違わないと思うけど)。修学旅行でのお風呂で海水パンツとか。その場で話していた先生が、うちの生徒がバスタオル巻いて入って、宿の人にエライ怒られたというエピソードが出た。

子供たちが成長する場所である学校が、もっと成長を促す環境にならなくてはいけない、という思いをキャッチコピーにしたのがタイトル。僕は「ウンコのできる学校作り推進委員会」でも立ち上げようかな(´,_ゝ`)プッ

でもさ。校長先生が胸を張って「本校の生徒は、みんなブリブリウンコしてますよ〜」なんて言ったら、スゲ〜って思いますよね!?目指しましょうよ!!

いや、でもちょっとマジ。コメント入れてくれたら自動的に入会したと見なします。

写真は、室戸の隣の町辺りで見えた夕日。地元の人も感動するような夕日で、みんな車を停めて見とれてました。もう少し海水が冷たいと、室戸名物だるま夕日になったかも。この所の多忙を労ってくれているかのような感慨に襲われましたよ(ノ_-。)

携帯なんで、実際の100/1も表現できていないのが悔しいですが、夕日の右下に足摺岬が見えていました。それと、太平洋に夕日が沈むということが不思議でした。僕は夕日というモノは日本海に沈んでいくもんだとオモッチョッタガアですから(高知弁)。

Today's BGM is
Todd Rundgren/Go Ahead. Ignore Me.
E344482itpk1 今回の失敗はiPodの充電器を忘れたこと。ここぞという時だけ聴いた。二日目の朝の旅館、窓の向こうは室戸港で講演内容を吟味していた時に聴いたブライアンの新譜(やっぱいいっす)と、今朝の帰りのバスで聴いたこれのDisk-1が最高。トッドはなんだろ、天才なんだと思うきっと。でもなんだろ、何かに見放されてる感じというか薄幸な感じ。という勝手なイメージが付きまとう。が故の儚さや美しさが、諸刃の刃の輝きでDisk-1に納められている。Disk-2には愛し切れないトッドがいる。そんなヤツである。

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2008年10月22日 (水)

SEEDCap Japanへのエントリー完了

締め切り10分前に送信完了です\(;゚∇゚)/。

どうして仕事って、こうカツカツになってしまうんでしょうね。毎晩、コツコツ仕上げてきて、行けると思っていたけど、徐々に神経が研ぎすまされてくと、アレもコレもとやらなければならないことが意識の底から浮上してくる。

いけないことだけど、他人の仕事だと「まあいいや」だが、自分の仕事だとね。

昔、僕の友人がラーメン屋を出した、開店前日までトントン釘を打ってて。そいつは、これまで何軒もの店をオープンさせてきたヤツなんだけどそいつが「自分の店だと釘1本打つのにも本当にここでいいのかと考えてしまう」と言っていたことを思い出した。

いやあ、忙しいです。講演が先週、今週と立て続けにあって。パワポのアニメーションを覚えてしまったのが痛い。

スキルが上がる=仕事が増える…

スキルアップは控えたいものですね(苦笑)

ところで、

今週末の演題が「今だから身につかないモノ」。自分で提案したのだがテーマでかすぎっす。昨日は10人くらいにどう思うかインタビューしたらみんな違うこと言うんだけど根っこが同じなんだよね。その根っこについて喋りたい。

今回、やはり我が社の壊れた翻訳機ことトーマスOがいいこと言ってた。彼はインナーコズミックを彷徨う哲学者である。彼の蛇口を捻り、一度空っぽにしてやりたいものだと思う。

Today's BGM is
Tom Waits / Bone Machine
41fifclcwxl_sl500_aa240_ このジャケからしておバカです。もう帰ってきてくれなくていいや、なんて思っていると「A Little Rain」なんてバラッドをボソッと歌いやがる。瀬戸大橋を電車で渡っているときには必ず、竜馬のことを考えてしまうのだが、その時にちょうどイヤホンから流れたのがキースとの共作「That Feel」。海援隊の霊が瀬戸内海から沸き立ち合唱しているような錯覚を覚え、鳥肌が立った。あれ以来、これを聴くと俺はデカイ海の上の橋の上の電車に揺られている気分になる。

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2008年10月19日 (日)

株式会社かNPOか

なんで自分が株式会社で起業するのかということについてもっとこだわっておきたい。

言い換えれば、こだわる根拠がなければNPOでいいのかもしれないし、個人事業主でもいいのかもしれない。

自分なりに株式会社にする理由があるけど、なんか根拠が怪しい気がするから書き進めながら、タラタラと気持ちを確かめてみよう。

バイブル的に読み進めている『ソーシャルエンタープライズ』でも、「組織選択」という章立てで、ソーシャルエンタープライズ特有の組織戦略上の課題として取り扱われている。ちなみに、「株式会社」か、「事業型NPO法人」かのどちらかの選択を前提として、本書では、以下の四つの選択のポイントとしている。

1.市場的制約:市場性(収益性)の有無。
 
例えば貧困層を対象とした場合、市場性が低いので運営は寄付や助成金を中心としたNPOに なる。

2.資金的制約:資金調達の可能性。
 
初期投資が必要になる場合は、市場からの資金調達が可能な会社形態となる。NPOは出資を募ることは制度的にできない(ここには工夫がありそう)。

3.法的制約:税制。

 法人形態によって、税制上の違いがある。日本ではNPOが税制上で優遇されているとは思え ないけど。

4.社会的制約:信頼性。
 日本では、NPOが収益事業に関わることへの認知度が低い上、市場取引、契約において会社 の方が信頼される。

最近では、組織ポートフォリオという、NPOが株式会社を持つなど、様々な組織形態の組み合わせで、制度的制約を乗り越えようという動きを目にする。先週、シンポジウムに参加させていただいたホームレス支援を行なってる『NPO法人ふるさとの会』も、ホームレスの方への仕事作りを目的とした株式会社を持っていた。

まあ、いろいろあるのだが、大前提として。「法人を作るということはあくまでも手段であって目的ではない。

だから、目的を達成させるための手段として最適な形態を選ばなければならない。「社長になりたい!」から会社を作るわけではないからこそ事業プランが大切なのだ。

話しが逸れるが、この辺、進学校のキャリア教育の根底と地続きだと思う。

大学入学は“なりない自分”になる手段であって大学生になることが目的ではないのだ。自分が起業したら、いつかこんな話を高校生にしてみたいと思う。

『ソーシャルエンタープライズ』では、私の考えてる形態は、「社会思考型企業(株式)」というらしい。

株式会社にする理由を、誤解を恐れずに書けば「若年者支援業界のNPOに絶望している」このことに尽きる(私の知る範囲であり、優れたNPOもきっとあるのだと思う。そう願いたい)。

最近、都がNPOに出した引きこもり支援の委託事業の中身を知り、自分が危惧していたことが頭を過り、なんとも言えない気持ちになった。

それは無料のアウトリーチ(家庭訪問)。しかも受託した団体は有料のアウトリーチを経営の生命線としている。彼らにはどういう戦略があるのだろうか?

ここで詮索することは避けるが、無料サービスから有料サービスへのリファーが困難であることはサポステから自立塾へのリファーが困難であることで思い知っただろうにと、酷く悲しい気分になった。

国が小さな政府を目指している以上、今後更に行政が委託事業で行なうサービスが増えるのは必然だと思うのだが、ソーシャル・エンタープライズ=社会的企業の台頭は、行政サービスが進まない、痒いところに手が届かないからというのが原動力だから、私の勉強不足でイマイチ合致しない部分であるが、私の仮説はこうだ。

行政サービスが進まないのは、ある特定の分野、例えればNPO法人フローレンスの病児保育とか、借金に苦しむ人の自己破産手続きを助けるNPOとかの話で、きっとニート・フリーター問題は納税という深刻なキーワードが背景にあるから、行政の手が痒い所には届かないまでも伸びる。

行政の手が痒い所には届かないまでも伸びる。しかも無料で!

これが若年者支援業界のNPOにとっての癌になると私は感じている。

人件費だけのようなおちょくった委託費にNPOが飛びつき、骨抜きにされていく。そこに気付かないNPOが負の循環を加速させているんだから愚かしい。

これは日本のNPOが社会的ミッションと事業性を同時に達成させるダブルボトムラインを作れずにきたことが原因だと私は思う。社会的ミッションにばかり目を向けてきてしまった。或は事業性に特化できる人材を確保できないまま今日に至ってしまい、片手落ちの欠落感を穴埋めするために委託事業に飛びついているのである。

その前にステークホルダー(NPOでいえば会員)獲得に向けた戦略や、収益事業の開発をするべきであったのに。

ここが成功した形こそがソーシャルエンタープライズ=社会的企業であり、事業型NPOになるんだけど、事業型NPOとされている団体のフタを開ければ委託事業型NPOという実態が浮かび上がる。

米のNPOは70年代までに政府系資金源に依存してきた。80年代以降レーガン政権による小さな政府化により補助金、委託金が大幅に削減され、さらに不況により寄附の伸び悩みも加わり大打撃を受けた。

昨日、千住の飲み屋で役人相手にこの辺を声高に叫ぶと「その通り、お金をしっかり払うべきだと思う」という意見が出た。僕が付け加えたのは「そのかわりしっかりと評価もしましょうよ」。NPOはこれまで評価をされなさ過ぎてきた。特にユーザーは無料なもんだから、それだけでありがたがる。これがNPOを腐らせているんだと感じる。有料の場合でも「他にはない」というだけで選ばれていることが圧倒的だろう。

焦点を絞り込み『無料化』。格安な委託費で受託したNPOがどうやって現場をまわすのか?

ここで以前お騒がせした『NPO法人職員に有給休暇はないのか?』に繋がる。申し上げときますが、この辺を立派に運営している意識の高い法人もありますよ。また、このような環境の中で生き甲斐を見出だし使命感に燃えている法人も職員もいます。ただし寿命が短い。熱意や善意だけでは飯は食えません。

事業型に熱意や善意はいらないと言っているわけではないが、熱意や善意だけを強調するならきっぱりと事業型NPOなんて形態を取らずに慈善型NPOとしてチャリティでボランティアスタッフを募り、アマチュアリズムを突き進めばいいんだと思う。

若者のマンパワーが強く必要とされる若年者の就労支援に対して、そこで働く若いスタッフの意識が10年前とは随分と変化してきているように感じている。安定思考がどんどん高まってる。これは委託事業である程度の給料を確保できていることにもよるのだろうけど、若者全般の価値観になってる気がする。

ここに事業型NPOの矛盾に満ちた運営(慈善からはじまり事業化した団体程、理念と実態に矛盾を孕んでいるのはないだろうか?)があり、経営サイドと現場のモチベーションの乖離が起きているのではないか?言葉にしきれないがまたはこの逆も起きている。ここはまた今度。

「職員の働き方が公務員のようになってきている」これは最近どこのNPOからも聞こえてくる話だ。話が逸れるので問題提議だけに留めるが、「NPO職員のプロ意識とはなんぞや?」休みなく働くことか?先ほどの乖離の問題を含め、一晩呑み明かしても語り切れない複雑な話しな気がする。

ここをまとめると、今後ますます委託事業漬けのNPO法人がクオリティの高いサービスを提供できる人材を確保していくのは至難の技となるだろう(NPOこそ、ハードではなくソフトなのにである…)。

結論を言えば、個人の善意に依存した経営では人材の確保ができないのである。冷厳な言い方だが妥協的に残っている人材も多いと思われる。私はその一人になるのが嫌でこの業界を脱し、株式会社という土俵の上で、一世一代の勝負をしてみたいから辞めるのである(劇的になり過ぎてます(;;;´Д`)

話しを戻すと、委託事業で無料化が進んだ先にある委託事業撤退後のNPOの有料サービスに利用者は目をくれなくなるのではないか?10年まとはユーザーの懐具合も変わってきている気がするし。

この危機感。たまたま某大学の非常勤講師に話したら、彼女も同じ危機感を持っていた。

同じ日の違う時間。某新聞社の厚生労働省付きの記者に、行政サービスが進む一方で、NPOではこんな状態なんよと話すと、そんな視点は持ったことはなかったと言っていたが、深刻さには深い共感があった。

きっとこのブログを読んで下さっている方の中にも共感を持って下さる方がいるだろうと思うし、逆に反論や戦略があるなら教えて欲しいと思う。

若年者支援はソフトを失い底をつく。その際の活路を開くには株式会社の方が、可能性を持っている気がする。(ここが弱い(ノ∀`) アチャー)。

だから私は株式会社を選択するんだけど、これって消去法でなんかネガティブなんだよね。

次回は株式会社にするメリットを書いてみたいと思う。

ちなみに、私は今所属しているNPOとは別の団体でNPOの活動には関わりを持ち続けたいと思っている。こういう自分の危機感や絶望感を運営に反映させていき、袂を分けたから提案できる新たな活路を切り開いていきたいと考えているので、いずれそっちの活動も紹介したい思いますんでよろしくです。

Tday's BGM is
Brian Wilson/That Lucky Old Sun
512fqtv0d8l_sl500_aa240_ 心配ではありましたが、信頼の置ける情報筋からほぼ諸手を上げて絶賛なんで買っちゃいました。まあ、いいです。近年稀に見るというか、漸くやってくれたか的な作品ではあります。ありますが…。サプライズがない。魔法がかかっていない。マジックが、ミラクルが…。還暦をとうに過ぎたブライアンにそれを求めるのが酷かもしれませんが、なんか計算され過ぎてるんだよなあ。バックの連中がさ、秀才ぞろい過ぎるのがいけない。マイク・ラブのようなアホがいないとマジックは起きない。そう思った。思わぬところでマイク・ラブの再評価です。

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2008年10月15日 (水)

ソーシャル・エンタープライズ

僕は会社を辞めて、起業しようとしている。そのためにいろいろな人に会い、いろいろな本を読み、仲間たちと議論を重ねている。

僕は坂本龍馬を尊敬している。龍馬にはほど遠いが、ちょっと幕末の志士にでもなったような気分になる。

龍馬が海援隊を立ち上げ、海のない大洲藩を口説きようやく蒸気船を手に入れた(交渉の達人である!)船の処女航海で紀州藩の大船と衝突するという日本初(龍馬にはこの枕詞が多い)の海難事故に遭う。しかも積み荷は薩摩藩の銃器。90074161

話しが長くなる…。何が書きたいかというと、この時、龍馬は愛読していた『万国公法』を武器に紀州藩を捩伏せるんだけど、僕にとってのそんな本が、どうやら『ソーシャル・エンタープライズ〜社会的企業の台頭〜』になりそうだ、と書きたかっただけなんだけど。

後から気づいたのだけど、著者の一橋大学の谷本寛治さんは、数年前に多摩信用金庫の一橋大学の産学連携のコーディネーターで、僕がパネラーだったことがある。

あの頃は、起業なんてこれっぽちも考えてなかったんだよなあ…。不思議。

さてさて。この本を読んでいると、どうやら自分たちは谷本さんの書いた筋書きの上にいるらしいと感じる。

或は知らずしらずのうちにソーシャルイノベーションのマニュアルに沿って行動していたような錯覚、既視観、シンクロニシティ、そんな気分に襲われ、鳥肌が立つ!

正しい眼差しを社会に真っ直ぐに向ければ、きっと問題解決なんて難しくない。実は、とても当たり前で優しいぐらいなのかも…。後は、行動に移す勇気だけか。

前にも書いたけど、社会的問題こそ引き算思考が必要なんだよ、きっと。

すべてのシガラミから一度ドロップアウトしてみる。きっとそこに、まだ誰も通ったことのないピカピカのレールが轢いてある。

後は乗っかるだけ。

なんて気分がするのです。

自分のメモのために引用させてもらいます。
………………………………………………………………………………………………
価値の共有:社会的課題の解決を目的としたソーシャルイノベーションは、社会を変化させるために、ステークスホルダーに新しい社会的価値観を浸透させていく。
そのためにはステークスホルダーの自発的な貢献(知識や資金提供、ボランティア活動など)が財、サービスを交換する上で必要となる。

自発的な貢献が必要になる理由は人々の価値は強制的には変えられず、自ら変化させる必要があるからだ。

(中略)

組織がステークスホルダーの自発的な貢献を引き出すためにはどうすればよいのだろうか。まず、組織の持つ価値を共有することが重要である。

価値の共有という場合、ミッションとコンセプトの二つの段階から理解できる。前者はどのような社会的課題を解決するのかということであり、後者はどのような製品で、どのような方法で解決するのかということである。

(鳥肌が立つ…。以下は自分の考えが確信に変わったところ)

市場を利用した社会問題解決は、政治を利用した社会問題の解決よりも多様な社会的価値が共存できるので、これまでそれらの問題に関わって来なかった人々の参加を促し、これまで利用されて来なかった知識を活用でき、イノベーションの可能性を拡大することになる。
………………………………………………………………………………………………
ヤバイ!

Today's BGM is
Lonnie Smith/Move Your Hand
A4e8049127e720924df0c2f0e749a190_fuヤバイ!ドス黒いですよ。ライブ盤なんですが、クラブのざわめきが黒い。お皿のぶつかり合う音や電話のベルまでもがこのアルバムの空気となってパッケージされている生々しいアルバム。タイプ的にはR&Bタイプのオルガニストで黒いフレーズのごり押しです。一曲、彼が歌っているアルバムのタイトル曲なんだけど、これまたって感じの高いハスキーボイスで痺れる。なんで砂浜でカーボーイっぽいのか謎である。まだ現役です。

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2008年10月 7日 (火)

CSRとSRI

なんだかなあ。前回紹介した本を読み終わった。オレがいつも使っていたCSRはちょっと意味が違ったのかと思っていた所、一番最後の章立てでSRIが出てきて、なんだオレが使っていたCSRっていう言葉はSRIの方がニュアンス近いじゃんとか思ったけど、やっぱCSRだった。なんのこっちゃ!

ちょっと読書感想文的に整理をしよう。多分無理だけど。自己流に噛み砕く余裕がない。すでにいっぱいいっぱい。子供っぽいことをエラそうに書くかもしれないけど自分のためなんで許してちょうだい!

まずはCSR(Corporate Social Responsibility)は、「企業の社会的責任」と邦訳される。まあ、置いといて。

世の中分業なのである。事故米しかり、サブプライムしかり、一カ所が適当なことをすると、全体に迷惑がかかる。みんなが自給自足の世の中なら、「あいつ馬鹿じゃん」で済んだ。でも今の世の中、流れ作業のラインで出来ている。

流れ作業感がわかりにくいのは、皆さんの使ってるPCは、会社のロゴが入っていると思うけど全部がその会社で作っているわけではなくて、色んな会社のパーツが組合わさって出来ている。仮に100社が関わっているとする。一社でも適当な部品を作って、すぐに壊れるなんてことがあると、99社が迷惑すると。

そういう適当なことが起きないようにする連帯責任(社会的責任)みたいなことがCSRの起源で、そういうことが起きないようにする仕組みがCSRの1つなんですよ。

それってコンプライアンス(法令遵守)じゃんって思うのですが、それを内包しているのがCSRなんで、どこまで読んでもCSRがわからないんです(苦笑)

そのPCが例えば、壊れなくて頑丈を売りにしているとします。僕らは毎晩、こうやってそのPC向かって楽しんでいるPCのファンだ。でも、このPCが発展途上国の子供たちが違法労働で学校にも行かず働かされて作られていたらどうだろうか?気分が萎えるよね?萎えるぐらいならまだしも、そんなPCは使わないという不買運動に繋がる可能性もある。

そんな悪評が立たないように、そういう悪いことはしないというモラル守るのもCSRの1つなんですよ(これまたコンプライアンスな例えだな)。

この不買運動がSRI(Socially Responsible Investment)「社会的責任投資」に繋がる。

「企業に投資を行なう際に、企業の経済的な面だけではなく、企業が果たしている社会的な責任も考慮する」

SRIは投資家サイドの考え方なんですね。そもそもは、教会が寄付金の資金運用の際に、タバコやアルコール、ギャンブルなど、自分たちの教義に反する企業には投資をしないというのがSRIの原点と言われている。

「そんな子供たちが関わっているPCなら買わない」、という裏返しで言えば、どうせ投資するなら「環境にも配慮され、地域の活性化に配慮している会社」=CSRをちゃんとしている会社に投資がしたい。

もっと具体的に言うと、投資家が戦争に使われる兵器の製造企業には投資をしなければ多くの軍需関連企業は地雷を製造することに躊躇しるでしょう。児童を労働させて搾取している企業には投資を止めると宣言すれば、そのような企業は児童を働かせて利益を得るビジネスモデルを見直すだろう。

投資を通じて社会を変えていく仕組みがSRIなんですね。かっちょいいぞ金持ち!って妬ましい。

しかし投資家は所詮投資家。SRIといえども「収益性を無視しても善良な企業に投資したい」とは思っていない。善良な企業に投資し、尚かつ収益を上げたい。

企業側も、投資を受けたいわけだから、投資家のSRIに答える運営を考える。だからCSRをしっかりやってる企業が伸びる。先進的な企業はCSRを報告書にまとめ、株主やステークホルダー(これはなんだ?企業に取って利害関係にある人すべてを指す言葉かな。地域や従業員なんかも含まれる)に向けて取り組みをHP上でアピールしている。

この際のアピールポイント(ようやく僕のビジネスと繋がるんだけど)の柱は、環境、社会、財務になる。

環境はISO系の取り決めをどう守っているかということでご想像の通りのことです。

で、社会。地域貢献、ボランティア活動、ステークホルダー・コミュニケーション(地域との対話?これにNPOを使おうという文脈)、事業者(工場)見学、などなど。ここにSRIが含まれてくる。

財務はパス。

今回勉強になったことは、小さな国家並みの大企業が世の中には大勢ある。GDPで国家と企業を横並びにした場合、トップ100の中に29社も企業が入る。ちなみ59位でトヨタ自動車(380億ドル)で60位がクエート(240ドル)。国家であるクエートは税金を福祉等で国民に還元しているが、企業は利益にしているだけで地域社会に対して還元していない。だから僕たちは企業にCSRを要求するべきである、こういう活動をしている団体もあるんだって。

CSRを要求するという発想はまるでなかったので目からウロコである。ちょっと強くなった気分。

これがCSRとSRIの密接な関係である。

まとまったのかどうだかわからんちんですが、もう眠いので終わりにします。

Today's BGM is
FATBOYSLIM/You've Come a Long Way, Baby
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このアルバムの「Praise You」が大好きなのである。久しぶりにヘッドフォンで大音量で聴いたら、こんな耳障りの悪い音楽はなと思った(「Praise You」は別で)。あ、眠い時に聴く音楽じゃないということで、いい気分の時に聴いたら最高だろう!Fatboyslimことノーマンクックはどんなヤツなんだろうな?友達にいたら最高だろうなって思う。レコードだらけの機材だらけの家に遊びに行きたいよ。写真のおデブがFatboyslimではありません。

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2008年10月 6日 (月)

青空ブレスト

昨日はシェアコロ・メンバー全員集合してのミーティング。

いつものジョナサンが飽きたので、お隣りの新宿御苑でピクニックシートを敷いて『青空ブレスト!』

まあ曇り空でしたけどね。

これがよかった。適度に邪魔が入り、いい感じで気が散る。頭が冴えまくったかは別にして。

課題は学習教材事業の目玉商品の開発。これは一度僕がやりかけて挫折した物を若い二人に託した仕事。

結論。やっぱり一人の頭で考えたことなんてちっぽけだな。

ぽつぽつと雨が振り出したのでジョナサンに移動。ここからが『ブレスト地獄』(*_*)

クリエイティブにブレストのできる限界は一時間ぐらいでしょうか?

最後はAを中心に「それでいいんじゃない」という妥協的発言続発。

それでもなんとか課題だった15のタイトル決めは無事終了。

恒例の居酒屋に移動しての作戦会議。実は、現職の関係で四人が揃うことが難しくなってて、久しぶりの集合。

やっぱり四人、いいなあ。言葉の化学反応が起こりまくりで、バラバラだった思考が誰かの一言でフッと集まって、ちょっと熱をもって、誰かの一言でポップコーンのように弾ける。この繰り返し。

収益を上げるために問題が事業の後付けになっている。そこに解決したい問題がある。だからオレたちは動く(事業を起こす)。

ニワトリが先か卵が先か、に近いけど、ここは重要。こだわりたい。

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2008年10月 5日 (日)

公立校にブランディングは必要なのか?

一昨日はユースワーカー研究会。今日本で一番ホットな“それこそ”ユースワーカーの集まりではないだろうか?三鷹のF氏参戦で俄然骨太になったような気がする。今後の展開が楽しみな会である。ご興味ある方はご一報を。

今日、車を運転していて、今年はじめてのキンモクセイの香りを嗅いだ。好きな季節に好きな匂い。なんとも和む。いわれのない記憶が蘇って来るような、そんな匂い。

たらたらと企画書作り。

インターネットビジネスグランプリで広げるだけ広げたイメージを、SEEDの6ページ限定の応募フォーマットに添って収斂させていっている感じ。グランプリは、ある意味で拡散というブレストだったんだと、自分の中で落としまえをつけている。

企画書を作成しながらふと思う。ユースワーカー研究会で、某大学の非常勤講師が「大学は経営と教育の軋轢が…」と教育サイドから発言していて大変共感したんだけど、翌日、元大学の事務局の方に話すと「軋轢が無くなったら健全じゃない」と。経営が支配的でも、教育が支配的でも上手くいかない、うん、ごもっともである。

これが公立だとどうなるのか?経営の匂いが一気に吹き飛ぶ。僕はここにある種のゆるい競争を持ち込もうと画策している。キーワードはブランディングである。

で、気がついた。経営が吹き飛んでる公立校にブランディングは必要なのか?いや、ブランディングのニーズはあるのか?とした方が正しそうだ。

きっとブランディングは必要だろう。ただし教員にニーズがない、というのが正解ではないか?

と言って"ゆるい競争”による“シノギ”を噴出させ、教育界を活性化させる事業を諦めるわけにはいかない。だからダメなんだから!(何がダメかはまた別で)

教育委員会や文科省からは相当な成果を数値で求められているという。そこに対する成果を学校(運営側)は求めている。教員はシカトしている。これが先述した「大学は経営と教育の軋轢が…」にシンクロする所。

コンプライアンス的に見れば学校経営は片手落ちだと言えないか?

社内ルールや法令遵守はしているけど,社会的モラルには目を向けていない感じ。この辺がインタラクティブじゃないから見えてこないし、耳を貸す気がない、変わろうとする気がない教育者の横柄さが滲んでちょっとムカつく。

子供を教育しているという本来事業だけで誰もなし得ない社会貢献をしているのだと自負しているのだろうか?

きっと、変化を拒んでいる、変化することに恐怖を感じているんじゃないかとさえ思える。僕は変化した後の教育界にのみ未来を感じている、と言ってもいい。

学校が閉鎖的(インタラクティブじゃない)なおかげで誰が割を食っているのか?この文脈はグランプリでの企画書にも書いた流れなんだけど。

子供たちでしょ?

彼らが大きくなった先にある日本経済でしょ?427420070101_scmzzzzzzz_

変えてみせます。いや、気がついたら乗せられてたみたいな。そんなやり口を考えている(笑)

今、『CSR活用ガイド〜問われはじめた企業の社会的責任〜』というのを読んでる。どこまで 読んだらCSRがわかるのか、自分は時間を浪費しているだけじゃないのかと、非常に不安になりながら読み進めているが、企業の社会的責任という切り口から経済を知るというのは、僕のようなアウトローにはいい入門書であるようだ。

学校のCSR〜学校の社会的責任〜とは一体どんなことになるのだろうか?

Today's BGM is
Billie Holiday/Priceless Jazz
41w9e0r8pml_sl160_aa160_ レディ・デイ。44〜50年のデッカ時代のベスト盤。どんなに明るい歌でも彼女が歌うと悲しい生い立ちのせいで悲しい歌になると。どんだけ!まあわかる。その昔ジャニス辺りから遡って「奇妙な果実」を聴いて何がいいんだかわからなかった(古過ぎて録音がキツかった)が、最近はいいな、と思える感じ。デッカ以降のドラッグとアルコールに溺れていく時代にも味があるし、音質が好き。彼女作の「GOD BLESS THE CHILD」。いいタイトルだなあ。








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