教師の情報格差が、結果的に教育格差になっている!?
この間、とある打ち合わせ終了後の立ち話で、教育委員会の方にこんな質問をしてみました。
会議の流れから、暗に総合的な学習の時間や、地域連携について、という含みがあったと思いますが、
なぜ、学校間で成熟した指導が行えている学校と、そうでない学校が生まれるのか?
また、教師間のスキルやモチベーションの差はどうして生まれるのか?
その方は、割と確信に満ちた様子で「情報があるかないかです」と言った。
なんとも拍子抜けするような他愛のない理由のようにも思えたし、非常に難しい深刻な問題のようにも思えました。
あれから、僕の中でこのことの検証と、解決策と、事業化ということを同時に進行させている気がします。
検証。本当に情報がスキルやモチベーションの格差を生むのか?
生む。あることに思い当たりました。
僕の勤めていたNPO法人では、本来事業(内部)を担当するスタッフと、外部の委託事業を担当するスタッフに分かれれていました。
単純なことですが、内部の仕事は、外部という情報に出会いません。逆に、外部の仕事は常に外部という情報にさらされて仕事をしています。
僕は、退職するまでの最後の五年間、この情報にさらされていたわけです(情報を刺激という言葉に置き換えても有りだと今思いました)。
外部の担当者も、内部の仕事を週一で行うというシステムだったのですが、たまに内部の仕事をすると、どうも歯痒い。
朴訥として見えるというか…。きっと比較や評価という緊張のない牧歌的なムードの中で、これでいい、ということが内部にはあり、外部の比較や評価の中にいた自分からは、甘っちょろく見えたのかもしれません。
僕は、どこどこではこんな取り組みが成果を上げているとか、こんな委託事業があるぞ、とかを知っているし、世間並みのスキルを獲得したいという欲求も現れ、自費で資格取得をするという、高いモチベーションを得ることができました。
この経験を振り返ると、情報が、スキルやモチベーションを生むのだという話が納得できるし、デジタル・デバイドの問題に直結すると思います。
ついでに得た確信は、教師だけではなく、若者支援施設で働くすべての人々に当て嵌まると言える、ということに気付いた。
解決策と事業化については、いずれお伝えしていきたいと思います。
現状では、なぜ情報が入らないのか、また、どのような情報が必要とされているのか、引き続き検証をしていきたいと思いますし、できることなら、研究会を立ち上げたいと考えています。
で、自分たちシェアするココロが、ある輪の外に出た、ということを確か前回書いたけど、本文からの流れで言えば、内部の外である外部、その外部のまた外に出たという感覚が僕らにはあります。
情報の入り方やジャンルの幅が全然違うんです。まあ、毎日が異業種交流会ですからね(笑)
また、立ち位置の縛りが薄いので、非常に客観視できるんです。
そういう位置から、内部の人々に、ある種のプロパガンダを擦り抜け、逆に言えば、なんのフィルターや思想も通過していない自動抽出的な情報提供をしていく。
当然ここには、ウェブの力が入るわけだけど、ウェブの力でなんとかなるとは言わない。ただウェブが絡んだ方がモアベターよ、とつぶやく。
ウェブは、リアルを補うツールに過ぎない。
なんてことをしてみたい。実は実験は進んでいるんですよ。
また、これから立ち上がるハマトリアム・カフェ内のコンテンツに、ここで書いたような理念が、反映されているんです。
本来事業では、さらにグローバルに発信していきたいと考えています。
ソーシャルなイノベーションを生み出したい。それにより、最大の恩恵を受ける若者たちが、街を闊歩して欲しい。
う〜ん、久しぶりにイノベーションなんて言葉を使ったけど、ここのところ、ずっとそんな気分なのです。
Today's BGM is
The Latin Jazz Quintet/Caribé
なんか謎な人たちです。初期のエリック・ドルフィーが参加していますが、あまりそこをフューチャーして聴かなくてもいいのかなあと。逆に期待しちゃうとどうなんだろうなアルバム。それよりもコンガとビブラフォンにドルフィーのフルートという構成美というか、こういう音楽が好きな人にとってぐっと来る楽器のラインナップを楽しむのが快適なアルバムです。コンガがいい音で録れてます。