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2009年12月の7件の記事

2009年12月18日 (金)

校内放送でキャリア・ガイダンス

Image745 新型インフルエンザの猛威さめやらず、ついに僕にも影響が来ました。

体育館で200名を集めてやるはずだったキャリア・ガイダンスが、感染予防で集団にさせない対策が取られ、なんと校内放送で実施です。ぎゃふん。

多分、校内放送でキャリア・ガイダンスを行ったのは、僕が日本ではじめてじゃないかなあ(笑)

配布資料を虫喰いにして、集中力が切れない工夫をしたり、それなりに準備はしました。

いやあ、緊張したなあ、はじまるまでは(笑)。

なんか始まったら楽しくなってきちゃって。横に先生3名いましたが、なんかお構いなしで、ジェスチャーとかしちゃって(笑)

で、意外ですが、目の前には誰もいないんですけど、学校中がし〜んとして、生徒たちが集中して聞いてくれているのが感じれるんです!

これには関係者一同驚きで、体育館でザワザワやるより、効果高かったかもなんて。

「これからは校内放送でいきますか!?」と、盛り上がっちゃいました。

実は僕、佐野元春のFMに高校時代に憧れてて、4トラックのレコーダーでDJ(ディスクジョッキー)ごっことかしてたんですよ。

「では、四ページに行く前にここで一曲お届け」なんてしたかったなあ。

ちょっと、校内放送という盲点に可能性を見出だしちゃいました。

こういうアクシデントから、新たなものが生まれるんだと思いました。

Today's BGM is
The Penguin Cafe Orchestra/Preludes, Airs & Yodels
1e1d635926e04fbab5ac0906d83c0c07big 行ったり来たりの反復の美学である。飯を食い糞をして寝る僕らの、うんざりする程の日常という反復に潜む、ぐわ〜んと俯瞰してはじめて見える齟齬を、パターンとして抜き取り、ゆるく紡いでいる大勢のペンギンたち。マンネリこそが気づかせた些々な奇跡の瞬間をサビと呼ぼう。パターンから外れた時の、静寂に垣間見えるものは、希望なのか諦観なのか。眠れない夜に闇に埋没するために聴く音楽。

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2009年12月15日 (火)

若者自立塾を思う その3「これからの若者の自力支援を考える緊急フォーラム」に参加して

以下はすべての支援団体に当てはまるものではなく、僕の個人的な体験からの見解であることをお断りしておく。

Img_0775「これからの若者の自力支援を考える緊急フォーラム」に参加し、フォーラムの冒頭、宮本みち子先生の、自力塾の振り返りで、忘れていたことが走馬灯のように蘇ってきた。

宮本先生は、64万人という数字上のニートという若者たちが、実際はどんな何者なのか、当時はその実態がわからなかったと言った。

そう、わからないなか実施期間は三ヶ月が最適と判断されたのだ。

これは財務省が三ヶ月分しか予算を認めなかったからで、確か準備委員会では六ヶ月で考えていたんじゃなかったか。

ここに一つ目のズレが生じたのではないかと思う。

また、今回、実施者たちは費用対効果のカウントの仕方に疑問の声を多くあげていたが、どんな若者かわからない、実態の掴めない対象者に対して、卒塾後7割を事業目標に設定していたことになる。

これ、よくあることだろうけど、実は予算獲得のための大義名分だったんじゃないかと思うんですよ。

この仮目標的な設定がそのまま生き続けるという二つ目のズレがあったように思う。

自力塾利用者と発達障害者の関係が明確になったあの時点で、仮目標を修正し、事業目標も軌道修正するべきだったのではないか。

ちなみに僕は当時、日本で1番最初に開塾した自立塾の責任者で、開塾の半年ぐらい前からカリキュラムの構築や、地域での協力者探しなどをしていた。

その当時のNPO経営者や学者たち(すべてではないと思うが)は、ニートという若者像を「仕事をせず訓練も受けず学校にも行ってない若者」と、字面だけで受け止め、支援施設にいるひきこもり経験者と比較して「だけど外出可能で、問題がまだ比較的軽い若者たち」と、安易に読み間違えていたんじゃないかと思う。

誤算の象徴は、コミュニケーション・スキルが苦手ではあるけど、ひきこもりの対人恐怖的なものではないレベルにある状態としては軽い人たち、という、勝手な前提かもしれない。

当たり前なことだが、考えてみれば、外出しようが孤立はするのである。対人恐怖症にまでは至らないが、十分人が苦手で、支援に時間のかかる人が実際は対象となったのである。

これが三つ目のズレ。

同時に謳われていたのは、「でもって働きたくても働けない若者たち」である。

これは間違っていない。

しかし「チャンスがなかった」「時代が悪かった」だけではない複合的な理由を抱えた若者も内包していることに気付いていなかった。

ここに労働施策としてしの落とし穴ができてしまったのではないかと思う。

現に産業経済部が委託下では、労働施策では捉え切れない福祉的な課題は、声を大にしづらい雰囲気はあったように感じるし、出しても暖簾になんとかである。

当時のニートの想定をおおざっぱに振り返れば、若年無業者というピラミッドの底辺に発達障害や精神疾患を抱えた若者、そこと境界を曖昧にしながら、徐々ににひきこもりに上がってきて、そして一番上の尖んがりがニートがいた。

今でも、この説明はおおざっぱな説明としては通用するだろう。

でも、このピラミッドが上に行くほど支援がたやすいわけではないのだ。

ここに四つ目のズレがあった。

ましてや、三ヶ月で正社員にしなさいなんてのは、無茶な話しである(達成してる人たちはある意味、事業開始前の想定通りの人たちだったと言えるかも)。

どんな若者がやってくるのか、期待に胸を膨らませ、カリキュラム構築に明け暮れていた当時の僕だが、開塾してみて、それは焦りに一変した。

僕の考えていたカリキュラムでは、レベルが高すぎたのである。

僕はすぐさま、すべてのカリキュラムを見直さざる得なかった。

そう、現場は目の前に現れた若者のニーズを感じ取り、すぐさま適応せざるを得ない。そしてこれまでの考えを捨て変わった。

しかし、未だに仮目標的に立てられた大義名分のような事業成果が、実施団体に十字架のように張り付いているのである。

これで、事業仕分けで廃止宣告。

おいおいちょっと待ってくれよ。

日本生産性本部の問題(担当者来てましたね。僕も運営委員だったので複雑です)や、実施団体の品格的な問われ方もありますが、これが今回の騒動の大枠のような気がします。

どうやら別スキームに乗っけていくみたいですが、抜本的な事業の見直しの上での仕切り直しを、一関係者として求めます。

若者自立塾を思う その1
若者自立塾を思う その2


Today's BGM is
Eagles/Eagles Live
4ac55f16 ホテル・カリフォルニアというわかりやすい曲から始まるこのライブ。なんの仕掛けもなく、ほぼレコードそのままにヒット曲が惜しみなく演奏される訳ですが、それでいいんです、コーラスを含め完全再現できちゃうイーグルスのバンド力ですから。そんな中、ジョー・ウォルシュの「Life's Been Good」が、ちょっといいのである。このリンクは復活ライブだけど、やっぱ一緒なのである。楽しい。

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2009年12月12日 (土)

『こんな時代を生き抜くサバイバル・スキル』 その2

高知でワークショップをしてきました。みんな覚えていてくれて「今日は何すんの?」なんて寄って来てくれたりして、かわいいんです(笑)

やっぱ成長してるんですよ、当然なんだけど。こういう仕事は成長を感じた時がやり甲斐なんで、エネルギーもらいました。

で、タイトルのサバイバル・スキルが何かってワークショップやりましたよ。

これは100近い様々な価値観や処世術的なものを散りばめたスキル・マップから5つを選んで順位付けし、その理由と似た者スキルを探すワークショップです。

中には「下心」とか「Love」とか、オフザケネタも入れてあるんですか、まんまと「下心」選んでましたねえ、しかも第一位で(笑)

彼いわく、欲望を持つことが根源的に大事だと。真理ですねえ。

でもってこれ。クルンボルツみたいなお手本はあるけど、当然ですが正解なんてないわけですよ。

じゃあ、こんな時代を生き抜く5つのサバイバル・スキルとは何か?

それは、その人が選んだ、実は潜在的に自信のあるスキルを顕在化させ、その人が、本当のその人らしい魅力、ポテンシャルを十二分に発揮していくことだと僕は思います。

だって、時代に合わせて価値観を変えていくほど、人って器用じゃないじゃないですか?(やばい、クルンボルツの「柔軟性」を否定してる…。最近、自分の言ってることのほつれがね、あるんだよね。それが大人だよね、なんて)

時代にフィットさせるんじゃなく、その人らしい魅力をパーンと出せることなんですよ。

で、そのパーンをさせないのが自己肯定感の不足なんですよ。

だから、やっぱ究極的には、今回のスキルマップにも忍ばせといたけど「自尊心」とかね。

なので、この後に短所を長所に変え、自己肯定感を持ち上げる僕の鉄板ネタのワークショップで、みんなで協力しながらサバイバル宣言を作成しました。

みんな、あの宣言通りに頑張れよ!

僕にできるのはここまでです。こないだ国立青少年交流センターの北見さんが言ってた「非日常できっかけを作り、日常に繋げていく」が大切なんです。

コニー先生、大変お世話になりました。龍馬空港と学校の往復4時間のドライブは、お互い貴重な時間でしたね。ありがとうございました。

「折れない心」なんてのもありましたね。がんばりましょう。

Today's BGM is
George Harrison/Cloud Nine
41xpcp4x39l_sl500_aa240_ これはジョージ会心の80年代のアルバムじゃないかな?これまでのスペクターが作る分厚音像とジョージの繊細な声って合わないんですよ。それよりもジェフ・リンのカラッと整理された音の中での方が、その憂いが際立つし、スライドなんかも艶やか。ジェフがポール系の洒落者だから、またビートルズを彷彿させたりして。どっかいっちゃったんだけどジェフの「アームチェアー」が聴きたい!この頃の、トラベリングだとか、トム・ぺティのジェフ作品はいいんだなあ。

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ロングツイート

「若者自立塾を思う その2」 に、若者自立塾実施者の方からコメントを頂きました。ちょっと実施者の方々の感情を無視した内容かな、なんて気にしていたのですが、非常に共感して下さっている様子で、ちょっと嬉しかったです。

来週の12月14日(月)の18:30〜20:30から、「若者支援のこれまでと、これからを考える緊急フォーラム」 に、K2の岩本真実さんをはじめ、三鷹の文化学習共同ネットワーク、ワーカーズコープの若者自立塾の実施団体が三団体集まり、現場の人達がこれからの若者自立塾を語ります。これは参加して来なくては、思っています。

あと、上記のフォーラムでも参加予定の宮本みち子さんが関係している札幌の高校のドキュメンタリー福祉ネットワーク 子どもサポートネット「若者たちの“社会的排除”を防ぐ(1)」 が、同日の20:00から放映。昨日の内閣府の地方委員会で是非観て欲しいと先生が仰ってました。

学校をワンストップショップにしちゃおうという取り組みだそうです。その発想はなかったなあ、という驚きと、そりゃあ無理でしょうという心配が渦巻きますが、いったいどうなっているのか、大変興味あり!だれか録画しておいて〜。

今日は、これから元自立塾生2名と相談ランチして、その後は、青葉区で相談員してます。

Today's BGM is
Eric Clapton/Unplugged
Ericclaptonunplugged ついつい聴いてしまう一枚ですね。ジャーニーマン辺りからのクラプトンのボーカリストとしての完成度の高さはほんとやられます。僕はギタリストよりも歌手、そしてソングライターとしてのクラプトンが好きなんです。で、この企画の最大の魅力はクラプトンの人間臭さを引き出したこと。神じゃなく人だったんだ、みたいな。サンフランシスコ・ベイ・ブルースの楽しげなカズー、ストローク一本槍でただ楽しむ感じが最高!

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2009年12月 9日 (水)

『こんな時代を生き抜くサバイバル・スキル』その1

去年、前職で仕事をさせていただいた高知県の定時制高校の先生から「こんな時代に必要なもの」的なテーマで、総合的学習の時間を使ったワークショップをして欲しいというオファーがあり、いま移動中です。

まずは、看板の変わった僕にオファーしてくれたコニー先生に感謝!

独立起業した者にとっては、何よりもの励みと自信になる出来事でした。

また、去年僕が企画した『ペテン師の宴』というワークを今年は、コニー先生が実施したと聞き、自分のしたことが教育現場で根付いたことに感激しています。

こういうモチベーションが上がりまくる出来事の連続がいい仕事をしてるって状態なんだろうな(笑)

でもって今年のテーマ「こんな時代に必要なもの」。

僕は正直、この問いの前でしばらくフリーズしてしまいました。うちのデザイナーに聞いてみると、どの時代でも大切なものは普遍的であると…。

あんたは教壇に立たないから好き勝手言えていいよ、なんて言っちゃいましたが、妙に納得しちゃって。

ここは一つのポイントな気がします。時代にシフトしない。

こんなこと書くとアレですが、コニー先生のオーダーはいつもこんな調子で僕を悩ませます(苦笑)。

それだけ定時制高校の先生方(生徒)が抱える課題は、テクニカルなことではなく、もっと根源的ということなんですよね。

本当に生徒のことを考えたら、お仕着せの進路指導じゃ済まないということを肌で感じている危機感の現れなんだと思うんです。

いやあ、悶絶しながら企画させていただきましたよ。名付けて『こんな時代を生き抜くサバイバル・スキル』

あれ?

はい、ちょっと前に僕が書いたブログのタイトルです。シンクロニシティということだと思います(笑)。

最近、自己肯定感についても最近書いてますが、知らず知らずに、無意識に自己肯定感の芽生えが起こることが狙いになってるワークショップです。

ワークショップ終了後、サバイバル・スキルについて更に書いていきたいと思います。

では、行ってきます。ちゃお!

Todays BGM is
Moby Grape/Moby Grape
こないだ「ブログいつも読んでますよ、BGMのとこだけね」と言われ、非常にずっこけましたが、ある意味本望です。モビーグレープは、恐らく100%はっぴいえんどを経由してたどり着くバンドだと思うんですが、ギターのフレーズ、コーラスアレンジにモトネタ感ありですが、はっぴいえんどファンが満足する感じではビミョーにないので、浸透しないバンドなんだと思いますが、バーズみたいでいいですけどね。

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2009年12月 7日 (月)

生活保護世帯で起きている家庭内搾取の問題の件

宿を失った人たちに、生活保護を申請させ、施設に入所させるという無料定額宿泊所が問題になってます。

救われてる人も多いんじゃないかとも思いますが、まあ、保護費を搾取しているんじゃないかと。

ちなみに、山本譲司氏の『累犯障害者』の中にも、似たような問題は取り上げられてて。

それは、やくざのような男が、自分と二つ三つしか変わらない歳の養子(知的障害者)を何人も抱えて、タコ部屋にぶち込んで、彼らの障害者年金を搾取しているというもの。

恐らく、生活保護費も入ってたんじゃないかと思いますが、まあ、あるんですね、現実に。

で、僕が今回書きたいのは、こういうことが赤の他人同士だけに起きている問題ではなく、生活保護世帯の家庭の中、親から子どもへの搾取は普通に起きている、という事実です。

以前、生活保護世帯の若者にアウトリーチ(家庭訪問支援)をしていました。そこで彼らの暮らしぶりを目の当たりにしてきたわけですが、かなり大きな衝撃を毎回受けていました。

日本でこういうことがあるんだというカルチャー・ショック。まさにアナザーサイド・オブ・ジャパンでした。

そのなかでも強い憤りを感じたことの一つは、家庭内搾取の問題です。

例えば、40代の母と高校生の娘というまったく同じ家族構成の生活保護世帯があるとします。

手当て的な差はあるかもしれませんが、当然、もらえる保護費は同額なわけです。

しかし家の中の様子、暮らしぶりには雲泥の差があったりします。

結局これは、母親が保護費を何に使っているのか、という問題なわけです。

ギャンブルやアルコールで使い果たす母親もいれば、娘の保護費をちゃんと教育に充てている母親もいる(この差は保護受給開始理由と、受給年月が相当影響していると実感しています)。

子どもの保護費をアルコールやギャンブルに使っているというのはまさに搾取です。

今時、ありえないような多子世帯などは、子どもが保護費獲得の手段なのではないかと疑いたくなるほどです。

保護費の使途について、福祉事務所、ケースワーカーはもう少し踏み込んだ対応ができないのでしょうか?

元来、そういう管理が苦手な人たち、という側面も否定できない事実なわけだし、親の養育能力が未熟であるために、その子どもの発達に支障をきたす恐れがあるとして、青年後見人制度的なものが適用されるとか。

僕は、就労支援として生保世帯に介入していたわけでせが、就労支援というのは、生活の中のほんの一部の支援でしかないんだと、この時に痛感しました。

どんなにコミュニケーション・スキルを上げ、それらしい履歴書を書かせても、約束を守るみたいなモラルや、朝、ちゃんと起きるみたいなとこからテコ入れしないと、本当にどうにもならない(こういうことに踏み込めるのが事業仕分けで廃止となった若者自立塾のような宿泊型の支援なんですけどね)。 

せっかくバイトをはじめても、また親の搾取にあう子たちとか…(或いは保護費減額を懸念して働かせない親も多いとか)。

生活保護の仕組み自体を一度見直さないと、どんな支援をしても負の連鎖を断ち切る保護廃止までの支援は、現状では大変困難だと感じました。

とにもかくにも、子どもの保護費が正しく子どもに使われる仕組みを無料定額宿泊所問題とセットで考えましょう。

Today's BGM is
Santana/Santana
Stn サンタナって、ダサカッコいいっす。後追い派の僕だと、ウッドストックのあれでやられて。ただ、正直あれだけじゃ入り切れないと思うんですよ。あれがドアの前。じゃあ、どう入るのか?コンガにオルガン、僕はある意味レア・グルーブとして受け入れてて、サンタナのギターは泣いているなあとは残念ながら聴いていいないんです。アドリブ性の低い一諸歌いのボーカルなんかがヤサグレてて好きなんす。

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2009年12月 2日 (水)

発達障害の学習会では学べない若年者就労支援に必要なこと

これまで、何度か発達障害についての学習会に参加してきました。

講師になる方は、福祉施設の責任者のような方か、大学の教授のような方が多く、非常に勉強になります。

皆さんが「福祉の長い歴史の中で今ブームになっている発達障害」という、俯瞰した目線で語られるのは、目の前の若者に翻弄されっぱなしの就労支援業界の者としては、ちょっと救われるんですよね。

でも、ちょっと厭味かもしれませんが…。確かに知識はつきます。しかしながら、就労支援の現場で役立つ、使える“技術”には残念ながらならないと思うんです。

このような学習会で何を学ぶかざっくりといえば、「見立てと支援方法」です。

今、若年者就労支援の現場で必要なのは、見立てから専門的な支援に繋げるリファー(そんな場所があるのかという議論はまた別の機会に)。

そのリファーを可能にするための本人と家族の障害受容です。

結局、そこの繋ぐ技術が棚上げされ続けていく中で、現場的専門スキルがないままに、就労支援施設が支援出来るように(しかたなく)なろうとしている実態があるように思います。

(ちなみに個人的な意見ですが、一つの施設で支援を完結させようとする「ワンストップ」という発想の背後にあるオールマイティ(全能)感は、見えない落とし穴を生むと思ってます)

このことで救われる発達障害の方々もいるでしょうが、特に国や地方からの委託事業で行っている施設の場合、事業成果が上げにくくなり、結果、今回の事業仕分け的な問題にぶつかってしまうでしょう。

また事件、事故のリスクも高まるでしょう。発達障害の方々の葛藤のメカニズムのようなものはもっと知られるべきテーマだと思います。

やはり、各エリアのしかるべき施設へのリファーが重要だと僕は思います(門前払いではなく)。

以前、「スーツを着た発達障害者たち」ということを書きましたが、問題なのはやはり彼らの無自覚性なんです。

本人、或いは保護者に自覚がないから、ハローワークやサポステのような支援現場に現れるわけです。

働きたくてやって来た人たちを「障害者」と名のつく施設へあなたは行くべきとは、なかなか言えないですよ(ここで起きたトラブルという事例は相当数非公式にあるはず。僕も経験あり)。

僕はサポステで二年以上かけて、高学歴でADHD傾向の強いアスペルガーの方を発達障害支援センターにリファーしたことがありますが、ほんとに大変でした。

スタッフの中で、彼と信頼関係を作り指示的アプローチができるのは、僕しかいませんでした(僕もたまたまウマが合ったとしか言いようがない)。

障害性に無自覚な彼らを一次的に発見する学校、二次的に発見する就労支援施設。福祉施設に行くのは自覚のある受容が一定程度進んだ方の対応なんだと思います。

長々と書いてきましたが、僕らが知りたいことを誰に教わるのかといえば、これは大学の教授や福祉施設の方々からではなく、就労支援施設で僕が経験したような暗黙値を、支援者が集まり形式値に変える作業をすることじゃないと、誰も教えられない領域なんじゃないかな、そう思いました。

その時に、どう福祉領域の方々にオブザーブしてもらうかも大切なことですね。

Today's BGM is
Dan Baird/Love Songs For The Heraring Impaired
F0103057_15283984 この人覚えてますか?この子じゃないですよ(笑)ジョージア・サテライツのボーカル、そのファースト・ソロがこれです。まあ、音楽性はそのままサテライツっす。とにかく音がいいロケンロールなわけですが、民生ちゃんの股旅あたりの元ネタなんじゃないかと僕は睨んでます。ミックスとかトーン、ギター日本の役割が相当似てますよ。民生ちゃんファンにもお勧め。スカッとしたロケンロールが聴きたいときはこれです。

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