以下はすべての支援団体に当てはまるものではなく、僕の個人的な体験からの見解であることをお断りしておく。
「これからの若者の自力支援を考える緊急フォーラム」に参加し、フォーラムの冒頭、宮本みち子先生の、自力塾の振り返りで、忘れていたことが走馬灯のように蘇ってきた。
宮本先生は、64万人という数字上のニートという若者たちが、実際はどんな何者なのか、当時はその実態がわからなかったと言った。
そう、わからないなか実施期間は三ヶ月が最適と判断されたのだ。
これは財務省が三ヶ月分しか予算を認めなかったからで、確か準備委員会では六ヶ月で考えていたんじゃなかったか。
ここに一つ目のズレが生じたのではないかと思う。
また、今回、実施者たちは費用対効果のカウントの仕方に疑問の声を多くあげていたが、どんな若者かわからない、実態の掴めない対象者に対して、卒塾後7割を事業目標に設定していたことになる。
これ、よくあることだろうけど、実は予算獲得のための大義名分だったんじゃないかと思うんですよ。
この仮目標的な設定がそのまま生き続けるという二つ目のズレがあったように思う。
自力塾利用者と発達障害者の関係が明確になったあの時点で、仮目標を修正し、事業目標も軌道修正するべきだったのではないか。
ちなみに僕は当時、日本で1番最初に開塾した自立塾の責任者で、開塾の半年ぐらい前からカリキュラムの構築や、地域での協力者探しなどをしていた。
その当時のNPO経営者や学者たち(すべてではないと思うが)は、ニートという若者像を「仕事をせず訓練も受けず学校にも行ってない若者」と、字面だけで受け止め、支援施設にいるひきこもり経験者と比較して「だけど外出可能で、問題がまだ比較的軽い若者たち」と、安易に読み間違えていたんじゃないかと思う。
誤算の象徴は、コミュニケーション・スキルが苦手ではあるけど、ひきこもりの対人恐怖的なものではないレベルにある状態としては軽い人たち、という、勝手な前提かもしれない。
当たり前なことだが、考えてみれば、外出しようが孤立はするのである。対人恐怖症にまでは至らないが、十分人が苦手で、支援に時間のかかる人が実際は対象となったのである。
これが三つ目のズレ。
同時に謳われていたのは、「でもって働きたくても働けない若者たち」である。
これは間違っていない。
しかし「チャンスがなかった」「時代が悪かった」だけではない複合的な理由を抱えた若者も内包していることに気付いていなかった。
ここに労働施策としてしの落とし穴ができてしまったのではないかと思う。
現に産業経済部が委託下では、労働施策では捉え切れない福祉的な課題は、声を大にしづらい雰囲気はあったように感じるし、出しても暖簾になんとかである。
当時のニートの想定をおおざっぱに振り返れば、若年無業者というピラミッドの底辺に発達障害や精神疾患を抱えた若者、そこと境界を曖昧にしながら、徐々ににひきこもりに上がってきて、そして一番上の尖んがりがニートがいた。
今でも、この説明はおおざっぱな説明としては通用するだろう。
でも、このピラミッドが上に行くほど支援がたやすいわけではないのだ。
ここに四つ目のズレがあった。
ましてや、三ヶ月で正社員にしなさいなんてのは、無茶な話しである(達成してる人たちはある意味、事業開始前の想定通りの人たちだったと言えるかも)。
どんな若者がやってくるのか、期待に胸を膨らませ、カリキュラム構築に明け暮れていた当時の僕だが、開塾してみて、それは焦りに一変した。
僕の考えていたカリキュラムでは、レベルが高すぎたのである。
僕はすぐさま、すべてのカリキュラムを見直さざる得なかった。
そう、現場は目の前に現れた若者のニーズを感じ取り、すぐさま適応せざるを得ない。そしてこれまでの考えを捨て変わった。
しかし、未だに仮目標的に立てられた大義名分のような事業成果が、実施団体に十字架のように張り付いているのである。
これで、事業仕分けで廃止宣告。
おいおいちょっと待ってくれよ。
日本生産性本部の問題(担当者来てましたね。僕も運営委員だったので複雑です)や、実施団体の品格的な問われ方もありますが、これが今回の騒動の大枠のような気がします。
どうやら別スキームに乗っけていくみたいですが、抜本的な事業の見直しの上での仕切り直しを、一関係者として求めます。
若者自立塾を思う その1
若者自立塾を思う その2
Today's BGM is
Eagles/Eagles Live
ホテル・カリフォルニアというわかりやすい曲から始まるこのライブ。なんの仕掛けもなく、ほぼレコードそのままにヒット曲が惜しみなく演奏される訳ですが、それでいいんです、コーラスを含め完全再現できちゃうイーグルスのバンド力ですから。そんな中、ジョー・ウォルシュの「Life's Been Good」が、ちょっといいのである。このリンクは復活ライブだけど、やっぱ一緒なのである。楽しい。