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2009年10月4日 - 2009年10月10日の3件の記事

2009年10月10日 (土)

『累犯障害者〜獄の中の不条理〜』を読み思う

何年か前に、法務省のお仕事で保護司の方々への講演をしたことがありました。410302931501_sclzzzzzzz_v40026584_

その会の冒頭、法務省の方から、出所後の再就職と再犯率の関係についての説明がありました。

簡単に言えば、ご想像の通り、出所後に仕事にありついてる人たちの再犯率は非常に低く、ありつけなかった人たちは非常に高いです。

想像に難しくないこの事実ですが、想像したことなかったので、非常にショックを受けました。

その後、その会で知り合った数人の保護司の方々とコンタクトを取り、自分自身のスキルを活かせないか、などと考えていた時期がありました。

その頃、顔なじみのケースワーカーから、山本譲司さんの『累犯障害者』を紹介されていたのですが、読むきっかけがないまま今日まで来ましたが、ついに読みました。

一般の方々よりは、障害者を取り巻く現状を知っているつもりでしたが、ここまで壮絶な現実がこの日本にあるとは…、絶句。

僕は、昔に支援したある青年を思い出しました。

生活保護世帯で、一度、住居不法侵入で少年院に入っていたことのある青年です。

会う前は、所謂札付きのワルを想像し、こちらも相当緊張して接見したのですが、目の前に現れたのは、小柄で人懐っこい、恥ずかしがり屋の青年でした。

付き合いが進むうち、彼は軽度の知的障害があるのではないかと思うようになりました。

ひょっとすると、彼の中では他人の家と自分の家の境界がかなり曖昧にしかわかっていないのではないか?

そういう思いが強まったある日、福祉事務所の方々とのケース会議で、知的障害の可能性を感じている職員はいないか、質問したことがありました。

驚いたことに、担当のケースワーカーは、彼が危険物取り扱いの資格保持者だということを理由に、知的障害の可能性を否定したのです。

この時に感じた福祉行政の脆弱さが、『累犯障害者』を読み、氷山の一角に過ぎないということがわかりました(その後の法改正でどの程度、改善されたかわかりませんが)。

本書終わり間際に、日本の知的障害者が459000人であるというデータに対して、山本譲司さんの見解が紹介されていました。

人類における知的障害者の出世率は、2〜3%といわれている。459000人だと、我が国の知的障害者の出世率は0.36%ということになる。459000人は障害者手帳を取得している人の数であり、本来的には240万人から360万人いてもおかしくなく、いかに福祉というセーフティーネットの網の外に知的障害者が生活しているかと。

僕もそういう若者にいっぱい会ってきましたので、山本譲司さんの仮説は定説であるであろうと支持いたします。また、発達障害のある方の就労の困難さを痛感している身として、出所後の再就職と再犯率の因果関係は胸が詰まります、

網の目が1番強固でなければならないはずの教育の現場から、こぼれ落ち、見放されている現状に対して、今後少し考えを巡らしていきたいと思いました。

書きそびれていましたが、『発達障害の子どものユニークさを伸ばすテクノロジー』という本 も読みました。彼らの必要としているテクノロジーは相当ローテクです。しかし、それを受けれる社会的土壌、所謂ノーマライゼーションという価値観がまだ日本には根付い80582961ていないないというのが問題だと思いました。

また、『累犯障害者』の中で、ろうあ者の問題も取り上げているのですが、そのなかで、聾学校では「1+1=2」と理解することよりも「いちたすいちはに」と言えることの方が重要とされているというエピソードを読み、上記のテクノロージーの本を思い出しました。

福祉国家とは何か?

いろいろ考えちゃうなあ。

Today's BGM is
Creedence Clearwater Revival/Bayou Country
B000000xca01_sclzzzzzzz_ 皆さんCCRはどうやって楽しんでいます?レコが安いんでほぼアルバムで持ってますが、もっぱらCDのベストで済ませてます。時代であんまり変化ない連中だから、またベスト盤がすんなりくるんだ(笑)で、たまにアルバムを聴くとガツンと来ちゃって、やっぱアルバムだなと。このバンドとしての一体感あるグルーブは最高だ。「Penthouse Pauper」とかさ、もうどうにでもして〜と虚脱します。

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2009年10月 6日 (火)

シャッフルという出会い直し

昨日のBGMにも書いたけど、今、僕のiPodには一万三千曲以上の曲が入っています。

アルバムには聴きの浅さ深さがあるけど、当然のことながら僕の頭の中には、すべてのメロディとタイトルとアルバム名が記憶されているわけではないです。

それらがシャッフルされて、止まることのない波のように、僕の鼓膜を代わるがわる打ち付けてくるわけです。これは、アナログ時代には有り得ないテクノロジーの一つですよね。

そして訪れるのが、快楽の音楽的錯誤。

ジャミロクワイ?いや、ジョニ・ミッチェルだよな。違ったスティービー・ワンダーだったか!

ジャクソン・ブラウン?こんなカッコイイのあったっけ。え、ノラ!ってことはリチャード・ジュリアンか。なんだリトルウィリーズかあ。

こんなことの連続で、そこそこだった曲が名曲に格上げされていく。まさに音楽との出会い直しをしているよう。

いまだに、中学から高校にかけて擦り切れるまで聴いたレコードは、超イントロドンですが(古っ)

前置きが長くなり、音楽に興味のない人には退屈でしたでしょうが、何が言いたいかというと。

人同士の出会い直しの機会があるといいよね、人間シャッフルがね、と。

毎年、奇跡的な盛り上がりをみせる我が団地の運動会や夏祭りなんかが、ある意味、伝統的な人間シャッフルな場だったわけですが、昨日のブログで書いたように他人事が完璧に他人事な人も多く、よくよく見てると、いつも盛り上がってるのは同じママさん。

シャッフルされてないんです。

今年の夏に、こんなことがありました。

道路一本で隔てた隣の団地の夏祭りに参戦したところ、盆踊りの振り付けが違うから、踊りの輪に入れないと、我が団地の女子供がジタンダを踏んでいるんです。

きよしのズンドコ節のような最新ヒットチューンの踊りが違うだけならまだしも、スタンダードの炭鉱節なんかも違うのですよ。

いいじゃん、いいじゃん、とけしかけるんですが、女子供の間で何か勃発の恐れがあるのか、踊らずじまい。

こんなところにも情報細分化の弊害か? みたいな。

現代社会は、人間シャッフルの機会を失っていると言いたいんです。

ぐっと仕事モードに切り替えますが、定時制高校の授業を拝見していると、クラスがヤンキーとヒッキーで二極化しているように見えます。

恐らく、もっと複雑なタイプ層に別れるんでしょうが、話を聞くと、同じクラスメイトと話をしたことがない人が相当いると。

お気づきでしょうか?

はい、メイトじゃないんです(メイトってなんだ?)。

でですね、私、こいつらをシャッフルしちゃえと思い、そういうワークショップをしてみました。

結果はなんともいえませんが(苦笑)、コンセプトとしては、話したことない同士なんだけど、実は同じゲームにはまってるとか、共通の趣味や興味を発見することで、一人で下校してた生徒が、二人で帰るようになって、その結果中退率が減った、なんていう美談な成果を期待したワークショップでした。

まあ、現実はそんなに甘くないわけですが、シャッフル=出会い直しというコンセプトは、団塊の世代の地域デビュー等、様々なシーンで発想が流用可能なんじゃないかと思うわけです。

買っただけで安心して、あんまり聴いてなかったり、第一印象が悪くて聴かず嫌いだったりしてるCDありませんか?

出会ったような気になってるだけでまだちゃんと出会ってない人が、近くにいませんか?

一時期、リセットという言葉をよく使ったけど、シャッフルに切り替えよっと。

Today's BGM is
Bobby Charles/Bobby Charles
7d7f5947 これは福生に越してきた24のとき、当時あった「グリグリ」というバーで知ってはまったアルバム。個人的にはスイカを食ってる裏ジャケの方が表な感じ。ザ・バンド辺りから入る感じでしょうかね。この鷹揚なノホホンなフィーリングはなかなか凡人には出せませんよ。黒人のようなという形容が良くされていますが、なんとも解せません。デビュー当時はそうだったのかな?「Small Town Talk」のためだけに買っても損はしません。残念ながらシャッフル登場は今までありません。

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2009年10月 5日 (月)

他人事を自分事で考える

タイトルは、ハマトリアム・カフェの新コンテンツ「ラウンジミーティング」の予告キャッチに使おうと思って温めていたものです。

なんだけど、どうも簡潔に語れないんで。こっちにその気分をダラダラ書いておこうと思います。

テレビの中の他人事には「最近涙腺弱くてさ」と涙を流すが、ご近所さんのことには無関心。あ、これ、正直僕です(苦笑)

でも、みんなそうじゃないっすか?

コミュニティの崩壊とかって、他人事が本当に他人事になったってことなんじゃないのかなあ?

そんなことを思いつつ。これはちょっと置いといて。

若者の支援をしていると、結局、地域の力に頼らざる得ないことに痛感するんですよ。例えば、日夜相談にのっているこの僕の言葉には暖簾になんとかだったのに、インターンシップから帰って来たら目の輝きが違ってる。なんてことがよくあるんです。

話を聞いてみたら「おまえならこの業界で食っていける」と言われたとご満悦。

そこで一句。

その言葉 昨日俺も 言ったじゃん…(# ̄З ̄)

そうなんですよ。同じ言葉でも、言う人が変わるだけで、言葉というやつは響きが変わるんです。

僕の持論ですが、言葉の響きが一番弱いのは両親。次が先生(ただし両者の言葉は、人生の成熟とともに後から響きはじめる)。

割と響きの良いのが我々支援者。しかし、我々も同じ釜の飯を食い続ける事で家族化し、力を失って行く…。てことで、最強なのはなんと言っても地域の一般ピープルな方々の言葉なんですよ。

この人たちが他人事を他人事としてしまうことの勿体なさ。正確には他人事を他人事のようなそぶりをしている切なさが勿体ない(あ、置いといた話を戻しましたよ)。

地域に出て、インターンシップの受け入れを商店や企業にお願いして回ると、実はみんなお節介焼きだったり、誰かのために何かしたいんだけど、そのきっかけがなかったりしてるだけ、という人が実に多い。

ちなみに「善意のアウトプットを持たない未知のボランティアーに、ウェブ上にアウトプットを用意する」というリソースの発掘がシェアコロ立ち上げのコンセプトにあって、それはこのような経験が下地にあるんです。

ああ、ダラダラしてていいなあ、ここは(笑)

うん(変に納得した感じを表現してみました)。

ですから(これ以上書かなくても、もうあネタばれしてる感もあるし、わかるよね、という思い込めてみました)、

他人事を自分事に変える装置を編み出せば世界は変わるんじゃないかと…。

「…」(これはちょっとでかく出過ぎたかな、という意味が滲んでます)

まあ、その志しはありますよ。

そういう思いをはじめて直接的に狙って企画した企画が、今回のラウンジミーティングの下地となった市民ケースカンファレンスというワークショップです。

これは社会的な実験だと僕は思います。是非、皆さんにも参加してもらいたいです。

誰かのことを真剣に考えてると起こる現象があります。これも大事なことなんですが、なんだと思います?

それは「自分はどうなんだろう?」という自問がはじまるんです。そのとき、人はちょっと成長することができる。この仕事の醍醐味だと僕は感じています。

そう、他人事を自分事にしながらみんなが相互に成長していく。なんかとてもピースフルな感じですよね。そういうのやりましょうよ。

ここまで書いておいてワークショップやコンテンツの内容に触れていないことに気付いてしまいました。

ま、それはまた次回、ちゃお(汗)

Today's BGM is
Steely Dan/Pretzel Logic
Steelydanpretzellogic (恥を忍んで)正直、聴きが浅いなんだけど、シャッフルという技術が、浅聴きのアルバムにスポットを当てるんす(笑)。「Monkey in Your Soul」がいきなりかかって、誰!?となったわけです。コレクションの記憶を辿るわけです。そこで誤変換する脳。この場合、デビッド・ボウイに辿り着いちゃって。かっちょいいじゃんボウイ!とか思ってアルバム名をチェックしたらこれだったと。それから大好きです。シャッフルという名の出会い直し。

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