« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »

2010年2月の11件の記事

2010年2月26日 (金)

困難を抱えながら就労する“中間的労働”としての「在宅ワーク」の可能性について語り合うイベントやります!

ハマトリアム・カフェのアフターアワーズで連載している「在宅ワークについて語り合う」の番外編、『在宅ワーク・アカデミー』を開催いたします。詳しくはこちら

私もディスカッションのコーディネーターとして(なんかこういう仕事増えたなあ)、企業の方と参加します。

実際のどうなんだろうなあ、在宅ワークという引っ掛かりを支援者は持っているわけで、その辺の引っ掛かりを上手くポジティブにつなげていきたいと思っています。

在宅ワークアカデミー開講!」

日時:平成22年3月2日(火)午後2時から4時

場所:岩崎学園ビル806号室

| | コメント (2)

2010年2月25日 (木)

『「結果を出す人」はノートに何を書いているのか』という本を読んだ

この間、とある質疑応答で「いつもどんな本を読んで勉強しているのか?」と聞かれたんだけど、なんか照れ臭くて上手く答えられず「あんまり読んでません」とウソをついちゃいましたメンゴ(*´ェ`*)

僕はこの業界で仕事を始めたとき、染まっている人が多いと感じ、自分は「5年は業界本を読むまい」と心に決めました。まあ、ぶっちゃけ興味があってはじめた仕事でもないので(笑)

だったら素人感覚とか実感とか生活ベースで考える事を大切にしたいと。それは前職の理事長がそういうことを大切にする人(アンチ・ライセンス派?)だった影響もあるかもしれません。

自分が小説を書いていたこともあり、結局6年ぐらい業界本は読まず、大江健三郎を筆頭に純文学系の小説を読み漁ってました。

率直に自分の武器(災にもなりますが…)は「言葉にできること」だと思ってますが、こういう経験の影響があるのかもしれません。ちなみにバンドも日本語にこ41jcne7folだわった歌詞でやってましたよ。

『「結果を出す人」はノートに何を書いているのか』という本を読んだメモをブログに残して 置きたかっただけなんですが、ヒストリー的な話しを始めると非常に長くなるのは歳ですかねえ(苦笑)。今amazonの書評を見たらかなり評判の良い本なんですね。

シェアするココロのオリジナルセミナーで「メモ取りワーク」とうのが、ご好評をいただくことが多いのですが、そのセミナーを強化しようとアンテナ張っていたところ図書館で見つけた一冊です。かなり、ハック系の本とノリや内容が被るので、その手の本をすでにお読みの方は斜め読みで太字だけ追えばいいと思います。まあ、僕がそれ。

ちなみに僕は割とメモ魔で文房具フェチ(著者との共通点)。

以下、共感の高い参考になるポイントを要約引用。

  • 誰もが毎日、同じように仕事をしているはずなのに、その経験が成果につながり報酬に変わる人とそでない人の差はノートの使い方である。正確には積極的に記録(経験の貯金)している人としていない人の差。
  • グーグルで検索ができるのは、他人の知識と経験だけ。
  • 社会人のノートは暗記するためではなく忘れるために使う。
  • 思いつきを拾う「メモノート」と、情報の基地となる「母艦ノート」、「スケジュール」にわける。
  • 1コンテンツ、1ページが基本
  • アイデアというのは、意外と本来関係ないものから生まれることが多いので、ノートは情報を時系列にどんどん記入して一元化していく(スケジュール帳が目次となる)。
  • ポストイットのベースステーションを背表紙に作る。

Image926_2
早速、チビのメモノートとペンを購入、実践してます。移動中の閃きをキャッチ!でも、同じ役割をツイッターもできるんですよね。

昨日の、「ヨコハマ・ユースフォーラム」で、岩崎学年の植田さんが、若年無業者に対して有効なカリキュラムのひとつは資格取得による自信の獲得だとおっしゃっていましたが、それを支援者側から見た場合の注意点になることがこの本に書いてありました。

  1. 何のために資格を取るのか考える(目的の明確化)
  2. 取った後の自分の姿をイメージする(資格の活用)
  3. 資格取得までの期間とプランを立てる(期限設定と計画立案)

結局、ここを怠ったまま資格取得した若者が、取った後に立ち往生しているケースがあまりにも多い!

本日は、足立区社会教育委員に出席です。大好きな図書館の利用について。終了後は大好きな懇親会!今週は呑みが多過ぎです(^-^;

Today's BGM is
Bob Marley & The Wailers/Songs Of Freedom [Disc 1]
Songs_of_freedom_medium 4枚組のボックスの1枚目。若く初々しいというよりあどけないボブ。レゲエではなくスカなウェイラーズ。最初は嫌いでしたが、段々耳馴染んで。丁度このDiscはレゲエへの過渡期を捉えていてドキュメントとしても面白い。ていうかこのジャケのギター。4弦がないんです。僕は若い頃、キースが6弦外している例もあるので、これはあのカッティングをするために外しているのかと思っりして。果たして真相はいかに!?

| | コメント (2)

2010年2月24日 (水)

第三回ヨコハマユースフォーラム雑感

昨日は第三回ヨコハマユースフォーラムでした。大勢の方に起こしいただき、ありがとうございました。

これまでウェブ上だけのお付き合いだった札幌サポステの松田さん、横浜のLittleRingさん、やっと会えましたね!またつながりました(^O^)/

フォーラムの内容については追ってハマトリアム・カフェで紹介させていただくとして、僕の雑感を。

昨日、あのパネルディスカッションの列に、しかも僕の隣に本田先生がいたというのは非常に刺激でした。22なぜか笑顔の私。

僕が横からチラミしたのと本田先生の発言をつなぎ合わせると、本田先生はメモ魔で図フェチで自虐的だということがわかりました(笑)

本田先生が自嘲しながら何度も「ホンタイ」という言葉を使っていました。

それは文脈により、学校であり企業だったり、自治体であり政府であるわけですが、研究者として、問題の糸口を手繰れば必然的に辿り着くテーマなわけで、そこを熱心に考え憤っている。

研究者としてピュアな方だなあと印象を持ちましたし、大局的な視点の高さと、等身大の憂いにはリスペクトです。

現場は現場で目の前の若者たちの今と未来を真剣に考えていると、強く感じました。

まあ、いつもOA(オンザアルコール)でもOFFA(オフザアルコール)でもあんな話しをしているのですが。今度、OAパネルディスカッション(OAPD)っていう夢の企画を実現させたいですね(笑)

僕は、現場に現れていない大多数の若者に対して思いを馳せるようになってきています。

何度か書いてますが、64万人のニートのうち、施設利用しているのは恐らく4万人に満たないのです。僕の仮設の裏付けとして本田先生の調査で、支援情報を持つニートは全体の0.2%だと言ってましたね(質問しそびれましたが、ちょっと少な過ぎのようなリアリティあるような。母数が何か知りたい)。

何が言いたいかというと、みんながバラバラな対象に思いを寄せ取り組みをしていながら、みんながひとつのフィールドの上で切磋琢磨しながら協力関係にある(本田先生は前日もK2でフィールドワークをされていたそうです!)。

この状態をさらに進め、横浜の、各法人の強味にしていくことの可能性には、ちょっと他では考えにくいことがまさに起きそうな手応えがありました。

終了後、いつも意見交換させていただいている高校の先生と、これまたやっと酒を酌み交わす機会も持てました!出会いの数だけ呑みがある。ちょっと飲み過ぎだなあ今週…。出会わなくても呑んでいるんだよなあ(みつを風)

みなさま、今後ともご指導ご鞭撻、ご協力よろしくお願いいたします。

Today's BGM is
チャットモンチー/告白
4108121642_2福生の図書館にたまたまあった前作の「生命力」。子供達用に借りてきたら見事はまって。車での移動中はほぼチャットモンチーに…。徐々にはまっちゃって今度はこれ。変拍子が気持ちいい「シャングリラ」(子供に変拍子を理解させるには絶好の曲)のようなキラー・チューンはないのかもですが、アルバムとしてこっちの方がいいです。女子のトリオって頼りない気がするじゃないですか?頼りないんですよ。でもリズムアレンジでカバーしてたり、小手先感がキュート(ライブを観るとテクニックあります。行きたい!)。ひょっとすると女子高生が背伸びするとカバー出来るぐらいのハードル設定にプロデュースされているのでは?とおじさんは思うのです。程よく可愛い三人組!いつもより長いなあ((´∀`*))ヶラヶラ

| | コメント (1)

2010年2月21日 (日)

社会資源の偏りとその秘密

極めて当たり前なことなのかもしれないが、若者を支援している人とか、そういう団体は、手の掛かるしんどいなユーザーに引っ張られる傾向を持っているようである。

実はこれ、教師にも当てはまると藤原和博氏も指摘していて。その指摘の仕方がわかりやすかったのでうっすらと引用してみると。

五段階評価で生徒をセグメントしたとすると、教師が気になるのは、1や2の生徒であり、どうやらそういう生徒が可愛いのだそうだ。

そういう情はなんとなくというか、よくわかる。

次いで気になるのは3の生徒を4、4の生徒を5にすることだと。ハイエンドな5の生徒が1番ほっとかれて塾任せになっているが、実は経済的に塾にいけない子がいるので、藤原氏は夜スペでハイエンドの生徒を更に伸ばす取り組みをした(賛否両論ありましたがこの説明は納得がいきます)。

支援者と教師は、なんとなく別の人種のように感じてしまいがちだが、ソーシャルな共通領域にいることを改めて感じさせるエピソードである。

さて、下の図を見てほしい。これはA〜Eという社会資源が理想的に配置されているという図である。緩やかな階段が居場所的支援から徐々に就労を強く意識した支援につながっていることを表している。

Image903

ちなみに今回話題にしているのは、私的な法人ではなく、公的な機関及び公的な資金で運営されている公的なミッションで活動する機関についてである(シェアコロの運営するハマトリアム・カフェもこれ)。

私的な法人は自らのミッションをまっとうするために我が道をいってほしい。

今度はこちらの図を見てほしい。全国的にだと思うが、どうも支援機関が社会的に求められた立ち位置よりも随分と居場所、或いは個別カウンセリングよりにシフトした支援メニューで運営されているように感じるのである。

Image904

これにより、本来緩やかな階段をステップアップできるように配置された社会資源が、どこも緩やかな定着支援や居場所支援、カウンセリングを中心にすることとなり、社会資源としての差別化がなくなってきている(実際は各々特徴的であるがマニアックなジャンル分けに過ぎない)。

これにより、就労を強く打ち出した社会資源が手薄になり、ステップアップしたいユーザーが立ち往生してしまっている。いきなりハローワークは無理!みたいな。或いはギャップが大きすぎ、そこにポッカリと落ちてしまうユーザーが出ているのではないか。

現場がニーズを感じ、徐々にシフトしたのだろうが、本来担うべきポジションよりも随分と前に、かなり無理して支援して、そこに二年、三年通い続けている若者がいるというケースを耳にするたびに、どうしてこんな風になってしまったのか考えてしまうのだが、その答えが冒頭の支援者、いや、ソーシャルな領域で仕事をする人たちの性のようなものなのかと思い当たったのである。

しかし、支援者個人がそのような嗜好を持つのは悪いとは思わないが、団体や施設が本来担うべき役割、社会的ミッションを蔑ろにしてシフトしてしまうのはおかしいと思うのである。

もうひとつ縦割り行政の弊害がもろに出ているケースも見受けられる。根っこの省や部が違うことで起きているかぶりもあるのだ。Aという社会資源があるにも関わらず、知ってか知らずがBという社会資源が別の部署から立ち上がると。こういうのはどんどん事業仕分けで整理されていくのでしょうが。

最後にもうひとつ。それがこの図。要するに、ローエンドユーザーほどリファー(他団体への紹介誘導)が困難なのである(それにしても字が汚い。写真を転送をする手間を考えればパワポで作っちゃえばよかったなあ)。

Image905

一度関係を(彼ら的には相当!)苦労して築いたら、新たな関係をゼロから構築しようとは思わないのだ。

誰にも話したくない秘密の話しを、わかってくれる保証のない人間にもう一度しなくてはならないのだから、その気持ちはちょっと想像力を使えばよくわかるだろう。なので彼らはファーストコンタクトした施設に定着する傾向を持っている。

そもそも、このボタンの掛け違いをなくすためのアセスメント、つまり本人を理解するための最低限の聞き取りではなく、どの団体に行くことがベストなのかを、いったんその団体の職員という立場から離れ、俯瞰的に社会資源の照合を行うためのアセスメントが各機関で出来上がっていないことが課題なのではないかと思う。

これは、僕が最近、いろいろなところで語るようにしている「出口非未決定型アウトリーチ」と理念は一緒である。

最後に言うまでもないが、理想的なネットワーキングを表にしてみた。

Image906

例えば、BにAが対象しているような若者が現れたら、BがそのサービスをA側に拡大するのではなくAにリファーすればいいのだ。コアコンピタンスという経営用語がある。意味は「競合他社を圧倒的に上まわるレベルの能力」「競合他社に真似できない核となる能力」ということだが、こういうことをもっと意識しあわないと社会資源としての価値がなくなることを、理解すべきだと思う。

Today's BGM is
John Coltrane/The John Coltrane Quartet Plays
Coltrane_qurtet_plays 苦手だったアルバムが急に聴けるようになることってありませんか?僕はこれ、という後期のコルトレーン。たいがい何かナビゲーションとなる音楽との出会いがそうさせているのだと思いますが、僕の場合はマイケル・ブレッカーがコルトレーンへの理解に導いたような感じがしています。それにしてもベースが二人ですよ!ひとりはギコギコ、一人がブインブイン!エルビンの拡散するドラム。カオス一歩手前でコルトレーンが境界を手探りしている。そんなアルバムです。

| | コメント (0)

2010年2月19日 (金)

【宣伝】第3回よこはまユースフォーラム開催。パネルディスカッションのコーディネーターを務めます。

僕のホームグラウンド横浜でのイベントです。僕も参加しますので是非お越し下さい。終了後、いい時間なんで一緒に呑みに行きましょう(笑)
------------------------------------------------------------------

若者を取り巻く雇用情勢が悪化する中で、若者の働き方や仕事のあり方を問いながら、社会全体で若者の就労を支援していくため始まった新しい事業「よこはまユースニューデール」。
このフォーラムでは、その成果を検証し、今後の課題と本事業を進めていく中で見えてきた、今の時代の若者の生きづらさ・働く事の困難さと「新しい働き方」を創造する必要性、それを可能にする社会のあり方について考えます。

会場:相鉄岩崎学園ビル 8階 809 号室
日時:平成22年2月23日(火)

< 第1 部> 自治体・企業による 「若者就労支援」

  • 自治体・企業による「若者就労支援」若者の働くことの困難さを支援する仕組み-よこはまユースニューデールとは
    横浜市こども青少年局青少年育成課
  • 庁内横断的な就労困難層への雇用創出の取り組みについて
    横浜市経済観光局雇用創出課
  • インターンシップを通じて企業から支援するユースニューデール
    国際ロ-タリ-第2 5 9 0 地区 2 0 0 9 - 2 0 1 0 年度地区職業奉仕委員長 松村俊幸氏

< 第2 部> パネル・ディスカッション「困難を抱える若者の働くことを支援して」

【司  会】
 「ハマトリアムカフェ」(株)シェアするココロ 石井正宏氏
 「東京大学大学院教育学研究科教授」 本田由紀氏
【パネラー】
 「よこはま若者サポートステーション」
  N P O 法人 ユースポート横濱 鈴木晶子氏
 「よこはま型若者自立塾」
  N P O 法人 ヒューマンフェローシップ 岩本真実氏
 「専門学校による多様な就労支援の取り組み」
  学校法人 岩崎学園 植田威氏

< 好評>「職業教育と若者の新しい働き方」
本田由紀氏(東京大学大学院教育学研究科教授)

詳細はこちら

| | コメント (0)

2010年2月17日 (水)

究極の4つの幸せ

これ、何度か書いていますが、高校内でのパネルディスカッションで就職分野の専門家としてパネラーで参加するわけですが。

毎回、口火を切らされるんです(笑)

しかもその時の質問が「働くとはどのようなことか?」

意地悪問題みたいじゃないですか?

毎回僕はのっけから歯切れが悪く、忸怩たる思いをしているわけです。

思えば、この就労支援業界に10年。社会で働きだして単純に20年以上が経つわけで、もうそれなりに働いているんで、答えられて当然なんですけど…

酒の席ならねえ〜、おじさん止まらないぐらい語ると思いますよ(笑)。或いは、目の前にひとりの若者がいて「なんで働くんでしょうか?」なんて言われれば、「そりゃあおまえ…」と始まるでしょう。

それは僕個人の仕事観なんですよね〜。就職分野の専門家として、無垢な高校一年生が何百人か体育館で体育座りしているんですよ。けっこうなもんですよこれは。

でも今回はようやく、胸を張って語れるネタが仕入れられた。それがタイトルの「究極の4つの幸せ」です。ちなみにそれは、

  1. 人に愛されること
  2. 人に褒められること
  3. 人に必要とされること
  4. 人の役に立つこと

だそうです(成さんコレコレww)。でもって、「愛されること」以外は仕事で得られる幸せだと。誰が言ったんでしょうね?なるほどです。

最近、高校のキャリアガイダンスの一番最初にこの話しをしているんですが、今日もこの話しをしてきたいと思います。

フリーターには多少あるかもしれませんが、フリーターやニートと呼ばれる若者たちの不幸は、まさに2〜4を仕事から得られない点にあると思います。高齢フリーターになると、「愛される」という結婚とか家族という問題が満たしにくくなるでしょう。

僕は自殺してしまう人たちの多くはは、この4つが満たさせなかった人たちなのかと想像します。逆に満たされていたら死ぬという壮絶な選択をする理由が見つかりません。

98年以降年間自殺者が三万人を超え続けていますが、グラフを見ると一目瞭然なんですが、雇用が喪失しているんですよ。

そう考えると、仕事、働くというのは究極の自己実現なんじゃないかと思うのです。

今日はそんな話しを校長先生みたいじゃなくリアリティを持って語ってきたいと思います。

Today's BGM is
Roger Nichols & The Small Circle Of Friends/Same
Rogernichols 昨日、国立でライブを観た帰りの電車でY氏に「ロジャニコとママス&パパスは何が違うのか?」という考察を酔っ払ってしましたが、ちょっと面白いのではないかと思うのです、それ。ついでにいえば「スライと5thディメンション」でも面白いような気がします。ロジャニコでいえば、デカロなんだろうけどアンサンブルなんですよ。ママパパはバンドなんですね。同じくビートルズを取り上げてますがそのアプローチの違いなんか楽しむのはおつですよ!

| | コメント (0)

2010年2月14日 (日)

つながれる喜び

人見知りの僕が言うのもなんですが、去年の3月末で退職し、5月18日に会社を設立してから、僕は出会いと再開の日々を送っております。

これ、ひとえに会社を辞めてフリー(自由)になった賜物のような気がします。もしも起業しようか悩んでいる人がいたら、この出会いの自由選択権の獲得というひとつを取っても、起業を勧めますね(笑)

再開を果たし、発展的な付き合いになっている方々がいます。

この方々はこれまで僕を看板(法人格)で付き合ってくれていた方ではなく、僕自身と付き合ってくれた方々たちだと思うのです。

起業する際に一番恐れるのが、実はここなんじゃないでしょうか?「おまえに仕事がきてんじゃないんだぞ、会社に来てんだぞ勘違いすんなよ」という感じで(苦笑)

どこの会社でもそうでしょうが、僕の場合も、そういう法人格が邪魔して仕事ができない部分も少なからずありました。しかし、実際法人格が取れたら孤立するのではないか?

この不安は本当に怖いです。ここで怖じけづいて起業しない人たちが実は経済面の理由よりも多いのではないでしょうか?

これが不確かながら、自信のような期待感が徐々に芽生えたことが最終的に僕の起業を後押ししたものでした。それが今、開花しはじめていることが本当に嬉しいのです。

高校でのキャリア・ガイダンスの講師業も、実は当初、知り合いのキャリア・カウンセラーの方のピンチヒッター的なご依頼だったんですよ。前の組織にいたら当然受けれないし、恐らく話しも来なかったでしょう。それが、今じゃねえ、ですよ。結局本年度は40校以上でお仕事をさせていただき、僕らシェアするココロのガイダンスを受けた生徒が何人いるか!(集計中です(^-^;)

昨日、またまた凄い出会いをしたんでこんなことを書いているんですが。

マイミクのとある方(本名で差し障り無さそうだがMさんとします)とミクシイ上で何となく数年の関係があって。僕よりも先に独立されて、ウェブ制作会社(いろんなことをしている!)を立ち上げられて。こんなん作りました、と出てくるものがすべてハイクオリティ!というか僕の好みなんですよね。こんなセンスのいい人がいるんだなあ、そういう人のところには仕事が来るんだなあ、なんて羨望でいつもコメント入れさせてもらってて。いつか、一緒に仕事がしたいと憧れてたんですよ(僕より全然若い方なんですけど)。

で!現在のシェアコロが運営しているハマトリアム・カフェでやってるジョブトライアルという動画コンテンツを本年度の集大成としてダイジェスト版を作りDVDにするという案件があり、どうするべえ、ということとなり、誰かに頼もうということになったわけです。

選択肢は3つでした。①横浜の既存のネットワークを使う。②タウンページで探す(新規開拓)。③既に繋がりのあるネットワークではなく、まだ繋がっていないネットワークの掘り起こしをする。

実は①と③で相見積を取るという保険はかけたんですが、③で行きたいなあと僕は思ってて。これはタイトルにある「つながれる喜び」を味わいたかったという理由と、まったくの異業種の方々と仕事をしたい。そういうアプローチを取り入れていかないと若年者就労支援業界がどんどん閉じていくんじゃないかという危機感が僕にはあってなんです。

最近の僕の持論なんですが。

64万人のニートで施設利用しているのは4万人にも満たない。全員が要支援対象とは思わないけど、明らかに支援が必要なのに情報が届いていない人たちの方が、支援施設を利用している人よりも明らかに多い!なのにみんな4万人の話ばかりで60万人の話を誰もしていない。もっと60万人について考えようよ。

ある意味、現場を離れたから感じれる発想だと思うのですが、この人たちにセーフティネットの網をかけられるのは、実は行政やNPO的手法では無理で。まったく違うメディア、もっと具体的にいえばエンタメ的なアプローチが必要なんじゃないかと思うのです。

これは僕の10年間の実感というか諦観です(存在自体がエンターテイメントな長野県のNPO法人侍学園の長岡さんもまったく同じ発想をお持ちだということをこないだ呑みで知り、なんだか嬉しかった。氏のBAR「HID」でこんなことしてますよ!)。

そういった意味で③を選択し、マイミクのMさん、或いはMさんつながりで誰か、と考えミクシイのメッセージを使いお願いしてみたんです。そしたらめっちゃウェルカムな感じで話しが進み、Eさんというディレクションからプランニング、動画の編集なんでもござれな方を紹介していただき、先日会社に来てもらったところなんですが、これまた、Eさんの過去の仕事がめちゃくちゃイカす!!

でもってMさんの会社でマネージメントしているというPlaneというバンドのコンサートに招待していただき昨日行ってきて、そこでMさんと初対面!Eさんもいらっしゃって。なんだか不思議でしたねえ。コンサートのことはミクシイに書きました。全体公開にしましたのでこちらをどうぞ。

つながれる喜び。なんか無縁死のことをココログニュースで取り上げてて、コメントが多く寄せられていて、僕もコメントしてみたんだけど。これからの社会で「つながれる」ことがの希少性がある意味で上がっている気もするんです。そんな中、こういう出会いに恵まれているというのは本当に幸せだなと思うのでした。

お世話になっている方々、本当にありがとうございます。

Today's BGM is
Cal Tjader/Jazz 'Round Midnight
C8119935xsd カルはいいなあ。ラテンという汗臭い情熱的な音楽をしているのに非常に冷静な感じ。それはビブラフォンという楽器の鉄の冷たさなのかな?これはカルのヴァーブ時代のベスト盤をこないだ買ったんだけど、結構聴いたはずなのに知らない曲ばかり。嬉しい誤算なんだけどセレクトがグルービーではなくラテンなんですよ。いいバランスで歌ものが入ってて。超お気に入りの一枚です。ちなみに僕の黒ぶちメガネはカルを意識していますので、よろしくです。

| | コメント (0)

2010年2月11日 (木)

高卒就職者へのキャリア・アップ教育について その2

僕はこの発想を「軌道修正型キャリア・プランニング」とでも言おうかと考えている。ていうか、昨日思いついた。

前回その1を書いて、社内でもいろいろと話題になったり、教育関係者や若年者就労支援に携わる方々から反響をいただいた。

教育関係者の方からは、やはり教師は転職をしない人たちなので、教師にこの発想は皆無であり、キャリア・アップ自体を理解することが相当難しいという指摘がありました。ちなみに教員の採用試験に「生徒への就職指導について」などというものはないようである。

こえは外部講師である自分たちのような人間の役割だと実感すると共に、教師に賛同が得られるのかな、という不安も感じる指摘だと思う。

この不安に対して、北海道若者サポートステーションで総括コーディネーターをしていらっしゃる松田さんが、ブログを見ていろいろと意見をして下さった(ちなみにこれがファーストコンタクト。今後ともよろしくです!)。

松田さんの実践経験からの、学校内でキャリア教育を実施するにあたり、教師との連携のあり方について、以下のような現実的なアドバイスを下さった。

「建築・土木業界では、複雑かつ大規模な工事の場合はJVといって複数の企業が専門性を持ち寄って、工区を分担します。生徒の進路支援についても、基本的な人格形成から情報提供、卒業後のキャリア力(石井様が書かれていたような部分)など、さまざまな要素が絡んできます。先生は今までこれを一手に担われてきたかと思いますが、これからは、これらの専門性を持つ外部人材をコーディネートする役割、工事で言うところの現場監督を担っていただきたい」

同感だ。教師が外部講師に対して警戒心を持つのもよ〜くわかる。教師のプライドや役割を尊重しながら、どう学校内に自分たちのような社会資源を持ち込み、定着させるかが大切なのである。ここの関係が成立していなければ「非日常できっかけを作り、日常につなげる」というテーマが果たせないですかね。

僕自身もいろいろあれから考えたけど、ここでもう一度、なぜ高校生に対してキャリア・アップ教育が必要なのかを整理してみたいと思う。

  1. 三年以内に5割以上の者が離・転職を経験する。
  2. しかし、その際の手段を誰も指導していないし、教師は三年後の生徒の心配はしない。
  3. 教師はとかく終身雇用的“一生働ける会社”を探させようとするが、現在の雇用情勢で新卒者採用の求人はかなり条件が厳しい、或いは製造業に偏りが多く、生徒の興味と圧倒的にミスマッチを起こしている。その中から“一生働かなければならない会社”を探すのは精神的にかなりキツイし、そもそも18歳でそのような決断・判断ができるわけがない。
    ⇒就職諦め組が今年は3万人以上出ている。彼らはフリーター・ニートとなる(21年7月時点で19万1000人いた希望者が11月で16万人に減少)
  4. 生徒は経済的な理由で就職を希望者しており、本来的にはモラトリアムを強く要望している非積極的就職希望者である。よって彼らの閉塞感は非常に強く、希望を失っており、就労モチベーションの維持が困難。
  5. 最初の一社目は最低1年、理想は3年勤める。
  6. よって、今、人生の最終決断を下すのではなく、「27歳までに2回の転職で天職に就く」ために、働きながらキャリアを軌道修正してくという考え方を教える必要がある。

ではなぜ二回の転職なのか?

それは人事担当者が三回目の転職からを「危険」と感じ、二回目までなら気にしないからである(リクナビ調べ)。

ではなぜ27歳なのか?

それはある程度の社会経験により自己理解が進んでいる年齢であり、専門性の獲得に動き出すタイムリミット的年齢である。先程18歳で人生の決断を酷だと書いたが、27歳ではするべきである(27歳成人説とか言い出そうか(笑)。また人生を大きく左右する30代のキャリアを安定的なものにするため最終助走期間の開始であるからである。

ちなみに27歳を過ぎたらダメだというつもりはない。僕はこの業界で仕事を開始したのは31歳で、一生の仕事にしようと今のところは思っているんだし(笑)。

もう少し煮詰めたいなこれ。またまた意見をください。

Today's BGM is
Jesse Harris/Feel
2942 これの「Nobody Knows You When You're Down And Out」がさあ、全然泥臭くなくてよくて。聴き方によってはこの人は白痴みたいな。ちょっと今カバー中。有名なのはECですかね?ドミノス時代からやってて。ドミノスの時は壮絶な感じなのに、アンプラグドではほのぼの。人生は流れるんだなあと沁みます。憂歌団が「ドツボ節」と日本語でカバーしてるのもありますが、何をやっても上手くいかない男の物語なんでしょうね。僕はどの辺で歌おうかな。

| | コメント (3)

2010年2月10日 (水)

藤原和博氏の『つなげる力』を読んだ

51ejjbqtscl原和博氏の『つなげる力』を読んだ。藤原氏の「よのなか科」は、まさに教育が職業的意 義(本田氏)を生徒に教えている取り組みなわけだが、教える主体が教師ではなく、町の人々という点で発想が大きく変わる(本田氏は誰が教えるべきかまで言及していなかったように思うが)。

この本で、藤原氏が日本型詰め込み教育で身につけさせようとしていることを「情報処理力」とし、目まぐるしく変化する社会には向かないとしている。

現代社会には、OECDのPISA型学力が必要だとし、これを称して「状況編集力」としている。

要するに、たった一つの正解を導くのではなく、いく通りもある考え方の中から「納得解」を導くことが職業人として生きていく上での力になると。このカリキュラムは秀逸!

なるほど、勉強ができることと仕事ができることが違う理由が解けた気がした。

しかし、日本の教師が正解のないものを教える力に欠けるという指摘があるのが気掛かりであるが、藤原氏の下で、教師も大きな成長を見せたようだ。

僕はこの「納得解」が、本田氏のいう「柔軟な専門性」に根底で通じているなと感じた。

目指すべきゴールは本田氏的発想であり、その繋ぎを果たすのが藤原氏的発想である「ネットワーク型学校」ではないかと確信する。

ただし、藤原氏の「ネットワーク型学校」を視察に来た教師の圧倒的多数が取り組みを評価するが、取り入れる学校は非常に少ない。校長の許可がおりないのだ。

先日、私と同じ世代の学校関係者にこんな質問をしてみた。

「今の団塊の世代の校長が一斉に定年退職したら学校は変わると思いますか?」

まあ、こういうひっくるめ方には些か抵抗はあるが、彼の答えは期待通り「YES」だった。

(学校という最前線の現場にいながら)いわく、自分のしてきたやり方、価値観に疑問を持たない世代だと…。

彼は、学校が変わるチャンスだとも言った。これは僕の一番期待していた答えである。

権限も持たず、新規採用がないため部下もいない中堅教師たちが燻っている。と、最近強く感じる。彼らの声を掬い上げる仕組みがあるとはいうものの、実際機能していなければないも同然だ。

彼らが公務員である以上、爆発することなく、何かで割り切りながら、脂が抜けていくんだろう。

それができない不器用な教師たちが精神疾患になっていくのかもしれない。或いは魂の抜けたまま教壇に上がり続けるのだろう。

「ネットワーク型学校」として上手くいきつつある横浜市内の定時制高校と、横浜で活躍するK2インターナショナルとの連携の様子が、本日(2/10)の夜、NHKのニュースで紹介されるので是非ご覧下さい。

ひょっとすると弊社のオダッチがチラリズムかもです(笑)

*********************************
2月10日(水) NHKニュースウオッチ9(夜9時〜)
「無縁社会」というシリーズです。
(大きな事件などあると日程が変更の可能性あり)
*********************************

Today's BGM is
Jonny Winter Edgar Winter/Together
51pp67kygjl_ss400__2 どうも苦手だったんですよジョニー。でもマディ・ウォーターズ関連でいい仕事してるなあ、と思ってて。なんかいいのあるんじゃないかと。そうして遂にコイツに出会った。「ゴキゲン」というロックンロール用語はこういうアルバムのためにある。一曲目がストーンズのカバーで有名なハーレム・シャッフル。それ以降怒涛のR&B,R&Rクラシックスのオンパレード。しかもどれもB級な猥雑さがあっていい。大好きなライブ盤がまた一つ増えて嬉しいな。

| | コメント (0)

2010年2月 8日 (月)

本田由紀氏にお会いした

企業(社会)が若者を成熟させる仕組みを失っている。

人が非常に未成熟なまま生まれてくるのは、文明とともに出産前後のリスクがなくなったことによる。

野生の鹿や馬の赤ちゃんが出産後すぐに立ち上がるのは、出産前後のリスクが非常に高いからである。

リスクの高い社会に子どもを出す(卒業する)際には、可能な限り成熟させてから(社会に)出すべきである。

これは自然な摂理なのである。

よって本田由紀氏の提唱する『教育の職業的意義』は、利に適う発想であり、異論を挟む余地がないと僕は思う。

ただし、今の学校にその器と技量がない。よって地域やNPO、企業に積極的にアウトソーシングを可能とするインフラが必要である。というのが僕の持論。

先週、奇遇にも、その本田先生に、今月行われるフォーラムの打ち合わせで、お会いする機会をいただいた。

淡々と進む打ち合わせだったが、終了間際、本田先生から「どうして若者がこういう状況に陥るとお考えですか?」と、ディスカッションの場を作っていただけた。

いろいろと現場の意見を言わせていただいた。すると本田先生が「教育の職業的意義なんて言ってる場合じゃないですね」と自嘲気味におっしゃられた。

この人は、どこまでも他人事ではなく自分事で考える方なんだなと思った。

実際、自分にも子どもがおり、毎日、東大の学生に接していて、彼らの将来を考えると寝れなくなる。講演中に涙を流しながら話すこともあるらしい。

本田先生の意見は私たちの目指すゴールだと思う。そういう意味で、あの本は若年者就労支援のランドマークになり得る。

でもまだそれは少し先にある。今は、そのギャップを埋める策を打っていくことが大切であり、今まさに横浜はそれをやろうとしている。

僕らシェアするココロも、可能な限りこのムーブメントの一員として、何かできればと思う。

Today's BGM is
フジコ・ヘミング/憂愁のノクターン
41ac061zr6l フジコちゃんの世話になることが近頃多い。初期的にはあまりいいメンタルではない時にフジコちゃんが欲しくなっていたが、今は普通にフジコちゃんが欲しくなる。さざ波のような右手高音のアルペジオ。昔話を語る船乗りのような雄弁な右手のメロディ。時には言い淀み、時には優しく語りかけてくる。きっとテクニカルなんだろうけど、そういうことを感じさせない稀有なピアニストである。ライブ盤を聴いてみたい。

| | コメント (4)

2010年2月 7日 (日)

ばあちゃんはマジすげえ〜

先々週末、もしも風邪をひくんだったら、今しかないぞというタイミングで風邪をひいちゃいImage855 まして。声がガラガラになりながら、キャリアガイダンスを一校、就活セミナーを二回こなし、東大で本田由紀さんとお会いし、金土には第二の故郷化している高知に講演に行ってきました。喉が休まる暇のない一週間で、おかげでまだガラガラです。

書きたいことがたまってますねえ〜。でもね、思いついたことをガンガン書くんじゃなくて熟考したことをしっかり書いた方がいいのかな、なんてことを頭の良さそうな方々のブログを拝見して思ったりもしつつ…。まあ、このブログは徒然のメモなんでガンガン書きなぐっていくこととしましょう!!

で、今回のテーマ「ばあちゃんはマジすげえ〜」。

何が?

高知のホテルのロビーで現地の支援者の方と話をしていて、その方が「やっぱ異世代交流は大事だから」と仰ったので、「異世代交流ってさ、いいんだろうなとは想像つくけど何がいいの?」と訊いたら、その方が思い込めて呟いたのがこれ。「ばあちゃんはマジすげえ〜」。

説得力というのは多分違う。ばあちゃんは説得するつもりがないんだろうから。とにかく言葉の通じ方、響き方が尋常なくすげえ〜と。いつも自分が言っているようなことと同じことを言っているのに、若者たちの納得感が全然違うと。

氏いわく「ばあちゃんの前ではみんな仔猫ちゃん」らしい。マタタビに似た成分が声域に含まれているのかもしれない。語る言葉の一語一音に本物のの生活の知恵や力強さが、まさに含蓄となって発せられる静のエネルギーみたいなのがあるんだろう。

なるほどねえ。僕は核家族で、ばあちゃんと生活したことがない。特に大人になってからの接点は皆無に等しいから想像はできるんだけど実感が伴わない。

最近、コミュニティ論のような本を読むようになっていて、「空間格差」とか「ソーシャル・ミックス」何ていう言葉が非常に気になりだしていたので、大きなヒントを頂いたような気がした。

僕は高知の講演の一説で、「(エコキャップ運動の事例から)子どもをソーシャルボンドに使い、点である大人を結びつける役割を担わせることが、コミュニティ再生のヒントになるんじゃないか」という話をしたんだけど。もうひとつのキーパーソンは「ばあちゃん」ですね!

「ちなみにじいちゃんじゃダメなの?」と訊いてみたら、

「じいちゃんはあかんね。じいちゃんはせっかちだから。あんまり自分から接点をもとうとしないし」

ばあちゃんという究極の母性がいいんだろうなあ。

Today's BGM is
George Benson/Absolute Benson
Absolutebenson_2 ちょっと皆さん、ベンソンのこと舐めてないっすか?この出で立ちとヒゲだけで軽いなんて思ってないっすか?歌とか歌うなよとか、ギターとユニゾンのスキャットの面白さとかのせいか、なんか不本意な立ち位置にいる気がするんですよねベンソン。確かに打ち込み系のダサダサな事とかしちゃうからしょうがないんですけど、この辺とか聴いいてみて欲しいですよ。もともとこの人はR&B畑な人ですからね、めっちゃファンキーです!

| | コメント (0)

« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »