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2010年3月 2日 (火)

高卒就職者へのキャリア・アップ教育について その3 「人間の三世代モデル」とその変容

横浜のユースアドバイザー養成講座の津富先生(ラブリーな方です)の回で紹介していた、広井良典氏の著書『コミュニティを問い直す』が、非常に刺激的だったんで、『定常型社会』を続けて読んでいる。4004307333

これまで個人的に蓋をしてきた臭いものがすべて詰まったような2冊である。

しかし、案外臭くなく、食べてみたらいけるぞ、みたいな本。というか切り口がいいんだなあ。

『定常型社会』は01年の出版であり、激変する今日にあっては随分ピント外れな部分もあるのかと思いきや大間違い。

ある種の予言書とも言える内容で、今読むと、ある意味で政治的な対応の遅れを浮き彫りにしているという思わぬ効果をジワジワと発揮している。

その中にあったのがタイトル。人間のライフサイクルを「高齢者−大人−子ども」の三世代にセグメントして、社会保障のベースにする考え方。448006501609_pc_ou09_sclzzzzzzz__2

人間の特徴は高齢期が構造的に長く、さらに長寿社会が老人の時期を長身させ、高齢者のなかにも「前期高齢者」と「後期高齢者」が分けて語られるようになっている。

同時に、人間は他の生き物のようにいきなり「大人」にならないので「子ども」の時期も長い。

要するに人生を「働(納税者)」と「遊(学)」に分けると、生産性や生殖に関わらない時期が前後に長く存在する。

社会保障の基礎となる「働」のパイの減少と、前後のパイと時期の拡大が税収のバランスを崩し、これをどこから調達し、運用するかということが書かれているわけだけど、そこは置いといて(あ、また蓋をした!)。

若年者就労支援の立場から気になる指摘として。

子ども時代も高齢者同様長期化しており、「前期子ども」「後期子ども」になっているのではないかという考察。

これは、支援現場では思春期の長期化としてよく語られるテーマではあるが、税収との絡みから社会保障を問い直す中で考察されているのがなるほどである。

でもってこんなこと言っている。

「後期子ども」とは、中高、大学を経て30歳前後までを含み、「働」と「遊」の複合形態が重要になる。これは「前期高齢者」も同様。

この「働」と「遊」の複合(中間的)期がまさに、若者の自分探しの時期といえるわけで、前期高齢者にしてみれば、恐らく団塊世代の地域への再デビューのような課題が浮上しそうだ。

まあ、何が言いたいかというと、親の経済事情で早期に社会におっぽりだされる青年たちが社会との齟齬をきたすのは、当然だよなあ、という嘆息が出たという話し。

僕は、ここでもう一度言いますが、『27歳までに2回の転職で天職に就く』という「軌道修正型キャリア・プランニング」(最近考えました)をセオリー化していきたいなと、改めて思った次第です。

でもってCDAの二次試験が落ちっぱなしなのに、テキストに掲載されるという形でのコンプレックス克服をしたい!なんちゃって。

広井さんは僕と同じ40代なんですよ。あとがきに、自分の世代を分水嶺として「定常化社会」への受け止め方が真っ二つだと書いてて。

団塊の世代は「ゼロ成長なんか有り得ない」と、どうやってそんな社会にやり甲斐を見出だすんだと反発が強く、若者からは成長だけが幸せではないという意見。

自立塾の話しで書きましたが、我々は次世代を担う若者の発想にシフトしていくべきだと個人的には思うし、広井さん同様、僕ら世代から変わるんだと思う。

Today's BGM is
Trojan Box Set
41wcszy8tgl_sl500_aa240_ 朝から気分悪いので、音楽だけでもノーテンキなものをセレクトする。こういうこだわりのない音楽とうか、屈託のないというか、何かが「ない」音楽というのはいいなあ。おおらかな気持ちになれる。SKAを聴いていと、特にコーラスワークを聴くとアメリカ音楽がジャマイカンたちのトランジスタのアンテナに引っかかって誤変換を起こした音楽なんだと納得する。早く夏よ来い!

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