伴走支援という言葉をこのところよく聞く。けっこう前からあった言葉だろう、僕にもしきりに使っていた時期がある。
しきりに使っていたのは、我こそは伴走支援者という自負があったし、所属していたNPO法人のもっとも素晴らしいマインドの現れが、伴走支援だと思っていたからだ。
昨日とある会議で、ほぼ生涯に渡る伴走支援ということを話していた。
「接続」したらもうずっと。
縦割りの制度をサバイバルしていく力のない情報弱者や読み書きが苦手な人はサバイバルできずに野垂れ死にしてしまう。そんな社会じゃだめだよね。
縦割りに横串刺して、横断的に付き合い続けられる支援者とその支援者を制度的及び経済的に支援する仕組みが必要だよね。
そんな話し。
モヤイの湯浅誠さんは「路上から墓場まで」と言ってるけど、まぁそれです。
うん、いいね!と思う。けど膝をポンと叩く力が心なしか弱い。考えれば考えるほど途方もなく、浪漫を感じちゃうようなスケールなのだ。
距離感掴めませんが、やれることはやりたいと思ってます。
その会議中、あるエピソードを思い出した。以下、いろんな誤解や反論がありそうだが、自分の個人史を振り返っても妥当性はあると思うので注釈入れずに書きたいと思う(ほんとは入れてたけどぼやけるのでカットした)。
僕が若者自立塾をかなり真剣に楽しみながらやってた当時。二期目が終わった頃に同窓会が行われた。
懐かしい面々が集まり思い出話に花を咲かせ酒を呑んでいた。
慣れない手つきでお酌をし、お酌をされつつ、嬉しい報告を聞かせてくれる。先生という職業はこんなものなのかなあと思い、悪くないなあと、多分思った。
呑ながら、来ていない連中が気になりだし、あいつはどうしてる?なんて話しになる。
そういうことに頓着しないタイプもいたが、よくよく見渡すと、手土産がわりの「いい報告」を持ってる連中だけが集まってて、手土産のない連中は来ていないことがわかった。
支援者として、来れなかった連中にこそ参加してもらい、弱音の一つでも吐かせてやりたいところなのになあ、と急に白けた。
相手の気持ちをおもんぱかりすぎる彼らは、世話になった恩を仇で返すような人たちではない。
きっと手ぶらは彼らにとっては仇なんだろう。
ただ、そう何年も思ってた。
でも昨日気がついたのは、同じ釜の飯を食ったとはいえ、自分は恩を売ってしまっていたということ。
ここムズイっす。
一晩飲み明かせるテーマだと思いますが敢えていい切ってくと。
伴走支援という継続を途切れさせないための信頼関係と「恩」とかいうことではない距離感。
ここを成立させるのはどういうことなのか?
僕のような(それでも距離感はあった方だと思うが)密着型支援者と、ハローワークの窓口職員のような会いに行かなきゃ会えない支援者の間ぐらい。
それでいて…と、注文は留まらない。
この会議はそんな臭い物の蓋を開け、こそぎ出すような話しで疲れる。
疲れるが、翌日こうしてブログにしたためておくような気付きも多く、やらねばと思うのです。
リハビリと記憶の価値を高めるために、現場時代を振り返る記事を少しずつ書いていきたいと思う。
せっかくだから書いておくと、共に走る伴走支援よりも、後ろから鼓舞するようなリズムを送り続ける伴奏支援の方がいいと思うのです。
Today's BGM is
YUKI/Joy
YUKIはジュディマリ時代から気になるボーカリストだけど、バンドを離れソロになり一気に開放されアーティスティックになった彼女は非常に魅力的だ。バンドというフォーマットのワンパターン性から一気にエレクトリックに走りつつ、アナログ、アコースティックのバランス、特にストーンズライクなギターの入り方が好き(ここはデリコにも通じる。ていうかデフォルメしやすいんだなキース=オープンG)。歌詞の内容もドキリとしたり。気持ちよく聴けます。