『企画の教科書』はキャリア教育に通じる。
僕は企画を考えるのが好きだし得意だと思う。自分なりのメソッドのようなものも漠然とあるんだけど、どうしても漠然としており、しかもそれはマンネリだと思う。
そういう自分が職業的にコンスタントにアイデアを出し続けられるのか?
しかもそれが課題を解決するためにちゃんと機能するのか?
会社的にいえばヒットするのか?
なんてことを考えるとこういう本に手が出てしまうし好きなのだ。
それは、異業種の人たちの仕事ぶりを知るということもある。前回紹介した『孤独死ゼロの町づくり』にしても異ジャンルのお話である。でもそういうものにアンテナを張ることが、今の自分の仕事にはすごく大事な気がしている。
ソーシャルという括り、或いは人生というタイムラインを考えたら子どもの問題も、若年者の問題も、老人の問題も地続きなのだ。ひきこもりの家があるのは町であり、家族はコミュニティに属しているわけで。そういうジェネラリスト感覚がないと「つながる」ことはできないと思う。
この本を読んで、ほんとにいろんなことを考えた。その一部をツイートしていたのでまたまとめてみた。ヒット商品を作ってみたいというのが読後に残った強烈なモチベーションだ。
また企画を立てるときには、どこまでも自分の内側に潜り込みつつ大衆=マスを意識していくこの振り幅にキュリア教育の真髄的なものを感じ取ることができたのは大きな収穫だった。
すごいと思う。「イラストレーター五月女ケイ子による高濃度な作品を配した。彼女は本文を読まずにイメージだけで描くという大事業に挑戦。心地よいピントの外し方を堪能せよ」『企画の教科書』(おちまさと)本書の使い方より
Q1:入社以来最大の失敗を挙げなさい。Q2:1をきちんと笑い話にできるか、確認しなさい。『企画の教科書』(おちまさと)
ちょっと古い本ですが、おちまさとの『企画の教科書』という本が非常にキャリア教育に流用しやすいです。#ywken
ちゃんと考えないなこれ。「Q1、自分が活躍しようとしている(している)業界の、不思議な特性を検証しなさい。Q2、破っても犯罪にならないと確信できるタブーを三つ挙げ、そこから可能性のある新商品を考えなさい」『企画の教科書』(おちまさと)
おちまさとさんの『企画の教科書』のお陰で、キャリア教育の新し扉をノックした気分でテキスト作成中。扉は開くのか!?楽しみだ。ありがとうございました(ひょっとして読まれる可能性有りかと思いww)。
嫉妬:あくまでも「うらやましがる」ではない。根本に「同じ人間なんだから私にもできるはずだ」というスタンスで、健全なジェラシーを感じることが重要。それは上昇志向と言い換えてもいい。「いいなあ」ではなく「ちくしょー」なのだ。『企画の教科書』(おちまさと)これ大事だなあ。
高校一年生に「手段」と「目的」を説明するための資料を簡単な言葉で作成してこんがらがってきてしまった…。大学に入ることや会社に行受かることは「目的ではなく手段である」。#ywken
受け手に快感を与えるのがネゴシエーションの王道。企画を通すことはネゴシエーションの一種であるから、快感を抜きにしては語れない。『企画の教科書』(おちまさと)
Today's BGM is
Bud Powell/The Scene Changes: The Amazing Bud Powell, Vol. 5
恐ろしいアルバムである。どこまでも先走る狂気に必死についていこうとする肉体が唸り声をあげながらもがいている。たまに意識が混濁するような朦朧とした指使いに感じるパートがあるが、フレーズを手繰り寄せると一気に爆発する。僕はバド・パウエルがピアノの椅子に縛り付けられているというイメージを持っている。もっと昔のバド・パウエルの方が才気走っていたし切れがあったんだろう、生で聴けば。僕は音がダメ。ブルーノート時代のこの音が好き。
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