いじめられっ子が五感のスイッチを切れる場所
今日、ハマトリアム・カフェの企画で、北極冒険家の荻田泰永さんと、横浜の象の鼻公園から大さん橋を散歩しながら対談させてもらい、ひょんな仮説が頭にもたげた(ちゃんとした記事はハマトリアム・カフェにアップされます。こっちは僕の脱線文です)。
でもってその信憑性がかなりあるような気がしてならないので書いてみる。
荻田さんは、北極に行くと、普段スイッチを切っている五感がフル稼働すると言ってた。
あるとき、テントの中で両掌を火傷し、助けを待っていたとき、左耳に凄まじい気配を感じ、ライフルを持ちテントを出ると、200メートルも先に白熊がいたと。
普通なら聞こえるはずのない物音を、極限状態で気配として感じたのだろう。
北極にいるときのような五感の使い方を都会でしていたら、情報量が多過ぎて、気がおかしくなるだろうと荻田さんは話した。
そこで僕はいじめられっ子たちのことを考えてしまった。
彼らは、物凄く高い感度で五感を働かせ、いじめっ子たちから身を守っている。
或いは、空気を読んで、集団から浮かないように全神経を集中している。
それってもしかしたら、荻田さんが北極で五感にスイッチ入れてるときと同じような気の入れようなのではないかな?
荻田さんが何気なく言った「そんなことしてたら気がおかしくなる」ことを、いじめられっ子たちは毎日学校でしているんじゃないかな?
うん、してるんだよ、きっと。だからへとへとに疲れちゃうんだよ。
荻田さんにはライフルがあり、いざとなれば威嚇射撃で白熊を追い払えるけど、いじめられっ子はライフルもなければ、威嚇射撃もない。
日々、神経を擦り減らしながら、最大限の警戒レベルを保っていても、暴力を日常的に受けている子もいるだろう。
僕は急に悲しい気持ちになってしまった。
いじめられるということが自らの命を絶つところまでさせてしまうことへの想像力はあるつもりだった。
自分も中二の転校したばかりの頃、ホントに嫌な奴に一時いじめられていたときがあった。
あるとき我慢の限界に達してぶっ飛ばして、眼鏡をぐにゃぐにゃにしてやった。
エピソードは自分的武勇伝として多少ドラマチックに脚色されて覚えてる。
しかし、その時の気持ちなんて忘れてしまった。
「君の気持ちはわかるよ」なんて、心の底から言えないかもしれない。
だけど、今日、荻田さんの話しを聞いて、リアルに、いじめられるってしんどいだろうなあ、と思った。
彼らいじめられっ子たちが五感のスイッチを切り、無防備にしていられる楽園は自分の家、そして部屋なんだろう。
家の外のそういう場所で僕は長いこと仕事をしていた。
果たしてそうだったのだろうか?
愛する者の胸に顔をうずめ、すべてを受容し、許してもらえているような。
(まあ、それは僕の自由の形だけど)そんな場所を大人たちが作ってあげなきゃいけない。
そんなことをぽかぽか陽気の大桟橋で考えた。
荻田さん、ありがとうございました。なんか若返った気分です(笑)
Today's BGM is
Norah Jones/..Featuring Norah Jones
昨日、長女のバースデープレゼントを探している時に見つけたノラのゲスト参加作品集。最新作である『The Fall』に不満タラタラのファンのためのクリスマス・プレゼントかなとか思った。僕もあれはほとんど聴いていないタラタラ派なので、欲求不満を解消してくれる1枚だ。ジャケもかわいいなあ。やっぱ大好きだよ、なんていいたくなるそんなアルバム。The Little Williesは入れなくてもよかったなとか、ジェシ・ハリス絡みがないなとかあるけど、この冬はこれで過ごしたい。
荻田さんのYoutubeの映像。すげーなあ。