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2010年12月の5件の記事

2010年12月31日 (金)

今年一年お世話になりました!

あっと言う間に、大晦日ですね。同業者の皆さま、関係者の皆さま、今年一年、本当にいろいろとお世話になりました。

自分のブログはほとんど繰り返し読みませんが、今年一年を少しだけ振り返り、来年の抱負を具体化していきたいと思います。

シェアするココロはまだ、創業して二年経っていませんが、今年は去年と比べて、圧倒的にお仕事をさせていただいた一年になりました。それによって、シェアするココロが求められているニーズと、自分たちがしたいことの擦り合わせができた一年だったように思います。

そういった意味で、シェアコロはこうやって転がっていくのかなあ、というイメージが、自信として持てた一年でもありました。

個別に大きな成果を挙げていくと、ひとつは高校での就職ガイダンスを中心としたキャリア教育の実践。これは日々手応えの連続で、エキサイティングです。

初年度は、とにかくわかりやすい資料作りに力を入れていましたが、今年は断然“トーク”に力点を置きました。パワポに引っ張られるのではなく、パワポという点をトークで繋いでいく紙芝居形式が随分と形になってきました。点と点がどんどん離れていくと生徒たちの興味関心がファシリテーターに向いてくるということを実践の中で掴んだ一年でした。

今年後半は、それまで60分用で作られたパワポで90分とか110分話すようになってきています。この今の感じ凄くいい!

そして先生という人々、学校という社会を随分と理解を深められた一年だったことも大きな成果でした。厳しい現状を間に当たりにしている点でいえば、成果といえるかは微妙です。切り崩し方が見えてきたわけでもないし(苦笑)。

しかし、先生方の中に私たちのような外部リソースを心から求めているという"Want's"を感じました。そしてそれが実際の形にいくつか実り、ブレイクスルーを果たせそうな学校が現れています。ここは来年の大きな希望であり、それを果たすことが目標になります。

この学校及びこれまでの若年者就労支援業界で積み上げたノウハウが、今年はひょんなことから中高年の失業者の方々に受け入れられるという嬉しい広がりもありました。

そして、シェアするココロのウェブを中心としたデザインや動画制作を行ってる「コロ・デザイン室」の立ち上げ。別会社ではないのですが、社内外でキャラ立ちさせるために「コロ・デザイン室」と呼んでて、室長が弊社デザイナーの横山コウジです。

今年、夏ぐらいから切れ目なく様々な仕事をさせていただきました。クライアントの皆さま本当にありがとうございました。これからも人と人をつなぐデザインを現場視点で提供していきたいと思います。

そしてなにより、今年は若年者就労支援の仲間たちに多く必要としていただき、微力ながら貢献することができたこと!これは起業する目的のひとつでもありましたので、本当に嬉しい限りです。

まだまだ事業体としておぼつかない点が多々ありますので、来年は事業体としての足場固めをしっかりしたいです。確か私は今年のはじめのブログに「経営者元年」みたいなことを書いたことを記憶していますが、プレイヤーとして駆けずり回ってしまい、反省しきりで目標は達成できていません。

今年は改めて「経営者元年」宣言をしたいと思います!来年はお金やビジョンに対してしっかり向き合いますよ私は。「あいつは変わっちまった」と言われるぐらいに(笑)

Today's BGM is
Arthur Conley/Sweet Soul Music
8175アーサー・コンレイはR&Bファンには景気のいいイントロでお馴染みのタイトル曲でご存じの方も多いと思いますが、それでもなかなかアルバムまではたどり着きにくいアーティストですよね。サム・クック似の甘い感じの押しの弱い歌声ですが、67年のアトランティックですから作りは最高!日本人的にはRCの「Sweet Soul Music」で清志郎が歌うフレーズで染み込んでるナンバーですよね。

はじめて観たけどこれはめちゃくちゃカッコイイ!清志郎のシャウトも最高だけどバックが凄い切れてる!やっぱりこういうルーツがある音楽の上で新たな個性を発揮させていく感じが自分は好きだなあ。


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2010年12月27日 (月)

高校生の進路未決定者たちを10年間後追いするべきではないか

高校生の進路未決定者は毎年7万人と言われている。

この人たちのその後を追っているデータは見当たらない。あったら教えて下さい。

大学、短大、専門学校の中退者のその後のデータが、恐らく参考値となるだろうが、それもびっくりで6割りがニートかフリーターということ。恐らく高卒進路未決定者は同程度か、より厳しい状況が想像される。

突然ですが、僕は個人的には国民番号制は別に悪いことじゃないと思ってる。だって国は全然国民を管理できていないじゃないですか。単純に管理される不自由よりも、管理されてない不利益の方が大きそうだじゃないですか。

イギリスなどでは、学校を進路未決定で卒業したら、すぐにコネクションズサービスが支援を開始するという。それは国民背番号制が背景あるからなし得ているんです。

そこには、立派な納税者になってもらい、社会的なコスト削減という発想がある。

これを管理だの自由な生き方を尊重していないという発想の根底には、番号制反対に繋がる嫌悪感があるんだと思う。でも、立派に納税できる状況以外での幸せって想像できますか?

でも僕はこの意見も否定しませんよ、ロックな感じで言えば(笑)

番号制に反対するならb、せめて学校卒業後の10年間は、学校が責任を持って、今どうしているのかを追い掛け、職に就けていなければ、そのエリアのしかるべき情報提供をするべきだし、引きこもって身動きとれてなければ、保健所にでも一報入れるとかするべきじゃないかなあと思います。

こういう時に、また先生の仕事が増えるとかいう議論になるのですが、ちゃんと費用投下して、そういう人を雇えばいいと思うし、電話かける場所なんてどこだっていいいのだから、心がこもっていれば地方の仕事にしたっていいと思う。

10年間追い掛けて、28歳で仕事が決まらなかった方への最後の電話は、緊迫感ありますね。

この時は2択で進路を決定してもらいます。

1.このまま自力でなんとかする。
2.国の支援を受ける。

とか。

学校を卒業し、生まれて初めて所属を失う気分というのはどんなものか?

案外、自由な気持ちなのかもしれない。それが若いということなんじゃないかとも思う。

でもその気分は長い人生から見たらほんの一瞬だ。

僕は人間の四つの幸せという話しをよく高校生にしている。

1.人に愛されること
2.人に褒められること
3.人に役に立つこと
4.人に必要とされること

愛されること以外は、仕事で得られ幸せで、2〜4が満たされている人は、必ず誰かに愛されるだろうという話し。

毎年7万人が進路未決定で高校を卒業している。この法則からすると、彼らは幸せになることが難しい人たちなんじゃないか?日本では毎年三万人の人が自殺している。この人たちはこの4つを得られなかった人たちだと思う。

彼らになんの手も差し出されなくていいのか?

卒業式に笑顔で見送ってて本当にいいのか?

まだ若い彼らに、そういう責任を背負い込ませていいのか?

彼らを見捨てた代償を払うのは誰なのか?

今、この国の未来がこんなに語られることは相当久しぶりなんじゃないでしょうか。

この機会に彼らのことをちゃんと考えてみましょうよ。

Today's BGM is
Louis Armstrong/Disney Songs The Satchmo Way

Satchmo師走の忙しない、それでいてなんとなく浮かれた気分の人々が歩く街並みを、このCDを聴きながら歩いた。僕自身は体調が最悪の状態。でもこの一曲目がかかれば町は一気にサッチモの笑顔で塗り替えられる。そんなおとぎ話のようなマジックを21世紀にも感じられる唯一のアーティストだと思う。素敵な企画アルバムでありながら、どういう時に聴かれるのか想像が付きにくいアルバムだが、こんな時に聴くのだと思った。可愛いオリジナルの『白雪姫』を貼っておきます(笑)

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2010年12月17日 (金)

若い大人たちが不安がっている。

最近、僕が高校生にしている話が、高校生を飛び越え、そこにいた若い非常勤講師の方だったり、僕に取材に来た新卒の企業人だったり、支援施設の若いスタッフだったりする人のココロに響いたと言ってもらえることが増えている。

これまでは、割と「そうなんだよねえ」みたいな共感として大人に受け入れられていた僕だが、ちょっと様子が変わってきた。

そんなことをツイートしたら、この間インタビューさせていただき、ご自身も講演活動をしている北極冒険家の荻野泰永さんが、「わかるなあ」とRTしてくれた。

「なんとかなっちゃった経験」の少ない、若い大人たちが不安がっている。

これが僕の実感である。

右肩上がりの時代を生き、「今」という時代を捉えきれていない、或いは受け入れきれいていない古い大人たちのオプティミズム(楽天主義)とは正反対のシリアスさ。或いは諦観。そういうのがちょっと痛い今日この頃。僕はオプティミストなのかペシミスト(悲観主義者)なのかわからなくなってきている。

若い大人たちの不安を、誰がなだめてあげれるのだろうか?

飲み屋のカウンターで、僕ぐらいの年齢の上司とサシで飲んだとする。どんな武勇伝を語られても、ペーソス溢れるヒューマニスティック(人道的)なエピソードを話されても、若い大人たちのココロは癒されることがないのではないだろうか。

そんな無力感を古い大人たちは感じていないか?

客観的に、なぜ僕の話が若い大人たちに届いているかを分析してみると、以下のようなことが言えるのではないかと思う。

1.「こうすれば大丈夫」という必勝法を語っていない。
2.成功からの逆算ではなく、失敗からの逆算で語っている。
3.ゴールを経済的幸福ではなく精神的幸福に置いている。

ビジネスライクに言わせてもらえば、これが僕の「売り」だと思う。そしてこういうニーズが高まっていることをジワジワと感じている。もっと厭らしく言えば、このニーズはB級C級大学にあると確信している。

でも、僕は講演家ではないし、ましてや研究家でもない。僕は実践家だ。

話を聞いて、「そうだよな」で終わっては話のうまい講演家と同じである。それじゃあ脳がないというか意味がない。行動に起こさせ、そこを支えてはじめて実践家だといえると自分は思う。

そして自分一人で支えられるなんて自惚れはこれっぽっちもない。彼らを支える仲間が僕にはいる。そしてこれからそういう仲間をどんどん増やしたいし育てたいと考えている。

社会に出た若い大人たち。「あとはもう大丈夫ね」って、なんか社会のエアポケットにすっぽりと落ちてしまった人たちのような気がしている。

あなたの会社の若い人に人間的感心を寄せて声を掛けてあげよう。一緒に飯を食い、酒を飲み、自分の話をするのではなく彼らの話に耳を傾けてみよう。

「考えすぎだって」なんて言葉がどれほど軽はずみな言葉かを思い知ろう。

世代を超えて腹を割り、一緒に考えてみよう。そうしないと次の日本の夜明けはやって来ないよ。

Today's BGM is
yanokami/yanokamick -yanokami English version-
Wavemusic_45425190038900矢野顕子さんとレイ・ハラカミさんのコラボ・アルバムの英語版です。日本語版は持ってません。ハラカミ氏はさっぱし聴いたことなし。でもこれで聴いてみたくなった。矢野顕子は媒体として凄いなあ。実はTボーン・バーネットを迎えたアルバムを聴きたい聞きたいと思っててこれが先に来ちゃったわけだ。この人のこの振り幅はなんなんだ!こんなにアクが強いのに親和性が高い。食べ物でいえばキムチみたいだ(笑)。これを聴くと英語の方が親和性の高さを感じる。というのもくるりの「ばらの花」が掛かると何も手につかないぐらい落ち着かなくなるのだ(笑)。

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2010年12月14日 (火)

NPO法人「育て上げ」ネットさんが「家庭訪問支援士養成講座」を開始!!

シェアするココロが、DVDの撮影と編集を担当させていただいた、NPO法人「育て上げ」ネットさんの「家庭訪問支援士養成講座」が待望のリリースです!

私は光栄にも、日本のトップ家庭訪問支援士ともいえる支援士4人のインタビュアーを勤めさせていただきました。まずはこちらをご覧ください。

ひきこもりの若者は全国で70万人、一説には100万人なんていわれています。彼らを支援するために来所型の支援施設を作っても、当然のことながら現れることはありません。

これが来訪型支援の限界です。だから家庭まで行く訪問支援士が必要だということは自明です。

ではいったい、玄関先から中を伺うだけのような行政チックなものではなく、家庭内に入り本人だけではなく保護者の課題にも取り組み、しかも本人と信頼関係を築き(この時点で神業な気がしてきた)、家の外の社会資源と結びつけるスキルを持つ人材は日本にどれぐらいいるのでしょうか?

私の実感ですが、そんなにいないのではないでしょうか?しかも、そこに“ちゃんとした”という冠をつけたらどうなるか?ほんとに数名になるのではないでしょうか。

何が“ちゃんとした”のかを定義することは非常に難しい議論になるとは思いますし、そこからやるの!?という果てしなさを感じますが、実はこれこそが現状であり、恐らくこのような危機感から、本養成講座の企画が持ち上がったんだと思います。

そしてこの養成講座が、その果てしなさを一足飛びに縮める役割を果たすのではないでしょうか。

僕も登場する04年発行の『脱!ひきこもり』というNPO法人青少年自立援助センター(以下YSC)での取り組みを紹介した本があり、この中で、今回のDVDへの出演もしている河野さんや、当時の訪問スタッフが訪問支援について語っているんですよ。今回、それを久しぶりに読んでみました。

ここで語られている訪問担当スタッフの座談会を読むと、河野さんというかYSCのスタッフは一貫していて、ブレてないという印象を持ちました。でも、語られている言語がニュアンス的というか職人気質的な「背中を見て覚えろ」という伝統を重んじている様子が伺われます。

あれから6年。随分と言語化が進み、アプローチの手法も多様性を増しているように感じました。恐らく、河野さんをはじめ、ここに登場する他の三人の家庭訪問支援士の方々は皆、ひとつの型を作ったオリジネイターたちです。

彼らの現時点でのピークともいえるスキルがわかりやすく本講座で紹介されているわけですが、しかしどの支援士も型の中でもがき、モアベターを模索し続けてる人たちであり、そのスキルは日々アップデートされているんだと、インタビューを通じて感じました。

これから家庭訪問支援士を目指す方々はこの養成講座をきっかけに、ともにモアベターを目指す仲間としてのきっかけを作ることをお勧め致します。

家庭訪問支援士養成が非常に重要な国家的プロジェクトであることは、NPO法人「育て上げ」ネットが開設したこちらのサイトをご覧ください。

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2010年12月 5日 (日)

同業者諸兄よ。最近のスタッフはダメとか言ってちゃいかんのではないか?

ご多分にもれず、私も言っています。「昔はよかった」っていうあれ。

今を盛り上げようとしている方々や、今が最高と思ってる方もいるし、僕も今、わりと面白く仕事をさせてもらっています。

しかし全体を見渡すと、やはりこの業界はつまらなくなったような気がしている人は多くいます。

昨日の夜、昔の同僚や同業の人たちとの飲みの席で、「これから」の話しもしましたが、やはり「昔はよかった」。或いは「昔はおもしろかった」という話しで盛り上がってしまいました。

だれが「今」をダメにしてしまったのか?

何が「今」をつまらなくしてしまったのか?

ちょっとネガティブな話題ですね。でも、しっかりここを見つめ、酒の席での愚痴やノスタルジーで終わらせてはいけないと思うんです。

この間登壇させていただいた『市民セクター2010』のモチベーションはそこにあったわけなんですが、まだ僕には答えが導き出せていません。

そういえば先日、人材派遣会社の方々と呑んでた時も「最近の人たちは」という話しがありました。

どうやら若年者就労支援の業界に限ったことではなく、日本全体の問題でもありそうですね。

ちょっと逸れますが、僕は「昔はよかった」と言ってる人たちが低年齢化していることが気になります。

30代になったばかりくらいの人が言ってますし、20代後半の、あんたも最近の人だろう!と突っ込みたくなるような人も言ってます。

時代の変化の速度がアップし、世代という単位が小さくなってきているんでしょうか。

かくいう僕も、上の世代からは「新人類」と言われた、最近の人なのかもしれません。

何かひとつの要因をあげても、言い切れないものがありますよね。

僕らの業界では、誠にもってサラリーマン、公務員の方には失礼な話しなんですが、NPO法人職員の「サラリーマン化」とか「公務員化」なんて言葉が使われています。

とすると、サラリーマンでも公務員でもない、また、フリーターでもボランティアでもないNPO法人職員とは、いったいどのような働き方をする者たちなのか、ということになりますよね。

昨日こんな会話がありました。「主婦層の支援者が増えたよね」。

もうひとつ関連するのは「40代の男性支援者がいないよね」。

これは、家庭を経済的に支えなきゃならない世代の男性が、家庭を支えられないことが多いから、この業界に40代の男性がいないということに外ならない現象です。

こんな言葉も出ました。

「ガチの支援者しか残らない」

「ガチの支援者」という言葉をはじめて聞きましたが、なるほどと苦笑してしまいました。

さて何が「ガチ」なのか?

ちょっとマインドというわかりにくいキーワードを取っ払って言うと、残念ながら「安い給料と長い拘束時間を厭わない人=ガチ」ということではないでしょうか。

NPO法人職員の「サラリーマン化」とか「公務員化」というのは、つまるところ「安い給料と長い拘束時間を厭う人」だということが浮かび上がります。

(ほんとにサラリーマンと公務員の方すみません。だってみんながそう言うんだもん)。

公務員化を(フォローの意味で)ちゃんと考えてみると。

区役所等行政サービス機関の時間になったら「はい、おしまい」の窓口対応と、かっちり夜間土日はサービスしませんよ、とやってるあれを指して出てきてる言葉だと思います。

「はい、おしまい」とNPO職員が若者にやるとどうなるのか?

おわかりだと思いますので書きませんが。

ガチの支援者という言葉でみんな笑ってましたが、では安い給料と長い拘束時間を厭わない人たちが働き続けられる燃料はいったい何になるのでしょうか?

ちょっと教科書的ではありますが、それは得体の知れない使命感や情熱にほかならないと思うんです。

今の公務員化した職員たちが担保にしようとしていることは、労働者としては当然である、真っ当な対価と、保証された休みでしょう。

甘いこと言ってんじゃねえよ。とは私は思いません。至極真っ当な欲求だと思います。

そして、使命感や情熱を燃やし続ける燃料は何かといえば、真っ当な対価と、保証された休みでしょう。そして僕はここにステイタスを加えたい。

でも、それが担保されにくいから不満となり辞めていく。或いは対価に見合う形の労働の範囲を自分で判断して決めてしまう。

それをイマドキのワカモンはけしからんと一蹴してしまうのは、経営者としていかがなものか。

先輩労働者としていかがなものなのか。

こないだ読んだ『ソーシャルビジネス入門』に、従業員への給料は貧困レベルではなく生活レベルを払うことで様々リスクが回避できることが書いてありました。その通りだと思います。

なんとか給料の問題を解決するための事業化を鮮明に打ち出し、従業員の質を内側から上げていかないと、だめなんじゃないかと思う。

そういう見本となる事業形態をなんとか形にしたいと思います。

てことで、同業者諸兄よ。最近のスタッフはダメとか言ってちゃいかんのではないか?

若者にとって素敵な大人であるためのワーク・ライフ・バランスを維持していかないと、若者からもそっぽを向かれてしまうぞ!

Today's BGM is
Jimi Hendrix Experience/Band of Gypsys
Band_of_gypsysジミヘンは、クラプトンと同じくギタリストとしてと同じくらいボーカリストとしても好きなアーティストです。クラプトンのボーカリストしての成熟を追ってきている者にとって、もしもジミが生きていたらどんなボーカリストになっていたのか、というのは楽しい想像です。このライブ盤、歌が少ないんですよ。だからからあんまり聴いてなかったんですが、気持ちのいいアルバムですねえ。トリオもののライブといえばThe Whoあたりをイメージしますが、アプローチが全然違います。グルーブをキープし徐々に昇天していくこっちが僕は好き。


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