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2010年2月28日 - 2010年3月6日の3件の記事

2010年3月 5日 (金)

自由ってなんだろう

青臭いタイトルでお恥ずかしいのですが、この間紹介した広井良典さんの『定常型社会』の中の下記の引用箇所がずっと引っ掛かってて。

自分の中のロックンロール的な「自由」が音を立てて崩れていったのです。

僕はしばらく、この瓦礫の中からゴールデンリングを探すことになるでしょう。

以下長い引用をお許し下さい。まだようやくすることができません。

ここに二人の高校生がいたとする。一方は、経済的にも比較的恵まれた環境に育ち、大学への進学、海外への留学、あるいは進学せず、職人的な仕事を目指す等々の選択肢の中で迷っている。
他方は中学時代に父親を事故で亡くし、大学進学は困難で、何らかのかたちで自ら生計を立てていける進路ないし職業を探さなくてはならないという状況にある。
さて、この二人について見たとき、そこで「機会の平等」ということが十分保障されていない、ということは言うまでもない。では「自由」はどうか。
二人に対して「干渉しませんから“自由”にやって下さい」と言うことはできる。その限りでは両者はともに「自由」である。けれでも、当然のことながらその「自由」異名内容はまったく異なっている。つまり、(与えられた選択肢の中で)「好きなように」という意味で「自由」ということが言えたとしても、その場合の選択肢そのものが大きく異なっているのである。この場合「選択肢」の大小ということは、すなわち「潜在的な自由」の大小と言い換えられるだろう。つまり「自由」ということを放任とか「好きなように」という意味ではなく、その人が選びうる選択肢の広さという意味での「潜在的な自由」として捉えるならば、いまの例での後者の場合に十分に保障されていないのは他でもなく「自由」である。
「自由」ということを「潜在的な自由」という意味で理解するならば、「機会の平等」の保障とはすなわち「(潜在的な)自由」の保障ということと同じである。

僕は今ブルース・スプリングスティーンを聴きながら「自由」について再び考えている。自分の子どもたちには自由がないのかと…。

いくつもの河を渡り、いくつもの山を越えたのに、夜になるとアイツがやって来て俺の枕元でこう囁くんだ。

「俺から逃げることなんてできやしないぜ、諦めるんだな」

外すことのできない足かせ、背中に焼き付けられた刻印…。

ロックンロール的なメタファーとしてこのことは ロバート・ジョンソンの時代からずっと叫ばれ続けてきたことだと、ボスは言う。

瓦礫の中に何かが光っている…。

僕はなんとも自然なかたちで。まるで、誰かに誘われたかのように「ベーシック・インカム」に辿り着いた。

まさに、計画された偶然である。

Today's BGM is
Bruce Springsteen/Greetings from Asbury Park, N.J.
Greetings20from20asbury20park20nj ボスの73年のデビュー・アルバムである。多くのカリスマたちがそうであるように、ボスもまたはじめから本物である。「荒削りなEストリート・バンド〜」という解説があるがそれは偽りで、「お行儀の良い」が正しい評価である。哀しいかな僕は何を言っているかわからない(このことにはいつかしっかりとケリをつけよう)が、振動レベルで僕の何かと共振する声、抑揚、メロディがある。世界中の人がこの手紙を受けとり返せずにいるのではないか?

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2010年3月 4日 (木)

若年無業者が困難を抱えながらも中間的な就労を実現させる手段を考える

若年無業者が困難を抱えながらも中間的な就労を実現させる手段としての在宅ワークの可能性を探る『在宅ワーク・アカデミー』というイベントを開催した(やっとすっきり説明できた気がするなあf^_^;)。

大枠はかなり赤裸々に記事にしてあるのでこちらをご覧いただき、もっと引いた視点からの話しをしてみたい。

前もって言っとくと、僕は“ほぼ肯定派”です。

なので支援者が懐疑的になるのもよ〜くわかる。

もしも自分に上司がいて「今度うちの利用者に在宅ワークをやらせるからさ。おまえ責任者ね、よろしく」なんて言われたら、「何考えてんだうちの社長は。やっとひきこもりから出てきたのにまたひきこもらすのか!?」とかって言ってたでしょうね(苦笑)。

でも、よく考えると。

これは「在宅ワーク×ひきこもり」というミスマッチではなく、「在宅ワーク×僕らの勤労観」の問題なのではないかと、昨日のアカデミィを聞いていて思っちゃったわけです。

もしもですよ。高校三年生の息子が「俺、就職しないで在宅やるわあ」と言ったらどうですか?

「ちょっと待て」ですよね(笑)

今、イチローが週に一日は在宅ワークをなんてCMやってますよね(正社員の勤務形態なのでズレますが=議論がこんがらがる一因はこれ)。

国土交通省も在宅ワークを支援しているんですが、これは通勤に伴うCO2の削減とか環境という切り口で在宅ワーク推進派なんです。その他にも厚労省とか、国をあげて推進派なんですよ。

でも実際、企業でどの程度在宅ワークを導入できているのか。それがこのデータ。

まあ、予想通りかなり苦戦しているんです。これは日本人の勤労観に在宅ワークが馴染まないのではないかなあ、と思うのです。

ざっくり言うと「在宅ワーク=サボり」というパラダイムがある。

で、この勤労観がネックになる似たものとして「ベーシック・インカム」が挙げれるのではないかと思うんです。

「働かざる者、食うべからず」という徹底的に僕らに刷り込まれた価値観が、それを飲み込もうとするんだけど、喉に引っ掛かり押し戻そうとするみたいな。

だから、「自立=会社に行く」なんですよね普通。だから自立支援というスタンスからの反発がある。

でもこの議論は既存の自立をベストとしながら、新しい自立の形である“ベター”を模索する取り組みなんですよ。ようやく僕も議論しながら咀嚼と反芻を繰り返し飲み込めてきたんですけどね。

いや、社会経験がほとんどないひきこもり経験者の在宅ワークのリスクは十分わかってて。

でもこれはカリキュラム化で越えられる壁だと思います。

何度も言いますが、これをバネに一般就労を果たすのがベストです。

今回の“中間的就労”というテーマでいうところのメインターゲットは、カリキュラムとしてはこなせるけど、その後の一般就労の道がなかなか険しいぞ、という人たち。

そんな彼らのベターな策になるものの模索であり、現状でもっとも現実的なのが在宅ワークだと僕は思います。

他のスキームの模索もし続けるべきです。行政との事業はこの辺と、その可能性が浮上しても方向転換の舵切りが難しいのがネックです。

そして(この間の本田先生的に言えば)本体が動き、なんらかの社会保障がつくまでの“命を繋ぐ”ための手段という発想が必要だと思う。

在宅ワークは目的ではなく手段であり、本当の目的は違うよね(こっちの議論の方が早急に必要)。

ただ僕も“ほぼ”なんで。後は、試しながら不安や不満を解消できればいいと思います。

Today's BGM is
小野リサ/Look To The Rainbow-Jazz Standards from L.A.-/Cheek To Cheek-Jazz Standards from RIO-
51ixfn210fl_sl500_aa240__2 一時期の流行りのせいでいったん飽きちゃってましたが、この二枚をシャッフルして最近よくBGMとして聴いています。随分、アダルトですよ~。実際アダルトになられているのですが。洗練されたAORとして十分楽しめるクオリティの高さです。コーラス・ワークがゴージャス&パーフェクトなのが好みが分かれそうな気がします。僕は昔聴いていたマンハッタン・トランスファーみたいでありかなと。僕は意外な感じでLAの方が好きです。

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2010年3月 2日 (火)

高卒就職者へのキャリア・アップ教育について その3 「人間の三世代モデル」とその変容

横浜のユースアドバイザー養成講座の津富先生(ラブリーな方です)の回で紹介していた、広井良典氏の著書『コミュニティを問い直す』が、非常に刺激的だったんで、『定常型社会』を続けて読んでいる。4004307333

これまで個人的に蓋をしてきた臭いものがすべて詰まったような2冊である。

しかし、案外臭くなく、食べてみたらいけるぞ、みたいな本。というか切り口がいいんだなあ。

『定常型社会』は01年の出版であり、激変する今日にあっては随分ピント外れな部分もあるのかと思いきや大間違い。

ある種の予言書とも言える内容で、今読むと、ある意味で政治的な対応の遅れを浮き彫りにしているという思わぬ効果をジワジワと発揮している。

その中にあったのがタイトル。人間のライフサイクルを「高齢者−大人−子ども」の三世代にセグメントして、社会保障のベースにする考え方。448006501609_pc_ou09_sclzzzzzzz__2

人間の特徴は高齢期が構造的に長く、さらに長寿社会が老人の時期を長身させ、高齢者のなかにも「前期高齢者」と「後期高齢者」が分けて語られるようになっている。

同時に、人間は他の生き物のようにいきなり「大人」にならないので「子ども」の時期も長い。

要するに人生を「働(納税者)」と「遊(学)」に分けると、生産性や生殖に関わらない時期が前後に長く存在する。

社会保障の基礎となる「働」のパイの減少と、前後のパイと時期の拡大が税収のバランスを崩し、これをどこから調達し、運用するかということが書かれているわけだけど、そこは置いといて(あ、また蓋をした!)。

若年者就労支援の立場から気になる指摘として。

子ども時代も高齢者同様長期化しており、「前期子ども」「後期子ども」になっているのではないかという考察。

これは、支援現場では思春期の長期化としてよく語られるテーマではあるが、税収との絡みから社会保障を問い直す中で考察されているのがなるほどである。

でもってこんなこと言っている。

「後期子ども」とは、中高、大学を経て30歳前後までを含み、「働」と「遊」の複合形態が重要になる。これは「前期高齢者」も同様。

この「働」と「遊」の複合(中間的)期がまさに、若者の自分探しの時期といえるわけで、前期高齢者にしてみれば、恐らく団塊世代の地域への再デビューのような課題が浮上しそうだ。

まあ、何が言いたいかというと、親の経済事情で早期に社会におっぽりだされる青年たちが社会との齟齬をきたすのは、当然だよなあ、という嘆息が出たという話し。

僕は、ここでもう一度言いますが、『27歳までに2回の転職で天職に就く』という「軌道修正型キャリア・プランニング」(最近考えました)をセオリー化していきたいなと、改めて思った次第です。

でもってCDAの二次試験が落ちっぱなしなのに、テキストに掲載されるという形でのコンプレックス克服をしたい!なんちゃって。

広井さんは僕と同じ40代なんですよ。あとがきに、自分の世代を分水嶺として「定常化社会」への受け止め方が真っ二つだと書いてて。

団塊の世代は「ゼロ成長なんか有り得ない」と、どうやってそんな社会にやり甲斐を見出だすんだと反発が強く、若者からは成長だけが幸せではないという意見。

自立塾の話しで書きましたが、我々は次世代を担う若者の発想にシフトしていくべきだと個人的には思うし、広井さん同様、僕ら世代から変わるんだと思う。

Today's BGM is
Trojan Box Set
41wcszy8tgl_sl500_aa240_ 朝から気分悪いので、音楽だけでもノーテンキなものをセレクトする。こういうこだわりのない音楽とうか、屈託のないというか、何かが「ない」音楽というのはいいなあ。おおらかな気持ちになれる。SKAを聴いていと、特にコーラスワークを聴くとアメリカ音楽がジャマイカンたちのトランジスタのアンテナに引っかかって誤変換を起こした音楽なんだと納得する。早く夏よ来い!

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