« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2011年8月の6件の記事

2011年8月28日 (日)

「基本的コミュニケーション技能」と「認知学的学習思考言語能力」について『外国にルーツをもつ子どもたち〜思い・制度・展望〜』を読んで知ったこと。

Imgres僕が週一で相談員をしている横浜パーソナル・サポート・サービス「生活・しごと∞わかかもの相談室」(以下横浜PS)の、スタッフが事務処理を行う大テーブルにこの本が置いてあった。横浜PSは様々な支援団体の寄り合い型運営なので、行くといつも目新しい情報に触れることができることが、参加している僕のメリットにもなっている。 

僕と外国籍の方々のつながりはざっとこんな感じだ。

●横浜PSにいると、様々な人種の若い方の相談を受けることになる。
●僕が毎週行ってる田奈高校にも多くの外国籍の生徒がいる。
●過去に、足立区の生活保護世帯へのアウトリーチ事業で、お母さんがフィリピン人の高校生への支援というのがあった。その時、お母さんが本人とって必要な申請事務手続きのようなことが、言葉の壁でできないために、やらないといことがあった。恐らくその手続きの重要性も認識していなかったのではないだろうか。
●妻の友人の旦那がインドネシア人で、よくうちに遊びに来ていたり。

僕にとっては外国人は割と身近な方々だ。しかし、いざ彼らの“困りごと”になると、想像が及ばない。この本の中で出てくるように、在留資格にも色々と種類があり、その内容により受けられるサービス等が違うらしい。

本書で扱われている子どもたちは主に在留外国人が扶養する配偶者・子である「家族滞在」となり、進学時に奨学金が受けられないなど。こういうことを知らないと、支援の途中で必ず躓く。なので、勉強しなくちゃなと思っていたところだったので、すぐにお借りして読むことにした。

結果的には、本書はこのような専門知識を得るものではなく、現状とこれまでを俯瞰しながら、いくつかのケースを知るものになっている。僕にはちょうど良い入門書になった。

この本の中で、榎井縁さんによって触れられている「基本的コミュニケーション技能」と「認知学的学習思考言語能力」について、非常に興味を駆り立てられており、今後の僕の支援の中で大きなテーマになっていく事柄のように感じている。本の中では、このように書かれている。

二言語間で生きる子どもたちの発達と学力の問題については、研究者専門家により明らかにされてきた。日本語会話ができるだけではなく、日本語による教科学習(つまり学習言語取得)を行うためには、専門的なカリキュラムや指導が必要であり、(中略)モノリンガルな日本社会において、このことを指導できる専門的な訓練を受け実践を積む教師は限られている。(中略)日本語獲得を逃した子どもたちは、抽象的な思考ができなくなり、客観的に物事が捉えられない状況に陥るという。

ここでいう学習言語が、「認知学的学習思考言語能力」というものだそうで、脚注をそのまま紹介させていただくことにする。

移民の子どもたち言語獲得のモデルを示したカナダの言語学者カミンズが詳しい。カミンズは言語能力を「基本的コミュニケーション技能(BICS)」と「認知学的学習思考言語能力(CALP)」の2側面に分けて示した。前者はいわゆる日常社会の中で用いられる生活言語であり、後者は教育を受ける過程で習得される認識力や推察力を伸長させる抽象的概念的な学習言語である。子どもが母語以外の第二言語の、世界つ言語を身につけるには2〜3年、学習言語を身につけるには専門的な指導を受けるという条件下でも5〜7年かかるといわれている。こうした国際的な研究の中でも、子どもの母語を保持し継承できることが、どの言語も身につかないような危機的な状況を回避させ、長期的には子どもの発達を健全にする手立てであるといわれている。

上記のどの言語も身につかない状況を「ダブルリミテッド」という。ダブルリミテッドになる具体的な事例が紹介されていた。

Cさんは小学校もきちんと通えず、母国語の読み書きも不十分なまま日本に来日。小学校後半から日本の教育を受けた。Csannha日本語の日常会話を習得するのと引き換えに母語を忘れた、日本語も学習言語は不十分なまま高校に入学してきた。このため入学後、ますます難しくなった日本語の学習についていくことが難しく、授業中ノートをとることすらつらい様子だった。

このような子どもたちは多いのではないか?帰国子女の問題でもどうようのことがいわれているようだが、要するに自分の気持ち、心の襞のようなデリケートな感情を人に伝えることができないという問題なのだろう。その感覚は想像できていたが、「客観的に物事が捉えられなくなる」ということは意外なようで、言われれてみればなるほどそうか、と思わせるショッキングなことであり、後述する、ひきこもりの問題へと僕の中でつながる事実だった。

学習言語を習得するための方法として、まずは母語をしっかりマスターする必要があるという。

高校でぶつかる壁は、学習言語という壁。日常会話ができても、学習言語の習得までには繋がらない。ただし、1つの学習言語が習得できていれば、他の語学を学ぶ時、その言葉に置き換えれば理解できるようになる。母語を磨くことは、日本語習得の近道でもあるのだ。

しかし日本は、以下のような背景により、遅れを取っているという。

二言語間で生きる子どもの発達と学力の問題があるが、(植民地の同化政策への反省として)日本語を重視しない教職員と、技術的な日本語指導を推進する教職員が、子どもの日本語の課題を放置する形となってしまったといえる。

う〜ん、どうしたものか。

高校では、外国籍の生徒に対するコーディネーターが派遣されている学校もあるようだが、まだまだ十分は対応はできていない。それだけではなく、言語能力に遅れをとる外国籍の生徒たちが、そもそもが全日制に合格することが難しい。そして、全日制に入学できなかった子どもたちは定時制に行く。定時制がダメなら通信制。このことについては、以下のように笹尾裕一さんは書いている。

定時制に入れなければ通信制の高校に行くことになるが、母語を日本語としない生徒にその卒業はハードルが高い。高卒の資格を取らないで日本社会で生きていくことは難しい。高校への進路保障は、彼らの生きる権利を守ることである。その権利が守られていない。

自分自身の関心が、学校にあるので、本書から特に強く感じたのは、この辺の問題だ。そして、この問題が帰国子女とかぶるとともに、ニートやひきこもりの問題に通底していくように感じながら、本書を読み進めていた。

この仕事を通じて感じていることは、全てとは言わないが、当事者たちのボキャブラリーの貧困さというのがある。本書のCさんになぞれば、学習言語を習得する前に、不登校となり誰とも口を聞かないまま思春期を過ごし、学習言語を習得する機会を逸してしまった。

それにより、自分の置かれている状況を客観的に正確に把握したり、改善方法を考えることができないまま、ひきこもりがどんどん長期化していく。

これはこじつけだろうか?

高校生と付き合っていても、この人は日本人なのか?と思うことはよくある(笑)。思考の深さとボキャブラリーの数は比例する。だからボキャブラリーを増やす支援というのは、何か有効そうだぞ、ということは現場支援者なら一度は思ったことがあることだろう。

日本語教育、とくに「認知学的学習思考言語能力」の習得について、外国にルーツを持つ子どもたちのみならず、考えていく必要があるのではないか。

最後に、まとめとして、僕のもっとも強い読後感は、「誰も教えてくれない問題だよなあ、ちゃんと教えておいて欲しかったなあ」だ。自分の不勉強を棚に上げるわけではないが、これはわからない、という問題ばかり。そして、ついで襲ってくるのは、知ってしまった僕は、一体何が出来るんだろう?ということ。

この問題意識を大切にし、さらにアンテナを張り、マイノリティたちの声に耳を澄まそう。意識して情報集してみようという感じです。

以下に、僕がこの本から学んだことをツイートしたものを転載する。

二言語間で生きる子どもの発達と学力の問題があるが、(植民地の同化政策への反省として)日本語を重視しない教職員と、技術的な日本語指導を推進する教職員が、子どもの日本語の課題を放置する形となってしまったといえる。『外国にルーツをもつ子どもたち』より。

posted at 09:46:00

これまで、何度か外国にルーツをもつ子どもたちと出会って来たが、素朴に感じる問題点は、保護者が、日本語がわからず、子どもの持ち帰るプリントや公的な手続きを自力で行なえないこと。必要としている支援にアクセスできない感じは、情報格差と同じ構図。保護者が孤立化しているケースも目立った。

posted at 09:03:50

@LP9th 僕が引っかかった引用なので、僕もなるほどなあ、そうなのかなあ、という感じです。『外国にルーツをもつ子どもたち』という本は、ちょっと気になっていたことが歴史を踏まえた上で書かれていますので、勉強になります。気になる点があれば、お読みいただければと思います。

posted at 21:55:52

これは認知的学習思考言語能力が身につかなかったケースとして理解できる。“日本語獲得を逃した子どもたちは抽象的思考ができず、客観的にものを捉えられない状況に陥る。本人も集団の中でみんなと一緒にいることでわかっている気になり自覚ができない。”『外国にルーツをもつ子どもたち』より。

posted at 14:06:02

日本語を母語としない1世の母親を持つ子どもたちの低学力やドロップアウトの問題の多くが、日本語に躓くことが原因。『外国にルーツをもつ子どもたち』より。24hTVでやってたストリートチルドレンの問題と根本は同じ「言語能力」なんだ。聾唖者の両親に育てられた若者も似た様な悩みを抱えてた。

posted at 09:06:15

母語と日本語が話せる通訳者は、必ずしも日本語指導ができるわけではないことも明らかにしておかなければならない。『外国にルーツをもつ子どもたち』より。これもなるほどだなあ。それでいいわけではなく、やはり専門的な教育が必要なんだなあ。

posted at 09:17:11

『外国にルーツをもつ子どもたち』で、メンヘルの危機要因に、移住による社会的経済的地位の低下があり、子どもが親を尊敬しなくなる事例が紹介されてて。ちょっと考えれば想像がつくのに、まったく想像していなかったことだったので、はっとした。思いやりに欠ける以前の無知さに腹立たしさも感じた。

posted at 09:46:20

移住によるメンタルヘルスに不調をきたすハイリスクな人々は、価値観の出来上がった老齢期の人と、アイデンティティが確立される時期にある思春期の人。思春期は、それだけでも難しい時期であるのに、そこに文化的変化が加わると精神的な危機が生じやすい。『外国にルーツをもつ子どもたち』より。

posted at 09:37:53

深刻な言葉の問題として、母語も忘れ、日本語の授業にもついていけずに習得できない「ダブルリミテッド」の生徒の存在がある。(略)彼らを受け止める体制は未だにできていない。『外国にルーツをもつ子どもたち』より。帰国子女の問題と同じですね。専門的な支援が学校内に求められている。

posted at 19:17:00

高校でぶつかる壁は、学習言語という壁。日常会話ができても、学習言語の習得までには繋がらない。ただし、1つの学習言語が習得できていれば、他の語学を学ぶ時、その言葉に置き換えれば理解できるようになる。母語を磨くことは、日本語習得の近道でもあるのだ。『外国にルーツをもつ子どもたち』

posted at 18:55:05

定時制に入れなければ通信制の高校に行くことになるが、母語を日本語としない生徒にその卒業はハードルが高い。高卒の資格を取らないで日本社会で生きていくことは難しい。高校への進路保障は、彼らの生きる権利を守ることである。その権利が守られていない。『外国にルーツをもつ子どもたち』より。

posted at 18:40:58

神奈川県の全日制進学率はここ数年90%未満で、全国最低レベルである。全日制の公立高校募集人数が減少しているためだ。このため定時制は受験者数が多く、希望した学校に全員合格できるわけではない。『外国にルーツをもつ子どもたち』より。神奈川最低だ。若年者支援の躓きがここから始まってる。

posted at 09:01:26

マジョリティの人が良かれと思ってすることや代弁することにマイノリティ当事者が勝手に代弁するな、お前は何をわかっている、支援者のふりをしてるけれどお前も加害者じゃないか、という言い返し…『外国にルーツをもつ子どもたち』より。立場性を謙虚に見直し続けるべし。終礼の場などに必要な機能。

posted at 08:44:32

『外国にルーツをもつ子どもたち』読了。とにかく知らないことばかり。優しさがないから支えられないのではなく、知らないから優しくなれないことってあると思った。外国人に限らずマイノリティの問題は表面化しにくいし、まともに対応されにくいのが問題な気がしました。少しアンテナを張ってみよう。

posted at 19:57:09

Today's BGM is
サニーデイ・サービス/東京
3e38e33eサニーデイ96年のセカンド。15年も前ですかあ。そんなに聴かなかったけど甘酸っぱいなあ。良くも悪くもはっぴいえんどが引き合いに出されますが、吉田拓郎の臭いのほうが強く感じるのは僕だけ?名曲「青春狂走曲」は、なぜか長男のお気に入りで、ヘッドフォンで聴きながらよく歌っているんだけど、まるでお経のようです。長くなったついで笑えるようで笑えないPVもペタ。

| | コメント (0)

2011年8月14日 (日)

自家製カリカリ食べるラー油の作り方

___2

自家製食べるラー油を4回作りました。毎回、何かしらのミスをしながらも、結局は美味しいので、誰がどう作っても美味しいのでしょう。団地妻たちも美味さと辛さに悶絶しています。是非、皆さんも挑戦してみてください。以下で、ジャムのデカい瓶一本分ぐらい。我が家的には一ヶ月持つぐらい。

特徴
油っぽさが毎回ほとんどなくなり、しっとりとした食べるラー油ふりかけのような感じにまります。
油が欲しい人は、ごま油を増量してみてください。

材料
サラダ油     150cc
ごま油      150cc
長ネギの青いとこ 15センチぐらい
玉ねぎ      1つ
にんにく     4〜5欠片(一個の半分ぐらい)
アーモンド    ケーキの食材売り場にあるスライス
一味唐辛子    一本(15g)
パプリカ     一本(15g)
煎りごま     適量
砂糖       小さじ一杯(自信なし)
塩        大さじ一杯(自信なし)
チキンブイヨン  一個

作り方
1.サラダ油とごま油をフライパンに入れて、そこに長ネギの青いところをいれる。焦げ始めたら捨てちゃいます。
これの意味があるのかないのか正直わからないし、効果も感じられないが通過儀礼として行う。長ネギなければないでいいんだと思うが、筆者は認めたくない感じ。

2.玉ねぎをでかいみじん切りみたいな感じで、ざく切りにし、カリッとあがるように小麦粉をまぶして、フライパンの油の中に投入する。迷った時の中火(みうらじゅん師匠の名言)で、じっくり小麦色になるまで揚げていく。

3.ニンニクのスライスと、アーモンドのスライスを袋の上からグリグリと崩しながら、小麦色になる手前ぐらいで投入。このタイミングも正直つかめていない。アーモンドスライスを宗教儀式のように子どもの舌にぺたっと置き、手を合わせるとそれっぽい。

※2と3のフライパンの火の止めるタイミングですが、予熱でけっこう焦げていきますのでご注意を。玉ねぎの白い部分がちょっと残るぐらいだと、その甘味がいい感じ。僕は、それがなくなるぐらいローストさせちゃう方が好きです。お好みで!

4.そこに上記分量の、塩、砂糖、ブイヨン、ごま(多いぐらいが美味しそう)、パプリカ(毎回いらないんじゃね?と思ってます。多分色付け)、一味唐辛子を投入し、よくかき混ぜ、冷ましたら出来上がり。

5.この時、さい箸の先っちょをペロッと舐めると死ぬほど辛い。

オススメの食べ方
何にかけても美味しのですが、特に麻婆豆腐に入れると一気に本格的になります。変わり種としては、ソーメンのつゆにラー油、海苔、きゅうり、シーチキンを入れて食べたら、メチャ美味でした。辛味が増すので入れすぎ注意。

以上。

Today's BGM is
Lee Morgan/Candy
Lee_morgan_candy男が料理を作るときのBGMはJazzがいい。しかし3管とかのけたたましい系は気が散るから駄目だ。男が料理を作る時に聴くならワンホーンに限る。そう、このアルバムのようなね。メッセンジャーズでのちょっと突っ張った、喧嘩腰のようなリーもたまらないが、ここでの誰に気を使うこともなくのびのびと吹いているリーが最高だ、この心地良さ。独壇場というのはこういうのを言うのだろう。表題曲の一音目のベンドでやられる。


| | コメント (0)

2011年8月 5日 (金)

【コラム】スキンシップというラポール形成スキル

ラポールとは、カウンセラーがクライアントとの信頼関係を指す、心理学などでよく使われる言葉です。確かフランス語で「架け橋」という意味、だったようなw。

このラポールを、意図も容易く築き上げてしまう男たちが、僕のいた職場にはけっこういました。そのスキルが、今日のテーマ「スキンシップ」です。

通常のそれは、ソフトタッチから入り、ヘッドロックやドツキへと、ラポールが形成され、強固なものになるに従い、容赦なくなっていき、四の地固めなどへと発展していきます。

ちなみに、僕は下手。今、思い返してみると、断然体育会系のスタッフたちが、スキンシップの名手たちでした。

彼らにヘッドロックされた利用者は、ココロもロックされれたように、スタッフを信頼していきます。

想像してみて下さい。10年間引きこもっていて、誰とも接触してこなかった若者が、10年ぶりにヘッドロックをかけられ、「やめて下さいよ~」とか言いながら、まんざらでもないココロ模様を。

想像してみて下さい。カウンセリング・ブースで、カウンセラーがクライアントにスキンシップをしているところを…。こっちはヤバイです。危険な香りがしますよね?

ブースの中だから安心して築けるラポールもありますが、ブースの外だからこそ、生活をともにしているからこそできるラポールもあるんですよね。

象徴的なのはマージャンです。これまで、ネットやゲームの中でしかしたことのないマージャンを、四人でテーブルを囲み、手が触れ合いながらジャラジャラと牌を混ぜるあの感じ。

ベテランスタッフになると、牌を混ぜながら、緊張感の高い利用者の手をわざと握るという、変態と紙一重な高級スキルを使います。これがスタッフとのキャラとマッチした瞬間、至福の和みが生まれます。

マージャンのできるスタッフと、マージャンにハマった利用者の、密接な信頼関係は、まさに引きこもり青年の人生を変えるほどのものがあります。

若年者就労支援施設での、有能なスタッフの必須条件を、ハローワークの求人風にまとめると、以下のようになるのではないでしょうか。

人の肌に抵抗なく触れることのできる体育会系の方で、プロレスの技をマスターされている方。マージャンができる方にはもってこいの職場です。点数を数えられる方優遇。

そういえば。ある日、背伸びして利用者にマージャンを教えてたら、「石井さん、それ逆まわりやで」と言われたことがあったなあw。

スキンシップは、訪問販売員の高級テクニックでもあります。その昔、掃除機売りだった僕は、主婦に、実際に掃除機を使ってもらうというデモンストレーションで、「奥さん腰曲がってるよ!」と、購入を決断出来ない方には「決めちゃいましょう奥さん!」と、ポンと腰を叩いたものです。

また、部下からの信頼を獲得する方法として、ビジネス書なんかで、「部下の肩をポンと叩いてみる」なんていうのも紹介されていますよね。

親子しかり。スキンシップというのは、ラポール形成の重要な要素なんですね。夏の行楽シーズン真っ盛り、久しぶりにパートナーと手をつないでみては?というキモいオチ。

| | コメント (0)

2011年8月 3日 (水)

【コラム】昼夜逆転は一日で治ります!

いつも僕に刺激的なトレンドを紹介してくれる、NPO法人育て上げネット工藤理事長が、育休中の気づきとして発信している、日中の稼働年齢層の居場所のなさ。

工藤理事長は、これが昼夜逆転を生む一要因になっていると言っている。若者が居ておかしくないのは図書館ぐらいだとw。

ああ、わかるな~、ということで、今回は昼夜逆転について書いてみます。

これ、どうでもよくないか?と、思う方も多いのではないかと思います。しかし、保護者相談を受けていると、保護者が心配していることのベスト3ぐらいに、昼夜逆転がランクインしてくるぐらい、一緒に生活している家族にとっては、大問題なんですよね。

中には、昼夜逆転というのは病気だと思い込んでいる保護者の方も少なからずいらっしゃって、「治るんでしょうか?」なんて、真顔で言われます。

僕はキッパリ言いますよ、「一日で治ります!」ってw。今日はこのことについて書いていきますが、その前に。

保護者の心配は、おおよそ以下の通り。

1,昼間の仕事に就けないのではないか?

2,自分たちが寝ている間、何をしているのかわからない。

3,日に当たらないという不健康さ。

という感じ。2,については、同じ屋根の下に住みながら、もう何年も子供の顔を見ていないため、子供の髪型を知らない、という信じ難い状況が普通にあります。

ただし、よく話を聞いていくと、保護者も遭遇しないように配慮しているケースが圧倒的なんです。ここに長期化の罠が潜んでいますが、この話はまた今度。

工藤理事長の法人、育て上げネットの敏腕スタッフ山本さんと、昔、何度か一緒に保護者相談を受ける機会がありました。山本さんは若者目線の説明が上手いんです。その時、山本さんが保護者の方に言っていた昼夜逆転の説明はナイスでした。カミングアウトすると、以後使わせていただいていますw。

「僕も三連休なんかあると、昼夜逆転しちゃいますよw。明日休みだからいいやとゲームをやって二時三時になる。次の日なんにもなければ昼まで寝て、夜眠くないから、また起きてると。うちの若いスタッフもみんなそう」と、こんな感じ。

そう、“予定がなければ”、若い人は誰もが昼夜逆転するんです(おっさんはなぜか朝目が覚める)。

逆に言えば、予定があれば昼夜逆転は一日で治るんです。だから、昼夜逆転をどう朝方に戻すかを考えても、昼夜逆転は治らない。

そうではなく、どう予定のある日常を取り戻すか、を考えなければならないのです。その際、この予定が他者との約束になっていることがポイント。

ひきこもり、ニートの若者が他者とのアポイントを取る。あり得ないですよね。だから、育て上げネットのような若者支援団体が必要となるわけです。

昼夜逆転は一日で治ります!この話に戻しましょう。僕は、今はなき、三ヶ月の合宿型就労支援「若者自立塾」(厚労省委託)の責任者をしていました。

ここにくる若者は、ほぼ間違いなく昼夜逆転の生活を送っていました。もちろん、起こしにもいきましたが、100%翌日から起きてきていました。

起きて来ないと、みんなが朝ごはんを食べれないという、「他者との約束」がそこにあるからです。彼らを見ていると、他者との約束は、いつしか「自分との約束」に変わっていくのがわかります。僕は、それが自からの足で立つ「自立」なんだと考えています。

自立塾の集まりなどで、他団体の職員から昼夜逆転が治らない、という悩みを聞きましたが、恐らくこの「他者との約束」という設計が抜けているんだと思います。

ということで、昼夜逆転は一日で治ります!ただし、昼夜逆転は一日で戻りますw。

そんなもんなんですよ、お母さん。

最後に、僕らの業界でまことしやかに囁かれている、昼夜逆転にまつわる都市伝説的仮説を紹介しましょう。それは「昼夜逆転25時間サイクル説」です。

これは、ひきこもり生活をしていると、体内時計が25時間設定となり、必然的に、毎日眠くなる時間が一時間ずれていく。よって、昼夜逆転し続けることはなく、あるサイクルで朝方に戻り、また夜型に戻っていくというもの。

ないない、という声が聞こえてきそうですが、本当のところ、どうなんでしょうかw。

| | コメント (0)

2011年8月 2日 (火)

【コラム】下ネタという大衆型見立てツール論

僕も、こういうことを書くのが立場上不適切な気がしますが、誰も書かない大事なコトとして、さっくり書いておきます。

世知辛い世の中になったと申しますか、真っ当な世の中になったと申しますか、下ネタがタブーになっております。

思い出せば、僕が前職で、食堂での下ネタを禁止させられた2002〜3年頃からでしょうか。

僕が前職で最初に就いた部署が、リサイクル資源をひきこもり経験のある若者たちとトラックに乗って回収して回る、通称「エコ」でした。

ここには、家から出てきた(主体的に出てきた人も、非主体的に出てきた人もいます)若者が、最初に参加するプログラムで、僕はそこの責任者でした。主なミッションは、定着と見立てです。

若者たちと、段ボールや瓶、缶、雑誌やボロなどをを回収しにいくと、雑誌の中にエロ本があるわけです(僕らはこれを貯めては売りにいき、非公式の飲み会を若者たちとしていましたw。売りに行く時の気まずさときたら!)。

この話のポイントは、下ネタが通じる若者たちと、下ネタが通じない若者では、自立していくスピードが明らかに違うということです。

どちらが早いと思います?

ご想像通り、下ネタが通じる若者たちは、あっという間に元気になり、すったもんだありながらも、なんとか社会に出ていきます。

しかし、下ネタが通じない若者たちは、時間がかかる。というのが、僕の実感値です。ただ、これまで多くの支援者から共感を受けてきている気付きなので、多分そうなんでしょう。

さっきの「エコ」の休憩時間に、スタッフとエロ本見ながらゲラゲラ笑ってるヤツは安心でした。しかし、僕が「持ってくか?」なんてエロ本を差し出すと「僕はそういうのは読みません!」なんていう若者は要注意です。ほぐすのに時間がかかるというのでしょうか。

ここで大事な見立てとしては、オープンかムッツリかなのですが、オープンでもムッツリでもないタイプがどうやらいたなあ、ということです。ここは正直、僕もよくわからない。

なので、このよくわからなさを、他の部分で補い支援方針を立て、本人と向かい合って、結局下ネタが通じる健全な若者になってほしい、ということではなく、そんなコトはどうでもいいこととして、自立していってほしいわけですが、その自立の過程を構築する上で、下ネタって案外大事なファクターなんじゃないかと思うと、言いたいわけです。

最近、ブースの中の相談とか、大勢を前にした講義が中心で、昔の生活を共にしながら、ほんとにダイナミズム溢れる支援をしていた頃が懐かしい。

ブースで向き合うんじゃなく、トラックの運転席と助手席で、同じ景色を観ながら、同じ風に吹かれ、汗だくになって、腹好かせながら、「おまえこれからどうすんの~?ちゃんと考えてんのかよ?」なんて、目も合わさず聞くあの感じ。僕にはあってたな〜。なんて、思う。

話を戻すと、欲望の強さだと思います。欲望を達成させるための手段に、仕事だとかお金があるわけで。マズロー的なテッペンを、下が満たされていないのにストイックに目指しちゃうリアリティーのなさ。

このギャップの深さが下ネタというファクターからも、見えるんじゃないか。ということを気にしてもいいのかなあ、程度の話でした。

下ネタではなく、シモネタとした方が、ソフトだったかなと、プチ後悔しつつ、下ネタというのは、ちょっとお下劣な、許し合うという大衆コミュニケーションのツールなんだろうな、というこを感じるのでした。

あんまり、さっくりじゃなかったですねw。

| | コメント (0)

2011年8月 1日 (月)

【コラム】気になる独り言と、気にならない独り言

NPOの支援施設で、長い間、ひきこもり経験者の若者たちと、ともに生活をしながら、感じていたことを、ふと思い出したのでメモ書きしておきたい。

独り言は誰でも言いますよね?

僕もCDをチョイスしながら「な~に聴こっかな〜」などど言ってる。電車の中でも、誰かが「いけねっ」とか、よく言ってる。

でも、今回の話はその独り言はとは、ちょっと違う独り言。自閉症の方の独り言と、統合失調症の方の独り言の違いについて、まったく非科学的な実感値に基づいて、書いてみたいと思います。

気になる独り言と、気にならない独り言の違いは何か?

それは、心の中に他者がいるか、心の外に他者がいるかの違いだとだと思います。

先ほど例に出した「な~に聴こっかな〜」や「いけねっ」の場合は、聞いてほしい他者がどこにもいません。だから、あんまり気にならない。

僕がお付き合いしてきた自閉症の方たちの独り言は、基本気になりますw。慣れると、完全に気にならなくなりますが、新人くんたちは、必ずといっていいほど反応しちゃいます。

自閉症の彼らの独り言は、他者が心の外側にいるパターンです。その他者は本当にそこにいることもあるし、いないこともある。

だから、独り言を聞いた人は自分に話しかけられているようで、反応してしまうんです。或いは電車の中などでは、面倒なことにならないように距離をおかれてしまうんです。

自閉症の方たちは、自分に反応してくれて、簡単に嘘に引っかかる新人くんたちが大好きです。先輩スタッフは、それをある種のイニシエーションとして、微笑ましく見ています。

一方、統合失調症の方の独り言は、心の内側に他者がいる感じの独り言なので、明らかに自分に言われている感じがしません。

自閉症の方の、情報が目から入り、それに反応しているのに対して、統合失調症の方の独り言は、なにに反応しているのかわかりません。完全に内側で起きている現象に対して反応しているようです(幻聴や幻覚)。

明らかに言葉が目の前の現象からかけ離れているので、私たちが物語に引きずり込まれることがないのです。

新人くんたちの過ちのひとつに、この物語にクビを突っ込んでえらい目に遭うということが、ちょくちょくあります。僕もありました。

ちなみに、自閉症の方の独り言に首を突っ込んでも、そんなに、えらい目には遭いませんので、ご安心ください。

この話は、民間療法的なひとつの見立てとして、独り言を言うクライアントが、どのような方なのかを判断する際に、他者がどこにいるのか、にポイントをおくと、ある程度の仮説が立つといえるんじゃないかと僕は思っています。

大事なことはあくまで仮説であり、これを実証するために様々なカリキュラム(或いは家庭内での動き)での動きを、複眼的眼差しで考察しつつ、支援方針を立てていくことが大事で、特に医療機関にかかっていない統合失調症の方の見立てから、医療機関への繋ぎには、日常の観察が、大切になることが多いように思います。

今朝、通勤途中、威勢のよい鳥の鳴き声を聞き、ましたが、鳥の声って気にならないですよね?でも、犬やネコの声は気になりますよね?

これも、鳥の心の中には他者がいないけど、犬やネコの心の中には他者がいるからなんだと、買ってに関連付け、コラムを書く気になった次第でしたw。

最後に、仕事中に考えを口にしながら仕事する人がいますよね?すっげー気になりますよね?なんでだと思います?

あれは、忙しいアピールで、明らかに他者であるあなたがターゲットになってるからなんですよ。

ということで、おしまい。

| | コメント (0)

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »