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2011年8月28日 (日)

「基本的コミュニケーション技能」と「認知学的学習思考言語能力」について『外国にルーツをもつ子どもたち〜思い・制度・展望〜』を読んで知ったこと。

Imgres僕が週一で相談員をしている横浜パーソナル・サポート・サービス「生活・しごと∞わかかもの相談室」(以下横浜PS)の、スタッフが事務処理を行う大テーブルにこの本が置いてあった。横浜PSは様々な支援団体の寄り合い型運営なので、行くといつも目新しい情報に触れることができることが、参加している僕のメリットにもなっている。 

僕と外国籍の方々のつながりはざっとこんな感じだ。

●横浜PSにいると、様々な人種の若い方の相談を受けることになる。
●僕が毎週行ってる田奈高校にも多くの外国籍の生徒がいる。
●過去に、足立区の生活保護世帯へのアウトリーチ事業で、お母さんがフィリピン人の高校生への支援というのがあった。その時、お母さんが本人とって必要な申請事務手続きのようなことが、言葉の壁でできないために、やらないといことがあった。恐らくその手続きの重要性も認識していなかったのではないだろうか。
●妻の友人の旦那がインドネシア人で、よくうちに遊びに来ていたり。

僕にとっては外国人は割と身近な方々だ。しかし、いざ彼らの“困りごと”になると、想像が及ばない。この本の中で出てくるように、在留資格にも色々と種類があり、その内容により受けられるサービス等が違うらしい。

本書で扱われている子どもたちは主に在留外国人が扶養する配偶者・子である「家族滞在」となり、進学時に奨学金が受けられないなど。こういうことを知らないと、支援の途中で必ず躓く。なので、勉強しなくちゃなと思っていたところだったので、すぐにお借りして読むことにした。

結果的には、本書はこのような専門知識を得るものではなく、現状とこれまでを俯瞰しながら、いくつかのケースを知るものになっている。僕にはちょうど良い入門書になった。

この本の中で、榎井縁さんによって触れられている「基本的コミュニケーション技能」と「認知学的学習思考言語能力」について、非常に興味を駆り立てられており、今後の僕の支援の中で大きなテーマになっていく事柄のように感じている。本の中では、このように書かれている。

二言語間で生きる子どもたちの発達と学力の問題については、研究者専門家により明らかにされてきた。日本語会話ができるだけではなく、日本語による教科学習(つまり学習言語取得)を行うためには、専門的なカリキュラムや指導が必要であり、(中略)モノリンガルな日本社会において、このことを指導できる専門的な訓練を受け実践を積む教師は限られている。(中略)日本語獲得を逃した子どもたちは、抽象的な思考ができなくなり、客観的に物事が捉えられない状況に陥るという。

ここでいう学習言語が、「認知学的学習思考言語能力」というものだそうで、脚注をそのまま紹介させていただくことにする。

移民の子どもたち言語獲得のモデルを示したカナダの言語学者カミンズが詳しい。カミンズは言語能力を「基本的コミュニケーション技能(BICS)」と「認知学的学習思考言語能力(CALP)」の2側面に分けて示した。前者はいわゆる日常社会の中で用いられる生活言語であり、後者は教育を受ける過程で習得される認識力や推察力を伸長させる抽象的概念的な学習言語である。子どもが母語以外の第二言語の、世界つ言語を身につけるには2〜3年、学習言語を身につけるには専門的な指導を受けるという条件下でも5〜7年かかるといわれている。こうした国際的な研究の中でも、子どもの母語を保持し継承できることが、どの言語も身につかないような危機的な状況を回避させ、長期的には子どもの発達を健全にする手立てであるといわれている。

上記のどの言語も身につかない状況を「ダブルリミテッド」という。ダブルリミテッドになる具体的な事例が紹介されていた。

Cさんは小学校もきちんと通えず、母国語の読み書きも不十分なまま日本に来日。小学校後半から日本の教育を受けた。Csannha日本語の日常会話を習得するのと引き換えに母語を忘れた、日本語も学習言語は不十分なまま高校に入学してきた。このため入学後、ますます難しくなった日本語の学習についていくことが難しく、授業中ノートをとることすらつらい様子だった。

このような子どもたちは多いのではないか?帰国子女の問題でもどうようのことがいわれているようだが、要するに自分の気持ち、心の襞のようなデリケートな感情を人に伝えることができないという問題なのだろう。その感覚は想像できていたが、「客観的に物事が捉えられなくなる」ということは意外なようで、言われれてみればなるほどそうか、と思わせるショッキングなことであり、後述する、ひきこもりの問題へと僕の中でつながる事実だった。

学習言語を習得するための方法として、まずは母語をしっかりマスターする必要があるという。

高校でぶつかる壁は、学習言語という壁。日常会話ができても、学習言語の習得までには繋がらない。ただし、1つの学習言語が習得できていれば、他の語学を学ぶ時、その言葉に置き換えれば理解できるようになる。母語を磨くことは、日本語習得の近道でもあるのだ。

しかし日本は、以下のような背景により、遅れを取っているという。

二言語間で生きる子どもの発達と学力の問題があるが、(植民地の同化政策への反省として)日本語を重視しない教職員と、技術的な日本語指導を推進する教職員が、子どもの日本語の課題を放置する形となってしまったといえる。

う〜ん、どうしたものか。

高校では、外国籍の生徒に対するコーディネーターが派遣されている学校もあるようだが、まだまだ十分は対応はできていない。それだけではなく、言語能力に遅れをとる外国籍の生徒たちが、そもそもが全日制に合格することが難しい。そして、全日制に入学できなかった子どもたちは定時制に行く。定時制がダメなら通信制。このことについては、以下のように笹尾裕一さんは書いている。

定時制に入れなければ通信制の高校に行くことになるが、母語を日本語としない生徒にその卒業はハードルが高い。高卒の資格を取らないで日本社会で生きていくことは難しい。高校への進路保障は、彼らの生きる権利を守ることである。その権利が守られていない。

自分自身の関心が、学校にあるので、本書から特に強く感じたのは、この辺の問題だ。そして、この問題が帰国子女とかぶるとともに、ニートやひきこもりの問題に通底していくように感じながら、本書を読み進めていた。

この仕事を通じて感じていることは、全てとは言わないが、当事者たちのボキャブラリーの貧困さというのがある。本書のCさんになぞれば、学習言語を習得する前に、不登校となり誰とも口を聞かないまま思春期を過ごし、学習言語を習得する機会を逸してしまった。

それにより、自分の置かれている状況を客観的に正確に把握したり、改善方法を考えることができないまま、ひきこもりがどんどん長期化していく。

これはこじつけだろうか?

高校生と付き合っていても、この人は日本人なのか?と思うことはよくある(笑)。思考の深さとボキャブラリーの数は比例する。だからボキャブラリーを増やす支援というのは、何か有効そうだぞ、ということは現場支援者なら一度は思ったことがあることだろう。

日本語教育、とくに「認知学的学習思考言語能力」の習得について、外国にルーツを持つ子どもたちのみならず、考えていく必要があるのではないか。

最後に、まとめとして、僕のもっとも強い読後感は、「誰も教えてくれない問題だよなあ、ちゃんと教えておいて欲しかったなあ」だ。自分の不勉強を棚に上げるわけではないが、これはわからない、という問題ばかり。そして、ついで襲ってくるのは、知ってしまった僕は、一体何が出来るんだろう?ということ。

この問題意識を大切にし、さらにアンテナを張り、マイノリティたちの声に耳を澄まそう。意識して情報集してみようという感じです。

以下に、僕がこの本から学んだことをツイートしたものを転載する。

二言語間で生きる子どもの発達と学力の問題があるが、(植民地の同化政策への反省として)日本語を重視しない教職員と、技術的な日本語指導を推進する教職員が、子どもの日本語の課題を放置する形となってしまったといえる。『外国にルーツをもつ子どもたち』より。

posted at 09:46:00

これまで、何度か外国にルーツをもつ子どもたちと出会って来たが、素朴に感じる問題点は、保護者が、日本語がわからず、子どもの持ち帰るプリントや公的な手続きを自力で行なえないこと。必要としている支援にアクセスできない感じは、情報格差と同じ構図。保護者が孤立化しているケースも目立った。

posted at 09:03:50

@LP9th 僕が引っかかった引用なので、僕もなるほどなあ、そうなのかなあ、という感じです。『外国にルーツをもつ子どもたち』という本は、ちょっと気になっていたことが歴史を踏まえた上で書かれていますので、勉強になります。気になる点があれば、お読みいただければと思います。

posted at 21:55:52

これは認知的学習思考言語能力が身につかなかったケースとして理解できる。“日本語獲得を逃した子どもたちは抽象的思考ができず、客観的にものを捉えられない状況に陥る。本人も集団の中でみんなと一緒にいることでわかっている気になり自覚ができない。”『外国にルーツをもつ子どもたち』より。

posted at 14:06:02

日本語を母語としない1世の母親を持つ子どもたちの低学力やドロップアウトの問題の多くが、日本語に躓くことが原因。『外国にルーツをもつ子どもたち』より。24hTVでやってたストリートチルドレンの問題と根本は同じ「言語能力」なんだ。聾唖者の両親に育てられた若者も似た様な悩みを抱えてた。

posted at 09:06:15

母語と日本語が話せる通訳者は、必ずしも日本語指導ができるわけではないことも明らかにしておかなければならない。『外国にルーツをもつ子どもたち』より。これもなるほどだなあ。それでいいわけではなく、やはり専門的な教育が必要なんだなあ。

posted at 09:17:11

『外国にルーツをもつ子どもたち』で、メンヘルの危機要因に、移住による社会的経済的地位の低下があり、子どもが親を尊敬しなくなる事例が紹介されてて。ちょっと考えれば想像がつくのに、まったく想像していなかったことだったので、はっとした。思いやりに欠ける以前の無知さに腹立たしさも感じた。

posted at 09:46:20

移住によるメンタルヘルスに不調をきたすハイリスクな人々は、価値観の出来上がった老齢期の人と、アイデンティティが確立される時期にある思春期の人。思春期は、それだけでも難しい時期であるのに、そこに文化的変化が加わると精神的な危機が生じやすい。『外国にルーツをもつ子どもたち』より。

posted at 09:37:53

深刻な言葉の問題として、母語も忘れ、日本語の授業にもついていけずに習得できない「ダブルリミテッド」の生徒の存在がある。(略)彼らを受け止める体制は未だにできていない。『外国にルーツをもつ子どもたち』より。帰国子女の問題と同じですね。専門的な支援が学校内に求められている。

posted at 19:17:00

高校でぶつかる壁は、学習言語という壁。日常会話ができても、学習言語の習得までには繋がらない。ただし、1つの学習言語が習得できていれば、他の語学を学ぶ時、その言葉に置き換えれば理解できるようになる。母語を磨くことは、日本語習得の近道でもあるのだ。『外国にルーツをもつ子どもたち』

posted at 18:55:05

定時制に入れなければ通信制の高校に行くことになるが、母語を日本語としない生徒にその卒業はハードルが高い。高卒の資格を取らないで日本社会で生きていくことは難しい。高校への進路保障は、彼らの生きる権利を守ることである。その権利が守られていない。『外国にルーツをもつ子どもたち』より。

posted at 18:40:58

神奈川県の全日制進学率はここ数年90%未満で、全国最低レベルである。全日制の公立高校募集人数が減少しているためだ。このため定時制は受験者数が多く、希望した学校に全員合格できるわけではない。『外国にルーツをもつ子どもたち』より。神奈川最低だ。若年者支援の躓きがここから始まってる。

posted at 09:01:26

マジョリティの人が良かれと思ってすることや代弁することにマイノリティ当事者が勝手に代弁するな、お前は何をわかっている、支援者のふりをしてるけれどお前も加害者じゃないか、という言い返し…『外国にルーツをもつ子どもたち』より。立場性を謙虚に見直し続けるべし。終礼の場などに必要な機能。

posted at 08:44:32

『外国にルーツをもつ子どもたち』読了。とにかく知らないことばかり。優しさがないから支えられないのではなく、知らないから優しくなれないことってあると思った。外国人に限らずマイノリティの問題は表面化しにくいし、まともに対応されにくいのが問題な気がしました。少しアンテナを張ってみよう。

posted at 19:57:09

Today's BGM is
サニーデイ・サービス/東京
3e38e33eサニーデイ96年のセカンド。15年も前ですかあ。そんなに聴かなかったけど甘酸っぱいなあ。良くも悪くもはっぴいえんどが引き合いに出されますが、吉田拓郎の臭いのほうが強く感じるのは僕だけ?名曲「青春狂走曲」は、なぜか長男のお気に入りで、ヘッドフォンで聴きながらよく歌っているんだけど、まるでお経のようです。長くなったついで笑えるようで笑えないPVもペタ。

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