オリジナル・ソング「朝焼けのうた」
昨日から取り掛かっていた曲が、多少詰めの甘さを感じさせますが(苦笑)、ようやく撮れましたので全世界に向け公開中です。この曲は、僕が相談員で行ってる田奈高校の生徒たちに贈る曲として作り始めましたが、君と僕のラブ・ソングになり、僕の起業した思いみたいなものとか、入り交じってしまいましたが、「君」を生徒たちだと思い聴いてもらえると、なんとなく僕の気持ちが伝わかな、と思います。10月29日(土)の田奈校の文化祭で歌わせていただきま~す。
昨日から取り掛かっていた曲が、多少詰めの甘さを感じさせますが(苦笑)、ようやく撮れましたので全世界に向け公開中です。この曲は、僕が相談員で行ってる田奈高校の生徒たちに贈る曲として作り始めましたが、君と僕のラブ・ソングになり、僕の起業した思いみたいなものとか、入り交じってしまいましたが、「君」を生徒たちだと思い聴いてもらえると、なんとなく僕の気持ちが伝わかな、と思います。10月29日(土)の田奈校の文化祭で歌わせていただきま~す。
悲しい気持ちになったら、この歌を口ずさんで元気を出そう。胸には愛を、唇には口笛を!
「Always look on the bright side of life」〜人生の明るいところを見て生きていこうよ〜
人生、嫌なことだってある
マジでキレそうになったりする
他にも、罵りたくなるようなことがある
人生でいやな目にあった時でも
不満をこぼすんじゃなくて、口笛を吹いてごらんよ
そうすりゃ、何もかも素晴らしくなるよ
そして・・・
人生の明るいところを見て生きていこうよ(口笛)
人生のいいところをみて生きていこうよ(口笛)
人生が腐りきってるように見えるのは忘れてることがあるからだよ
笑いとか、踊りとか、歌とかね
ごみ溜めみたいな人生だって感じても
そんなバカなことを信じないで
口笛を吹いてごらんよ -- そうすりゃ万事解決さ
そして・・
人生の明るいところを見て生きてゆこうよ(口笛)
さあ!人生のいいところを見て生きてゆこうよ(口笛)
人生なんて不条理なもんだし
どうせ最後には死んじゃうんだぜ
いつもカーテンの前でお辞儀をしてなきゃいけないんだし
罪のことなんて忘れな
皆の前では笑っておくもんだぜ
楽しんじまえよ、どうせ最後の機会なんだし
だから、『死』の明るいところを見て生きてゆこうよ
せめて最後の息を引き取るまではね
人生なんてクソのかたまりみたいなもんさ
でも、見方さえ変えれば人生はお笑いになるし、
死だって冗談になる、本当だぜ
こんなの全部、ショーみたいなもんだって
周りのやつらを笑わせてやれよ
でも、忘れんなよ、最後の笑いってのはお前さんに向けられてるんだぜ
人生の明るいところを見て生きてゆこうよ(口笛)
人生のいいところを見て生きてゆこうよ(口笛)
極上なひと時を意味する「Prime Time」。ビジネスでは、頭が冴えている午前中の二時間だとよく言われている。だから、僕はこの時間にルーティン的なタスク処理をするのをやめて、未来のためにイマジネーションを広げ、スケッチブックにビジョンを書きこむことをし始めた。
今日するお話はタイトルにある「Prime Experience」。これは僕が勝手に言っている「極上な経験」という意味。この極上な経験を、家庭環境等の問題で経験できなかった方に対して、提供することが、僕ら支援者にとっての命題なんじゃないかと考え始めている。
これは、同じ意味で、「支援の最終ゴールは自己効力感を持ってもらうこと」と対になっており、自己効力感の醸成こそが、この「Prime Experience」によるものだと僕は考えている。
経済格差が教育格差となり、さまざまな機会格差を生む。つまり、裕福な家庭ではない場合、大学進学等も含め、様々な日々の積み重ねの中で機会を得られず、達成・成功経験を得る機会が少ない。ゆえに、自己効力感を養うことができず、“何もできる気がしない大人たち”になっていく。
僕はこの方程式に大いなる疑問を持っているのだが、一般的な「富を持つものがより富を持ち、持たざるものがますます持つ者との経済差を広げていく」という理屈はその通りだと思う。僕の疑問は、教育というものが勉強だけではないということであり、むしろ文化的かどうかに関わっており、実はここにはあまり経済格差が影響しないのではないか、と疑っている。多少自虐的だが、生まれてこの方、裕福だったことのない自分自身を振り返り、そう思うのだ。
要するに、経済的な貧しさよりも、むしろ心の貧さの方が問題だということである。上記の理屈を容認しているのは、経済的に貧しい方が、心も貧しくなる「荒み」の確率が上がると思えるからだ。
では、どのような機会=経験が若者たちにあれば、自己効力感が養われ、“やればできると思える大人たち”になるのか。
シェアコロの哲学者である織田鉄也(「壊れた翻訳機」とも呼ばれている)は、この機会のことをこんな風に言っている。「排他的ではなく、開かれた質の高い小集団に帰属して、一定の承認を得た体験」。まさに!
僕は織田の言うこの体験こそが「Prime Experience」、極上な経験だと思う。
では、経済的に恵まれていない家庭の若者が、「開かれた質の高い小集団に帰属して一定の承認を得る」にはどうすればいいのか?
お墨付きの課題集中校の生徒だった僕の場合、これがまさにアルバイトだった。或いは、人によっては部活であり、共通した趣味集団の中でのステイタスかもしれないが、僕のアルバイト体験を例に取り話を進ませてもらいたい。
僕は多分、生まれてはじめて、アルバイトという経験を通じて、異世代や所属の異なる「開かれた質の高い小集団に帰属」し、マズローの欲求段階説的には、3番目の「所属と愛の欲求」を満したんだと思う。課題集中校に所属することで包摂されたことも、彼女ができたこともねw。
ここで、僕がポイントにしたいのは、欲求段階の4番目の「承認欲求」が満たされる喜びである。僕の場合は、バイトのリーダーとなり、金銭管理や後輩の指導をしたこと。また、実際ポップコーンが良く売れて褒められたこと。親の小遣いに頼ることが高1の春からなくなったこと、なんかが、まさに承認だった。
それは、生まれて初めて、親でもなく先生でもない大人たちに受け入れられ、承認された、僕にとっての「Prime Experience」となった。この経験があったから僕は、根拠のないアホみたいな自信に満ち溢れ、五番目の「自己実現へ」と向かったのだ。同様の体験を、部活や趣味的集団から見出すのは難しいと僕は思う。
しつこいようだが、バイターン。バイターンは、中小企業のおっちゃんたちが高校生に対して、この「Prime Experience」を、自分たちの職場で提供する教育的有給職業体験プログラムだ。もう時期、動き出します。プロジェクト・メンバーたちがサイボウズで語り合っています。乞うご期待!
Today's BGM is
Joni Mitchell/Clouds
このアルバムはジョニのセカンド。静謐という言葉がよく似合うアルバム。日本では「青春の光と影」という邦題の方が有名。全編がジョニの弾き語り。僕はこういうトーンが統一しているアルバムが好きだ。ジョニのアルバムはだいたいそうだから、ある気分の時に決まってジョニに手が伸びる。「ボス・サイド・ナウ」のボスは親分とかボスではないということを最近知った。