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2011年9月 6日 (火)

Prime Experience(プライム・エクスペリエンス)〜極上の体験を子どもたちに〜

極上なひと時を意味する「Prime Time」。ビジネスでは、頭が冴えている午前中の二時間だとよく言われている。だから、僕はこの時間にルーティン的なタスク処理をするのをやめて、未来のためにイマジネーションを広げ、スケッチブックにビジョンを書きこむことをし始めた。

今日するお話はタイトルにある「Prime Experience」。これは僕が勝手に言っている「極上な経験」という意味。この極上な経験を、家庭環境等の問題で経験できなかった方に対して、提供することが、僕ら支援者にとっての命題なんじゃないかと考え始めている。

これは、同じ意味で、「支援の最終ゴールは自己効力感を持ってもらうこと」と対になっており、自己効力感の醸成こそが、この「Prime Experience」によるものだと僕は考えている。

経済格差が教育格差となり、さまざまな機会格差を生む。つまり、裕福な家庭ではない場合、大学進学等も含め、様々な日々の積み重ねの中で機会を得られず、達成・成功経験を得る機会が少ない。ゆえに、自己効力感を養うことができず、“何もできる気がしない大人たち”になっていく。

僕はこの方程式に大いなる疑問を持っているのだが、一般的な「富を持つものがより富を持ち、持たざるものがますます持つ者との経済差を広げていく」という理屈はその通りだと思う。僕の疑問は、教育というものが勉強だけではないということであり、むしろ文化的かどうかに関わっており、実はここにはあまり経済格差が影響しないのではないか、と疑っている。多少自虐的だが、生まれてこの方、裕福だったことのない自分自身を振り返り、そう思うのだ。

要するに、経済的な貧しさよりも、むしろ心の貧さの方が問題だということである。上記の理屈を容認しているのは、経済的に貧しい方が、心も貧しくなる「荒み」の確率が上がると思えるからだ。

では、どのような機会=経験が若者たちにあれば、自己効力感が養われ、“やればできると思える大人たち”になるのか。

シェアコロの哲学者である織田鉄也(「壊れた翻訳機」とも呼ばれている)は、この機会のことをこんな風に言っている。「排他的ではなく、開かれた質の高い小集団に帰属して、一定の承認を得た体験」。まさに!

僕は織田の言うこの体験こそが「Prime Experience」、極上な経験だと思う。

では、経済的に恵まれていない家庭の若者が、「開かれた質の高い小集団に帰属して一定の承認を得る」にはどうすればいいのか?

お墨付きの課題集中校の生徒だった僕の場合、これがまさにアルバイトだった。或いは、人によっては部活であり、共通した趣味集団の中でのステイタスかもしれないが、僕のアルバイト体験を例に取り話を進ませてもらいたい。

僕は多分、生まれてはじめて、アルバイトという経験を通じて、異世代や所属の異なる「開かれた質の高い小集団に帰属」し、マズローの欲求段階説的には、3番目の「所属と愛の欲求」を満したんだと思う。課題集中校に所属することで包摂されたことも、彼女ができたこともねw。

ここで、僕がポイントにしたいのは、欲求段階の4番目の「承認欲求」が満たされる喜びである。僕の場合は、バイトのリーダーとなり、金銭管理や後輩の指導をしたこと。また、実際ポップコーンが良く売れて褒められたこと。親の小遣いに頼ることが高1の春からなくなったこと、なんかが、まさに承認だった。

それは、生まれて初めて、親でもなく先生でもない大人たちに受け入れられ、承認された、僕にとっての「Prime Experience」となった。この経験があったから僕は、根拠のないアホみたいな自信に満ち溢れ、五番目の「自己実現へ」と向かったのだ。同様の体験を、部活や趣味的集団から見出すのは難しいと僕は思う。

しつこいようだが、バイターン。バイターンは、中小企業のおっちゃんたちが高校生に対して、この「Prime Experience」を、自分たちの職場で提供する教育的有給職業体験プログラムだ。もう時期、動き出します。プロジェクト・メンバーたちがサイボウズで語り合っています。乞うご期待!

Today's BGM is
Joni Mitchell/Clouds
61pvqsn781lこのアルバムはジョニのセカンド。静謐という言葉がよく似合うアルバム。日本では「青春の光と影」という邦題の方が有名。全編がジョニの弾き語り。僕はこういうトーンが統一しているアルバムが好きだ。ジョニのアルバムはだいたいそうだから、ある気分の時に決まってジョニに手が伸びる。「ボス・サイド・ナウ」のボスは親分とかボスではないということを最近知った。


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