「割り切りナイフぅ〜」
ドラえもん「そんなに行きたくないのに行かなきゃならないんだね」
のび太「そうなんだよ〜うわあ〜ん(涙)」
ドラえもん「しょうがないなあ〜のび太くんは、(ガサゴソ…)割りきりナイフぅ〜」
のび太「うわ〜いやったあ、ところでなんだいその機械は?」
ドラえもん「どんな嫌なこともすっぱり割り切って、嫌じゃなくなる機械だよ」
人は皆、何かで割り切っていることがあるはずです。例えば、どんなに仕事が充実しているようでも、実は家庭を蔑ろにしている場合の『割りきりナイフ』は「日本のため」とかw。
ものすごい嫌な仕事なんだけど、お給料がすごく高いから続けてる場合の『割り切りナイフ』は、「家のローンを返済するため」とか。
例えを挙げればキリがないのですが、1日が24時間で体が1個しかない以上、人の肥大化した脳みその欲望を誤魔化すには、割り切りが必要なんじゃないないでしょうか?
この割り切り、大きく分けると「時間」「お金」「やりがい」なんじゃないかと僕は思います。当然、なんの割り切りもなしに、楽しく仕事している人だっていると思いますよ。でも、そういう人は少数派なのではないかな?
僕だって、好きなコトで起業して、会社の経営者してたら、何の割り切りもなく働いているように見えるかも知れないけど、もっと趣味の宅録を充実させたいのにできない。もっと家族と一緒の時間を作りたいのにできない。『割り切りナイフ』は会社を成功させなきゃ、「そんなことすら言ってられれなくなる」というほろ苦いものです(苦笑)
この割り切って「何かを蔑ろ」にすることなんだけど、なんにも蔑ろにできない若者は多いんです。でも、若者だからこそってことだと僕は思います。何も知らず、何もまだ大切なモノを持たないから、何も蔑ろにできない、「まだナイモノ」を必死に守っているんだなって、昔の自分を見ているように思います。
本人たちも実は自覚的で、「私ってワガママでしょうか?」なんてことも言います。皆さんは、理想主義って思うかもしれないけど、多分、「君の理想はじゃあ何?」と聞いても答えられないでしょう。もっと無垢な危うさを感じる、死後ですがピーターパン・シンドロームっていうのか、大人になりたくないみたいな感じでしょうか。必死感がないって言ったらそれまで何ですが。
この状況で、就職先を決めることができるでしょうか?
ここが問題になるんですよね。だからそんな時に、ドラえもんに『割りきりナイフ』を出してくれたらなあ、なんて思うんです。
なんの解決策も提案もしないで終わろうとしていますが、このナイフ、こんな時代を生き抜くサバイバル・ナイフにもなるのかなって思うんです。ネガティブに捉えるんじゃなく「割り切り力」みたいなポジティブ発想でね。
Today's BGM is
bonobos/Hover Hover
ボノボが好きだ。計算尽くな音楽としても聴けるが、僕にはこの人たちの、音のチョイスが無邪気な気がしていて好きだ。そもそもフィッシュマンズと比べられ揶揄されることの多いボノボだが、(僕の中で違いは明確だが)そこから離れようとしない初期の感じ。憧れや気持ちよさに素直なんだと思うし、それを否定しない音楽の気持ち良さ、それがボノボにはある。大好きな曲はこれ。