« 2011年3月20日 - 2011年3月26日 | トップページ | 2011年5月15日 - 2011年5月21日 »

2011年5月1日 - 2011年5月7日の1件の記事

2011年5月 4日 (水)

震災の受け止めきれなさを共有することから、心の復興がはじまる。

震災後、ある種の失語症に陥っていたような感じで、ブログを書けませんでした。

もうちょい正確に言うと、反応はしてましたが、自分から何かを発信することができなくなっていました。

今も、何かを発信し、誰かに伝えようと思って書いているわけでは、正直言ってありません。

今、自分が陥っている失語症的感覚を、ちゃんとメモっておこうかと思い、書き始めました。

本当に悲しみの真っ只中にいる方に対して、「かける言葉もない」という表現が使われますが、まさにそんな状況にある方々が、僕を含め、実はいっぱいいるんじゃないかなと感じています。

そんな時、我々は「ご愁傷さま」ですという慣用句を口にし、なんとか痛みを分かち合おうとしますが、実は受け止めきれないというか、想像を絶してしまい、ついていけない状況というものが、時としてあるのではないか思います。

そしてそれが大震災後の「今」なのではないでしょうか?

その時の、受け手の無力感は、ある種の孤独感を生みます。

思いつきの例えで、些か頼りない気持ちですが『心臓を貫かれて』の主人公の孤独感に似ているのではないかと思います。大雑把に説明すると、自分の経験していない壮絶(DV)な状況を生きた兄と同じネガティブな体験することにより、愛する者と同化したいと強く思う主人公の孤独感に似ている。

やはりうまく説明ができない…。

こういう自分の心の内面を、うまく言語化できないことによる孤独感とか無力感を抱え込んでいる被災者、非被災者が今日本にはたくさんいるのではないか。この感覚を共有することが「癒し」の始りなんじゃないのかと思うのです。

こういう時、抱きしめるとか、手を握るとか、見つめ合うとかという直接的な行為が、強力な「癒し」になるんだろうなと想像します。そんなもっとも人間らしい行為すら想像でしかないのかと悲しくなります。

僕はこの想像が、想像でしかなく実感を心のなかで伴わないことが非常に不安です。ここの整合性をつけるために過剰に情報を集めたりしてしまうのです。ちなみに今もUstreamで広瀬隆による「福島第一原発事故」分析レポートを聴きながら書いています。iPhoneアプリの3.11Tsunami Photo Projectにひどく感銘したのはそんな思いがありました。

恐らく僕と同じ心の不安を抱えている人は多いのではないのかな?

じゃあ、どうすればいいのかということが言えないのが今の自分です。

とにかく思考停止しないこと。しっかり考えることの代替行為みたいなものでしっかり考えたことにならないこと。この孤独感を超えていく連帯感をどう創りだしていくのか。それがこの震災をリセット効果としてポジティブにリフレーミングすることになるんじゃないかと思うのです。

Today's BGM is
AC/DC/Back In Black
Imgres1なぜか最近、AC/DCをよく聴きますねえ。上記した精神状態の開放を求めてるのかもしれませんねw。これはボン・スコットが死んでブライアン・ジョンソンが加入した一枚目。なんとウィキによるとマイケルの『スリラー』の次に売れたアルバムだそうです。このリフですよねえ。それもツェッペリンやパープルみたいな細かいフレーズではなくリフという塊がぶつかる感じがAC/DCの魅力ですね。

| | コメント (0)

« 2011年3月20日 - 2011年3月26日 | トップページ | 2011年5月15日 - 2011年5月21日 »