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2011年11月27日 - 2011年12月3日の2件の記事

2011年11月30日 (水)

『大学生の生活満足度調査~Quality Of University Life~』

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https://qoul.net/

大学関係の方々とお話するなかで、
どうやら大学が把握できていない層の学生たちが大学にはいる、
という実感を数年前から持っていました。

このような層の若者たちを、私たちは仮に、
ニートでもフリーターでもなく中退者でもない
「第三の若者たち」と呼び、気にかけていました。
しかし、どうやら彼らは実感値の中だけに存在し、詳細が把握されていません。

 この実感値は、教育関係者や若者支援者と話すと、
 「いるいる」と共感を呼ぶ話ではあるのですが、やはり実態が掴めない。
 実態がつかめていないということは、
 即ち対応されていないということになるわけですが、
 実は、もっとも対応が必要な層が「第三の若者たち」なのではないのか、
 と考えるようになりました。

 彼らの実態が掴めない理由は、
 大学がそもそも能動的に学ぶ場として設計されているため、
 受動的な「第三の若者たち」に
 アウトリーチするという文化がないということだと考えられます。

 大学の進学率が50%を越え、入試方法も多様化し、
 エリート教育から大衆教育へ移行していくなかで、
 「能動的に学ぶ場」だけが従来通りのコンセプトを保ち続けることに
 無理が生じてきていているのではないでしょうか。

 この無理が生じてきているなかで生まれた新たなニーズを、
 大学は実感しているものの対応策が取られていない、
 或いは対策の取り方がわからないのではないかと思うのです。

 そのニーズは、キャリアや就活という切り口だけでは拾い切れないもので、
 もっと広い意味での福祉的なサポートを必要としているのではないかと私たちは考えています。

 これは、大学入学を機に躓いた、いわゆる高学歴者の相談ケースが後を絶たない、
 私たちの現場感覚でもあります。(よこはまサポ-トステ-ションの発表データによると、
 学歴別利用者の34%が大卒・短大卒でトップ)。

 相談内容は概ね、大学に入って早々に孤立し、
 サークルにも参加せず、就活の時期に差し掛かっても身が入らない。
 誰に相談することもなく進路未決定で卒業し、
 フリーター、ニートとなり身動きが取れなくなっている、というものです。

 彼ら一人ひとりの事情を聞くと、自己責任論だけでは片付けることのできない、
 様々な家庭的、社会的背景から困難さを抱え込んでいることが多いのですが、
 在学中に、課題解決のために大学が手を差し伸べることはないし、
 本人も相談も行かないというのが実態のようです。

 また、NPO法人NEWVERYの調査によれば、
 昨今の約8万人いるといわれている大学の中退者は、
 個別の困難さが理由というよりも、
 むしろ大学の質と学生のニーズとのミスマッチであることが浮かび上がってきています。

 シェアするココロでは、このような課題に対し、
 厚生労働省の社会福祉推進事業に企画提案し、受託することができ、
 外部から委員を招聘し、「大学生の生活満足度向上委員会」を立ち上げ、
 『大学生の生活満足度調査~Quality Of University Life~』
 (略称QOULクォ―ル)と銘打ち、
 大学生へのヒアリング調査と、ウェブによるアンケート調査を実施し、
 彼らが何に困り、何に不満を抱き、どのような不安を持ち、
 期待してているのかを調査し、大学内で解決できる仕組みを模索し、
 提案していける事業としていきたいと考えています。

 関係各所へご協力の依頼等させていただいておりますが、
 ご関心をいただいた方や、連携の可能性等ございましたら、是非、ご連絡下さい。

                [株式会社シェアするココロ代表取締役/石井正宏]


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2011年11月27日 (日)

計画(P)と実行(D)はまったく別フェーズ。

計画(P)と実行(D)はまったくの別フェーズだ。

計画だけでは実行したことにはならないのに、相談を受けているとこれがイメージの中でフュージョンしちゃって、何かを提案すると「そんなことはもうやったので…」と言われることがよくある。これは保護者相談にも同様の傾向を感じるし、支援者がこれに巻き込まれているようにも思う。

よくよく聞くと、やってはいないというか、やったとは言えない、それは計画してみただけじゃん、ということが多い。しかも、その計画は経験に基づかない現実吟味に欠けるからスカスカな計画だったりする。

実行することで起こる可能性や、偶発性から生まれる新たなストーリーを切り捨て、結局、再び自分のイメージの中へ戻っていく。

このことに対するもっともシンプルな感想は「もったいない」だ。だが、支援者がその一言で片付けてちゃいかんだろう、という自戒を込めた思いで、僕は今これを書いている。

さらに強い自戒を込めて言えば、「未熟な支援者が未熟な大人であるニートやひきこもりの若者の可能性を断ってはならない」。僕が、この業界が、どのようにプロフェッショナルになっていくのか?日々の不甲斐なさを振り返りつつ、書き進めていきたいと思う。

結局、クライアントのこのネガティブなイメージこそが、いわゆる「自分の殻」なんだと思う。殻の中でのネガティブなシミュレーションのループから抜け出すことができない硬直した状態。しかし、そこには失敗がないという生暖かい「救い」がある。

僕らは「失敗を恐れずトライしてみようよ、やってみなけりゃあわかんないよ」と、クライアントからしてみたら能天気なことを他人事として言う。

他人事として言えるから僕らの第三者性が成立するのだが、「成功」と「失敗」を測りにかけ、失敗に目をつぶり成功を取れる人がどんな人かを考えてみてほしい。それは過去に成功経験がある人だ。僕らのクライアントにはそれがない。だから永遠に逡巡し、時には死の瀬戸際にまで行き、中には命を落とす者もいるのだ。

自分自身で作り上げた殻の中で、ジェットコースターのように同じ場所を上がったり下がったりしながらぐるぐる回っていることを、クライアント自身が一番自覚している。ここは言語されることがあまりないので、「自覚しているような気がする」と言った方がしっくりくる。

だから相談しているのに何も進展がない。という鬱憤がクライアントに溜まり、カウンセラーとクライアントの信頼関係がゆっくりと破綻していく。これは症状のでない質の悪い癌のようなもので、症状が出た時には時すでに遅し、ということが多いが、症状が出ることは稀だ。

なぜ稀なのかは、クライアントの人物像を考えてみてほしい。彼らは自分に親身になってくれた人を傷つけたり、がっかりさせたくない人たちだ。故に彼らは破綻を表面化させないままフェードアウトしていく。よって、「あの人最近来ないね」となる。このことにカウンセラーは気づいていないこと多いのではないかな?

この間、発達障害が疑われる男性に「5〜6年支援施設をうろうろしているけど、なーなーで話して、あとは自分でしっかり考えてと言われ続け、もう利用するのが嫌になってたが、やっと進展している気がして嬉しい」と言われた。僕は彼に十分な信頼関係が出来たと感じ、知的障害の可能性を伝えたのだ。この人もフェードアウトしかけた人だったわけだ。

この鬱憤が表面化しない背景の大きな要因として「無料サービス=無評価」の落とし穴というのがあると思うが、話が大きくなり過ぎるので割愛する。

ちなみに、稀に表面化すると「人格障害」などと言って、リファーという名の排除をしていくという傾向を感じる。この辺の質的向上を支援施設及び支援者は果たさなければならないが、ここを踏ん張り切るようなタフなマインドや、土日夜間休みのお役所運営、経済的基盤、そして成果報酬型ではない責任逃れの構造が入り交じって、医療機関へのリファーで終わるんだと思うのだが、治る問題じゃないのだから、これも一時しのぎでしかなく、広い意味ではたらい回しであるように思う。

話を戻そう。計画から実行に移せない理由は、自己効力感の低さであり、「どうせ無駄」という学習性無力感のせいだと思う。どういうことかと言えば、ゴールを見せて、危機感を煽ったところで、自己効力感が低ければ、結果期待が低く、計画を実行に移すことはないということだ。このことはSCCT理論を学べばよくわかると思う。

これは歩けるというだけで、エッフェル塔の写真を見せて、「素晴らしいから行ってごらん」と、飛行機のチケットの買い方もフランス語もわからない人の背中を叩いているのと同じことだ。社会経験の浅いクライアントにとっては、計画から実行の間には、もの凄い大きな壁が立ち塞がっているのだ。まずは、エッフェル塔の写真を観ながら、成田空港までの無理のない行き方を考えなければならない。

ここを端折ってはならない。伴走支援とは、この例えで言えば、成田空港まで行ってチケットを買うお手伝いを、ときには見守り、ときにはお手本を見せ、なだめすかしつつモチベーターなり、小さな成功体験を成田空港に到着するまでに積み上げておくことを指す。

「成功」と「失敗」の測りの例えで言えば、これで50/50になれば大成功だ。空港での逡巡はここまでやったのだからという事実で押し切れるし、何かあれば助けてくれるという、見えない信頼関係の命綱で飛び立てるだろう。

これをするには大きな時間的コストがかかる。僕はこの壁の前で成す術もなく立ち尽くしているなかで、「カネがなければ動けない人と、カネがなくても動ける人では、どちらに持続可能性があるのか?」という問いを自分に投げかけている。この話も大きな話なので、もう少し咀嚼出来たら、しっかり向き合いたいと思う。

相談ブースの中で行われる、実行(D)なしの評価(C)や改善(A)のアドバイスから生まれる計画(D)に、どれだけの価値や意味があるのか?

カウンセラー的には意味がないとは思わない。しかし、クライアントは「自分を過小評価されている」と感じたり、「自分の課題を理解してもらえていない」という感情が生じ、上記同様のフェードアウトという結果となる。

これがブース相談の限界だということに気づかずに、クライアントの責任になっているのは、結局カウンセラーも自己責任論で片付けていることと同じなのである。

考えなければならないことは、計画(P)から実行(D)に移す仕組みを作らなくてはならないということで、評価(C)や改善(A)のスキルを上げることなんてあまり意味をなさないということだ。個人的にはそれが「バイターン」であリ、静岡で津富さんたちがやってる「静岡方式」など、企業内での就労支援サービスの確立だと思う。

Today's BGM is
イノトモ/やさしい手。
B00005hrw509_2イノトモちゃんが好きだ。これは友人関係の異性にその関係をぶち壊す可能性のあるリスキーな告白に似ている。イノトモちゃんは飽きたなと思うとまた聴きたくなったりする。男目線で恐縮ですが、友だち以上恋人未満の間にいる女性のようなアーティスト。女性の場合のこういうポジショニングのアーティストって誰なんだろう?しょぼいリズムマシンの「愛のコロッケ」とかいいですよ〜。

これはしょぼくない方の「愛のコロッケ」


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