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2012年3月の4件の記事

2012年3月29日 (木)

【告知】大学生よ、ロールモデルをぶっ壊し危機感をアクションへ!〜今、求められている大学内支援とは〜

多くの大学生と大学関係者の皆さまにご協力いただきました、厚生労働省の社会福祉推進事業「大学生の生活満足度調査」の結果報告とこれからの支援について考えるシンポジウムを下記の通り開催致します。

第一部は、結果の公表とアンケート実施担当者からの感想。そしてNPO法人NEWVERY理事長山本繁さんによるご講演をしていただきます。テーマは「学生はなぜ中退するのか―『中退白書』から2年経ち見えてきた課題とその処方箋」。私自身が学ばさせていただけることを心から楽しみにしています。

第二部は、パネルディスカッションを予定しています。パネルデョスカッションも、申し合わせたようなものではなく、「今、求められている大学内支援とは何か?」について、議論をしていきたいと思います。パネラーは以下の皆さんです。

NPO法人NEWVERY理事長 山本繁さんNPO法人ユースポート横濱理事長 岩永牧人さん社会福祉法人いきいき福祉会専務理事 小川泰子さん、神奈川大学卒業生 大堀竜哉さんです。

山本さんには、今回の事業開始に当たり、不躾にアドバイスを乞いに伺わせていただき、その後、ソーシャルメディア上で、お付き合いをさせておいただくようになりました。当日は、中退者問題や教育改革を切り口に、切れ味鋭いご意見を期待しています。

岩永さんには、ユースポート横濱が運営しているよこはま若者サポートステーションの利用者の最終学歴が第一位が、中卒でも高卒でもなく大卒である点。その彼らが過ごしていた大学時代、そして卒後の軌跡を語ることで、今大学が取り組むべき課題と施策が見えて来ると考えてのご依頼です。

そして特別養護老人ホームの施設長も勤める小川さん(弊社スタッフのリスペクト率が超高い!)には、社会保障や人生、支え合いや社会的包摂という大きなテーマから見た、若年者支援という一歩引いた立場と、小川さんご自身が神奈川大学で授業を持っている実感値から、語ってもらいたいと期待しています。

そして、もう一人。神奈川大学卒業生の大堀さん。大堀さんには、等身大の若者から見た大学という社会的機能について、ご自身の体験から感じていることを、大学生の代表としてではなく、率直にお話してもらい、この議論全体をどのような温度感を持って大学生が受け止めるのか?そんな話ができればと司会者として考えています。

最後に、私自身、ひきこもりやニートの予防的支援を標榜し会社を立ち上げたわけですが、高等学校との縁が強く、あまり大学のことを知りません。しかし、大学の進学率や、サポステ利用者の実態を考えれば、大学及び大学生支援というのは、シェアコロのミッションであると考えていますので、ご参加いただく皆さまとともに学び、考え、次の具体的な一手の形が見えるところまで、話し合いたいと考えています。

最後に、大学生よ、ロールモデルをぶっ壊し危機感をアクションへ!というキャッチを冠してますが、ロールモデルを追っていたのでは、もはや危機感しか生まれないのではないかという思いが僕にはあり、このイベントで課題解決策を模索しつつ、新しい生き方についても思いを馳せれればと考えました。また、大学生自身が起業し、自分たちの課題を解決していく事業を考え、大学内起業とか、そういう発想を持ってみてもいいのでは、と思いこのキャッチにしました。

是非、ご都合が合いましたら、足をお運びいただき下さい。

Qoul_symposiumflyer1
Facebookにイベント告知をさせていただいております。
http://www.facebook.com/events/339969119389057/

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パッション馬鹿と情熱クレバーが社会を変える〜イノベーションを生む人たち〜

バイターンを進めてると、いろいろな課題が見えてきます。課題が明確になればなるほど、僕が他人事のようにおかしく感じてるのは、イノベーションという美味いスープの仕込み方のヒントが見えることですw。バイターン協議体の皆さますみません(;´Д`)

今回のブログは手前味噌になりそうですが、僕自身が気づいていなかった、実感としての大きな気づきなので、あえて書いてみたいと思います。

そのイノベーションという名のスープのレシピに欠かせないのは、無知と情熱と知性。僕はこれをパッション馬鹿(無知と情熱)と、情熱クレバー(知性と情熱)と、今朝名付けました。

パッション馬鹿がイノベーションというスープに不可欠な理由は、無知ゆえにシミュレーションが精緻にできないということ。しかし、無知ゆえに無邪気なほど、そのゴールをクリアに思い描くとこができる。ここがパッション馬鹿の大きなアドバンテージです。

僕には、バイターンに今降りかかってきてる問題が正直見えてませんでした(この問題はいつか話したいと思います)。今の問題がもしも見えてたら、多分僕はバイターンの仕組みを考えなかっただろうし、考えても諦めてただろうなと思うんです。

無知というのは、発想の根本がルールや慣習、法律の外側にあるということです。今、十分に機能しているものの追加機能を考えるのではなく、今、にっちもさっちも機能していないものに変わる新しい仕組みを考える時、その機能が生まれたルールや慣習、法律の中で考えてたら、イノベーティブな事業は生まれないでしょう。

そして、今のルールの中で動いてる人たちにしてみれば、そのカウンター・カルチャーはあまりにも強烈で、これまでの自分の常識ややり方が通用しなくなるという恐怖を与えてしまうし、時にはビジネスモデルが成り立たなくなることさえある。これが破壊的イノベーションというものです。

この恐怖や不安や、或いは面倒やメンツが、イノベーティブな事業の障壁になります。これをぶっ壊すのが、ボトムアップという民意なのか、トップダウンという政治力なのか?はたまた両方なのか?僕にはまだわかりません。この辺は、両方に携わってきた湯浅誠さんに、いつか聞いてみたいなあ、と思っているところです。

さて、もうひとつの重要な要素。それは、必ず美味いスープに仕立てて、子どもたちにご馳走してやるんだ!という情熱。あ、スープのメタファーは終わってませんのでw。

この時の子どもたちの笑顔を事業の「答え」としましょう。としちゃえるのもパッション馬鹿のなせる技というも気もしますw。

パッション馬鹿にも、ただの馬鹿にも、情熱クレバーも、ギークもスーツもデザイン型も、きっと、その答えが笑顔だということはわかると思うんです。

でも、その答えを導く過程で、知り過ぎていると萎える要素が増えるんです。学習性無力感というものがあります。これはあまりにも成功しない状態が長く続くと、人はやる気や自信を失う、という当たり前のことなのですが、負の情報を知り過ぎてると、自然に思考がそれを避け、萎えるというわけです。

恐らく見え過ぎてる人たちは、美味いスープを作って子どもたちにご馳走し、笑顔になってもらう、というミッションの手前で妥協点を作ったりしてしまいます。

このブログで書いてる「先付けの人」と「後付けの人」にも通じますね。

パッション馬鹿は、先に意味や理屈や手法や手段を吟味し、納得しないと先に進めないが、その過程で疲弊し先に進めない、いわば石橋を叩いてたらへばってしまう「先付けの人」とは違い、無知ゆえに答えに突っ走る、典型的な「後付けの人」なのです。

こういう人は後から「あっぶなかったねえ〜」と、目を輝かせます。ちなみに僕の座右の銘は「見る前に跳べ」です。笑ってしまいますねw。

次に重要なポジションを担うのは情熱クレバー。

情熱クレバーは、パッション馬鹿と違い、精緻なシミュレーションが可能です。パッション馬鹿の言ってることが、魅力的ではあっても、当然、リスクや無茶が読めます。

しかし、パッション馬鹿が描き出した子どものたちの笑顔。どう考えてもそのスープ作りには、危険が伴うが、そのレシピを見たら美味いに違いないという確信、それが笑顔とつながり、情熱を帯び、障壁に立ち向かうモチベーションを生み、自家発電がはじまります。

頭のいいだけの、ただのクレバーは、ここで揚げ足を取ってしたり顔をするのでしょうが、情熱クレバーたちは違います。揚げ足を取ったところで満たされるのは、自己顕示欲だけ。社会は1ミリも動きません。彼らは障壁を取り除くことに動き出し、社会を1ミリでも良い方向に押そうとします。

今僕は、ちょうどここを体験している最中なんです。

最後に、パッション馬鹿の話に戻します。パッション馬鹿は馬鹿じゃないんですw。そこのルールや慣習、法律を知らなかっただけです。何が言いたいかというと、イノベーションを起こすには、外側の
異質な人間が必要だということです。一度身に染みてしまったルールや慣習からは、技術的に脱することは不可能です。

僕は今回、学校という文化の外側の人間だった。パッション馬鹿だった。バイターンはそれが始まりだったんだと、昨日気付きました。

終わりに、全く関係のない東浩紀の『一般意志2.0』からの引用で締めくくります。

情報量の減少、あるいは「複雑性の縮滅」は、現代社会の成り立ちを考える上で鍵となる概念のひとつである。私たちはしばしば、サービスにしろコンテンツにしろ、情報量が多く、選択肢が増えれば増えるほど価値が高まると考えてしまう。しかし、実際は、現代人は複雑なものにはお金を払わない。むしろ複雑さを減らしてくれるものにこそ、お金を払うのだ。したがって、いまの政治の再生、さらにはコミュニケーションの再生を構想すのであれば、そこで必要なものは、まず世界の複雑さを「縮滅」し、催事的なコミュニケーションを可能にする制度設計の技術ということになる

パッション馬鹿の夜明けを宣言しているようだwwww。

Today's BGM is
Bob Marley/Dreams Of Freedom: Ambient Translations Of Bob Marley In Dub
Albumdreamsoffreedomambienttranslaボブ・マーリーのアルバムをビル・ラズウェルがダブミックスしたアルバム。ダブにもいろいろとあるんだけど、僕の中ではアーティストを単なる素材としてしか見てないタイプと、その世界観やクリエイティビティへのリスペクトを持っているタイプ、リミックスにも言える思うけど、ビル・ラズウェルは完全に後者。どうシリーズでマイルスのもあるんだけど、ファン目線だから、ファンも納得のダブアルバムに仕上がってる。アンビエントな感じが最高だ。

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2012年3月14日 (水)

NPO法人侍学園スクオーラ・今人|前夜祭_

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2012年3月 4日 (日)

多文化子ども支援ネットワークフォーラム 「外国につながる若者の進路サポート」私的報告

多文化子ども支援ネットワークフォーラム 「外国につながる若者の進路サポート」に参加してきました。

参加前から、自分がこれまで点として打ってきたものの一部分が線でつながり、おぼろにでも今後していかなければならないことの輪郭が浮かび上がるのではないか、という期待感というか、使命感のようなものを感じての参加だったのですが、予感は的中です。新たなネットワークというよりもコミュニティの中にクビを突っ込んだという感覚がありました。

まとめて、この問題はこういうこと、とは言えないので、気になった言葉や現象をTwitterのようにここに短く書き上げて行きますので、僕の仲間である若年者就労支援者たちにシェアしたいと思います。発言については、誰がということは省略させていただきます。また、複数の発言を編集したりもしています。

(外国の子どもたちに)日本人より2倍3倍頑張れと言ってきたが、段々それはおかしいこと何じゃないかと思うようになった。マジョリティーの変容が求められていると思う。しかし、マイノリティー自らが立ち上がらなければそれは始まらない。
大学中退した若者のを話を聞くと、高校までは先生のいう言葉がわかっていたのに、大学になったら急にわからなくなったという。アカデミックな日本語についていけないのが退学の理由になっている。また、親が4年間を待てずに、早く働いて欲しいと中退させ、自分と同じ工場に勤めさせる。何のための大学進学だったのか?長い目で見て積み上がらない。
中学に上がって、そこで小学校の基礎学習のフォローを行う。(以下私見)このズレが高校進学を難しくしているし、入っても勉強についていけない。なんとか高校も中学校のフォローをするが、社会が高校のフォローをしてくれるはずはなく、ここでドロップアウトする。
(進学等)子どもたちのライフステージが変わったら、支援者も変わっていかなければならないのに、何時まで経っても、中学校に戻ってきて「先生〜」と言ってる。(以下私見)私たちと、外国にルーツを持つ子どもたちを支援している支援者側がネットワーキングされていない証でもあるのではないか。
本当に大変な子どもたちは中学校が最後の砦。その割に中学校の教師のスキルが課題に対して追いついていない。教員研修の中に多文化について単位としていれるべき。
教育とは良い親を育てること。(以下私見)彼らが日本に永住する以上、いずれ親になる。その際に日本語が不十分で、経済的に困窮していれば必ず、子どもたちも負の連鎖に飲み込まれる。ここを断ち切るためにも、中学高校での彼らへの教育体制をもっと強化するべき。
外国人の保護者は経験値に偏りがあり、大人たちには情報支援が重要。また、子どもたちには親以外の大人の価値観に触れる機会を提供してあげなければならない。
日本語の部分で親を追い越した子どもたちは、親を下に見る。これは親に母語で情報が渡らず、親がアドバイスできない状況が更に追い打ちをかける。母語で情報を伝え、親からのアドバイスに子が感謝の気持ちを持てることで、家庭ないのでパワーバランスが保たれるので、親への母語での情報提供は重要。
実は母語がしっかりできているのに、日本語はヘタという生徒がいるが、日本の教師が母語はしっかりできているということに気づいていないケースもある。(以下私見)母語でのボキャブラリーや表現力の豊かさを知ったら、教師の期待値は変わるだろう。期待された子は伸びる「ピグマリオン効果」だ。
中卒で立派にやってる子たちもいる。しかし、学歴なんて関係ないと言っているのは、高校、大学出た子よりも頑張った子たちである。
情報量が圧倒的に少なく、一人の成功者、例えば何ナニ高校出て就職が決まったというと、外国籍の子たちが押し寄せるという現象がある。
学校を離れるということは、日本語と離れると同じこと。小学校二年生レベルの漢字が卒後書けなくなり、資格取得もできなくなる。
外国にルーツを持つ子たちを学校は手間がかかるの受け入れたがっていない。もっとこうしたらいいとアドバイスしたら「そんなことしたらいっぱい集まってきちゃう」と言われた。
(石井)若者支援は発見・誘導・参加・出口で成り立っているが、外国にルーツを持つ若者と若年者就労支援者が出会わないのは、発見・誘導ができていないから。発見・誘導で連携が必要。ただし、僕らはティーンの外国籍の若者は不慣れなので同席して欲しい。「行ってきな」じゃなく「一緒に行こう」が大事。
以上

これは、最後のまとめでも言ったことだけど、僕は困難を抱えた若者たちを、ひと手間かければなんとでもなる子たちなので、大人たちがひと手間けけていないのが問題と言ってきた、しかし、昨日話を聞いて、すでにふた手間以上手間をかけている方々がいるのに、それでも限界がきているという事実。

そこで行き着くのが冒頭にまとめた「マジョリティーの変容が求められていると思う。しかし、マイノリティー自らが立ち上がらなければそれは始まらない」という言葉。これは高齢ひきこもりの問題にも共通する言葉だと思う。

とりあえず、今回は多くの宿題をいただいたということで、ここまでにしたいと思います。

Today's BGM is
Yellow Magic Orchestra/UC YMO
7c6031e29fa0201f22d09110YMOが好きなんです。僕の音楽との出会いは5年生の時に友人宅で聴いた「テクノポリス」の「トキオ」のボコーダーの声に心底興奮しちゃって扉が開いたんです。けっこうどっぷり浸かって聴いてた時期を超えて、今は不意に聴きたくなる程度ですが、やっぱいいなあと唸るわけです。テクノと言ってもYMOの場合は案外生弾き、或いは生打ちテクノなんで、意外と揺れがあるというのがいいのかな。東風とか細野さんの生ベースですよね?それがめっちゃファンキーで。そういうことに未だに気づいて興奮できる。凄いです。この3人が好きなんですね、僕は。


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