社会認知的キャリア理論から考える、大学生の「防衛的先送り」
大変多くの方にご覧いただき、Twitterでも多くの方の共感をいただいた前回の「防衛的先送り」をする大学生ですが、僕の意図していた社会認知的キャリア理論(以下SCCT理論)をベースとした展開に持って行く前の段階だけで相当へばっちゃって書けなかったので、今回はしっかりと理論ベースで書いてみたいと思います。
またこの間、平川克美さんの『移行期的混乱』という本から多くのインスピレーションをいただきました。
では、前回は意気込みが強過ぎて肩肘張っちゃってへばったので、今回は肩肘張らず書いてみたいと思います。
まずはSCCT理論について説明したいと思う。僕がキャリコンの資格取得のために学んだ際、一番自分に落ちてきた理論がこれ。ちなみにキャリコン資格は、二次の実技試験で見事に主訴を聴きだしてしてしまい、傾聴ができないとの理由で不合格(苦笑)。
今回、多くの方に共感をいただいてる「防衛的先送り」だけど、やはりネットでもリアルでも、僕の大学生及び高校生支援の話をすると過保護だとか、40代半ば以上の人たちを中心に「イマドキ論」になるんだけど、特に40代半ば以上の人たちには図1を見ていただきたい。
人が行動を起こす手前の部分にはいくつかの段階があるとされている。これが一瞬だったりズルズルとした逡巡だったりするんだと思う。『7つの習慣』で、コビー先生は「刺激と反応の間に人間の尊厳としての選択の自由がある」とロックンロールなことを言って、僕はちょっと感動してこちらのエントリーを書いたわけだが、「やらない自由」「戦わず受け入れちゃう自由」だって、自由な選択の結果としての反応=⑥行動目標なのだ。
では、その選択の自由はどこから来ているのかというのが、このSCCT理論で語られているものだと僕は理解している。人は⑦行動を起こす際には、③学習経験をベースにどのような行動を起こすかを検討しているわけだが、この学習経験は、①個人的要因と②社会的要因で形成されている。ここが、今の20代と40代以降では決定的な違いがある。ここで進行上しっかりと世代を分けておくと、今の30代より前を「ゼロ成長世代」、40代以降を「プラス成長世代」と、生きてきた学習経験の背景で分けるとわかりやすいかもしれない。
人は自分が思うほど自由に思考し自由に感じているわけではない。自分たちが一員であり、推し進めているひとつの時代は、同時に自分たちの思考や感じ方に強い指向性を与えている。『移行期的混乱』平川克美より。
40代以降の強い自分を自負している方々にはこのことを考えてほしい。人は生まれた時代に影響を受けて人格を形成する。
1965年の勤労者世帯実収入は65,000円。それが10年後の75年には236,000円という恐ろしい経済成長をこの国は遂げる。先人たちは「本当によく働いた」と思う。これは紛れも無い事実だが、SCCT理論的にいえば、頑張れば頑張るほど給料が上がり、生活が豊かになっていくという社会背景が、⑤の高い結果期待を生み、⑥行動目標に高いモチベーション与えていたと考えられる。世の中的には60年代の所得倍増計画という合言葉に始まり、64年の東京オリンピックで波に乗り、日本を一億総中流に押し上げ、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」というところまで日本の経済は昇り詰めた。
要するに、右肩上がりの頑張れば頑張っただけ報わる、頑張ることの結果の出る、"実感のある社会”だったわけだ。しかし、そこに経済の成長戦略があったのではなく、今の中国のような発展途上国の近代化、都市化への移行期における歴史的現象であり自然過程だったのだと平川氏は言う。それは今の景気衰退を「頑張ってないから」起きている、「経済成長戦略がないから起きている」ことではなく、民主主義社会の自然な帰結であり、今の時代も自然の過程だということでもある。
若者への批判は、そんなプラス成長時代のド真ん中を生きてきた人々及び、彼らをロールモデルとして育ってきたその子どもたち、所謂「団塊ジュニア世代」から起きているような気がする。そんな彼らの②社会的要因及び①個人的要因と、今の若者たちや、バブル崩壊を思春期で味わい、平成10年に自殺者が3万人を突破した時代を横目で眺め、大卒の有効求人倍率が1を割った今の30代を身近なロールモデルとして見てきた「ゼロ成長時代」に生きる大学生たちの社会的・個人的要因が同じはずであるわけがない。
こういう言い切られ方も、若者からすると気持の良いものではないだろうが、故にプラス成長世代の大人たちよりも、ゼロ成長時代の若者は、④自己効力感、即ち自分が何かをすればそれが成し遂げられるとは思いにくいのである。
ロースキル・ディーセントワークというエントリーにコメント付けてくれた方が、
>「まだしらないなにか」に対応する頑張りが出ない。
という言葉を残してくれたけど、まさにこういう状態だと思う。
前回提示した図2の「社会情勢」に対して大学生は立ち向かえると思えない=結果期待が低いのは、もうおわかりの通り、生きてきた時代による学習経験からあまり培われなかった自己効力感の低さであり、この結果期待の低さが、行動目標を「やらない自由」、「戦わず受け入れちゃう自由」と選択し、だったら、今この時を充実させようと考え、コンサマトリー(自己充足的)に走るのだと思う。
自己効力感を醸成する最も効果的なことは「個人的達成」である。これは困難な状況を繰り返しクリアする経験の積み重ねのことだが、もう一度図2を見てほしい。この図の中で個人的達成が得られる機会は、「漠然とした不安」を「明確な不安」に変え、「解決行動」に移し、解決、或いは自身でそのトライを評価した時だろう。
僕は、この本来大学の中で学問や学友たちとの語らいを通じて得られるるであろう経験を、大学生たちが大学以外、例えばアルバイトで「個人的達成」の獲得の代替を果たそうとしているのではないかと感じている。しかし、アルバイトは単純なサービス業が中心にならざる得ない。本来大学で4年間を掛けて育まれるべき自己効力感が得られるのだろうか?
この職業経験としてはあまりに浅いアルバイト経験から、自己の適性や興味領域を把握した気になった大学生たちが社会に出て「なんか違う」と早期離職してるのではないだろうか?そんなことすら考えてしまう。
そしてここで再び平川氏の著書より、格差社会について論じているもっともインスパイアされた一文を引用をさせていただく。
問題の本質は、社会の中流中層に位置するコアメンバーが、明日はそのコアメンバーから除外され、やがて社会のフルメンバーからも除外されるかもしれないという心理的な不安定さのなかに生きており、その心理的な不安定さが「格差という物語」を増幅させている。『移行期的混乱』より。
僕はここに「優しい関係」の根源的な心理を強いインパクト共に感じ取り、以下のようにこの文章を瞬時に再構築した。
大学生の問題の本質は、社会の中流中層に位置する大学生という連帯的な友人関係が、明日はその連帯的な友人関係から除外され、やがて社会のフルメンバーからも除外されるかもしれないという心理的な不安定さのなかに生きており、その心理的な不安定さを解消するためにコンサマトリーに大学生たちを走らせ、「防衛的先送り」を増幅させている。
皆さんはどう思われるだろうか?よく、俺らも大学にはいないで麻雀してたもんだよとか言われるのだが、この感じがそうなんだとすると、人間関係の密度が全然違うということになる。そしてこれがそうなんだろうと思わせるデータが前回のエントリーで紹介したものである。
さて、自己効力感の醸成は、上述した「個人的達成」を含め、以下の3点とされている(本当はもう一個あるんだけどしっくり来ないのでカット)。
ア.自らが成し遂げたという経験(個人的達成)
イ.誰かの経験を観察して擬似的な経験を積む(代理学習)
ウ.励ましやサポート(社会的説得)
現在、インターンシップが評価され、効果を上げているのはまさに、ア.の自らが成し遂げたという経験を学生たちがインターンシップでしているからだろう。しかし、学内でほかに何か考えられないのだろうか?これを大きなコンセプトとした取り組みを今後リサーチ出来ればと思う。
前回提案した、学生同士が支え合う居場所型共助型支援で、斜め上、或いはフラットな関係からの解決を目指せる場所を作るというコンセプトは、イ.の代理学習を念頭に置いている。代理学習は、同じような境遇や生活水準、性別等、自分に近いほど学習性が高まるとされている。イチローやジョブズの名言集を読むよりは、同世代で成功経験を積んだ先輩の話を聞くのが効果的だと思われる。
また、"連帯的な友人関係から除外される不安”に対して、知らないうちに話せる人が学内増えるということも見込めると思う。しかし、企業内のメンタルヘルス等の事例から、社内だから言えない=大学内にあるから言えないこということも起こりそうであることを考えると、支援色、福祉色を全面に出さない居場所的交流スペース、イメージ的には、学生アテンダントのいるラーニングコモンズという感じだろうか。当然ここには、ウ.の励ましの声掛けが生まれるだろう。そしてここに面白大人が定期的に現れるような仕掛けがあれば更にいい。
自分でも、まさかこれで解決するとは思っていないが、このようなことの調査研究及び、実践から大学内の4年間で一生分のキャリアを主体的にサバイブしていけるような「自己効力感」が身につくような意味のある時間にしていくことを、引き続き考えていきたいと思う。
最後に、もう一度平川氏の言葉を引用させてもらう。
問題なのは、成長戦略がないことではなく、成長しなくてもやっていけるための戦略がないことだ。『移行期的混乱』平川克美より。
僕らは古いロールモデルをぶち壊し、ニュースタンダードを見つける旅に出なければならない。そのチケットは「自己効力感」であり、そこから生まれる「希望」である。移行期的混乱を早急に抜けだすためには、成長しなくてもやっていけるニュースタンダードを見つめることである。個人的にはヒッピー的な思想だと思っているがそれはまた今度。
Today's BGM is
Dr. John/Locked Down
いったいDr.の何枚目のアルバムになるのだろうか?とにかく金を出して買ったのはリアルタイムでははじめてなんじゃないかな?それぐらいこのアルバムのタイトル曲のPVがカッコ良かった。ガンボのような陽気なセカンドラインを期待すると肩透かしを食うかもしれないが、「The Sun, Moon & Herbs」の猥雑なブゥードゥーのいかがわしさが好きならもろにハマるだろう。ブラック・キーズのギターDan Auerbachがプロデュース。こっちも強烈に気になりだした。