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2012年9月13日 (木)

学校図書館開放運動

読みやすくしたものをこちらに再アップしてありますので、こちらへどうぞ。

子どもたちの学力を支える学習資本における文化的資源を、学校がもっと子どもたちに提供するべきだと思う。特に生活困窮世帯の子どもたちが多く通う学校には、文化的シャワーを浴びせてあげれるくらいにコストを投下してほしい。例えば学校のネット環境は劣悪だが、すべての情報にアクセスさせるべき。

学校図書館法の第2条-2に、僕がイメージしてた、図書室に普通に町の人がいて生徒と交流して相談にのってる姿が実現可能だという根拠を見つけた。「学校図書館は、その目的を達成するのに支障のない限度において、一般公衆に利用させることができる」。もっと具体的に考えてみよう。

学校図書室こそが、生徒に文化的シャワーを浴びせる、もっとも適した場所であり、司書教諭のスキルや専門性の最大化を図りつつ、そこに町の面白おじさんや世話焼きおばさんが加わることで、図書室は最強のコミュニティサロンとなり、もはや総合的な学習の時間は不要になる、というのが僕の考え。

上記は9月11日に僕がツイートしたもの。こんなことを考える背景には、僕が県立高校の図書館を利用した「田奈Pass」という交流型の相談を実践していて、効果性の高さを実感できているということ。なんとか汎用モデルを作れないのかなと、考えている。

もうひとつは、最近遅ればせながら読んだ、苅谷剛彦さんの『学力と階層』から派生した周辺資料を読んでいて解明できた、学習資本には「経済的資源」と「文化的資源」が影響しているということ。

苅谷剛彦さんの『学力と階層』を読んで、学力資本には「経済的資源」と「文化的資源」があると知った。自分は後者に対する関心を近年ずっと持ってたんだけど、本田由紀さんの『学校の空気』でも「家庭の資源と学力スコア」で、文化的資源のある子たちが学力上位スコアであることがわかった。

続き。勿論文化的資源を支えるものは経済的資源なんだけど。ゼロ成長時代の限られた収入の中で、保護者たちが家庭内の何に(直接勉強につながらない文化的なものなどに)お金を使うかってことが、子どもたちの学力に大きな影響力を持っていることを、もっと自覚するべきだと思う。文化を育むって大事。

これらを総合していくと、最初にツイートしたアイデアに行き着く。大分前から考えてたんだけど、ちょっと突拍子もないし、実現可能性が低いだろうと思っていたので、傍において置いたアイデアなんですが、学校図書館法というのがあることを思い出し、ちゃんと読んでみようと思ったら、「学校図書館は、その目的を達成するのに支障のない限度において、一般公衆に利用させることができる」というのを見つけ、なんだできんじゃん!と思った次第です。

とはいえ、まだまだ突拍子もないアイデアに聞こえるでしょうし、色々なリスクを挙げて反対して来る人の言い分もだいたい想像がつきます。

そこで、今日はちゃんと整理して説明してみたいと思うのです。

まず、図書館は高校でも大学でも居場所化しています。その理由は、目的なく居てもおかしくない唯一の場所だから。自然、居場所のない、或いは居場所(かまってくれる人がいる場所)を探してる生徒が集まります。

図書館は話題の宝庫です。ネタに困らない!しかし、もっと重要なのは、ネタに困っても困らないのが図書館なのです。困ったら本に目を落とせば通常形態に戻れます。

図書館は、学校の中で唯一正解と不正解が混交している場所だし、そもそも答えなんて十人十色なんだぜって言い切れる場所です。

新しい本を一冊入荷する感じで、新しい世話焼きおじさんはいかがでしょうか?これが図書館開放運動のコンセプトです。

ただ、誰でもいいってわけではない。生徒とハレーションを起こす人物も多いでしょう。ここが難しい。なので、ここは面接があります。或いは、小学校なら図書ボランティアの方々にまず開放して、居てもらう。

あ、ここポイントです。居てくれてればいいんです。司書さんと主婦トークでもして、今晩のおかずについて話してみましょう。子どもたちは案外ダンボになって聞いてて、「私もそれ好き!」なんて言って会話に加わって来るでしょう。

そこからその子の食事の状態が見えて来るはずです。安心できる子と、心配になる子が出てくるでしょう。その心配を先生と共有するだけで、このプロジェクトは成功と言えるでしょう。

高校で考えた場合。図書館利用者ボランティアという名目で、学校に登録し、登録証を発行してもらい、それが入校のパスであり、図書館カードになればいいと思います。

また、事前に研修も受けてもらいましょう。ここは、是非僕を起用していただくことをオススメして起きますw。

学校内の通行可能なルートを予め決めたり、本を借りれる日を設定したり、細かなルールは例によって走りながら。ただ、しっかり決めておくことは、何を話しどんなアドバイスをしたのかのフィードバックをちゃんとすること。

どうでしょうか?あったらいいなな仕組みではないでしょうか?

子どもたちの学力を支える学習資本における文化的資源を、学校がもっと子どもたちに提供するべきだと思う。特に生活困窮世帯の子どもたちが多く通う学校には、文化的シャワーを浴びせてあげれるくらいにコストを投下してほしい。例えば学校のネット環境は劣悪だが、すべての情報にアクセスさせるべき。 学校図書館法の第2条-2に、僕がイメージしてた、図書室に普通に町の人がいて生徒と交流して相談にのってる姿が実現可能だという根拠を見つけた。「学校図書館は、その目的を達成するのに支障のない限度において、一般公衆に利用させることができる」。もっと具体的に考えてみよう。 学校図書室こそが、生徒に文化的シャワーを浴びせる、もっとも適した場所であり、司書教諭のスキルや専門性の最大化を図りつつ、そこに町の面白おじさんや世話焼きおばさんが加わることで、図書室は最強のコミュニティサロンとなり、もはや総合的な学習の時間は不要になる、というのが僕の考え。

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