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2012年11月4日 - 2012年11月10日の2件の記事

2012年11月 8日 (木)

【告知】保護者の支援リテラシーを上げる「保護者のためのはじめの一歩」セミナー開催致します。

保護者セミナーを開催致します。これまで一時間半の中に詰め込んできた情報を、わかりやすく二回に分け、じっくりお話をさせていただきたいと思います。NPO法人の新人教育としての参加や、教育関係者の方々にも有益な情報になっていますので、是非、ご参加をご検討下さい。

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2012年11月 4日 (日)

学校図書館を市民図書館に!生徒の自己肯定感を育む文化的シャワーは本+市民 and more!

子どもたちの学力を支えているのは学習資本だといわれています。この学習資本を持つか持たざるかが教育格差となり、ひいては経済格差になるという、貧困の連鎖の根っこになるわけです。

その学習資本には、どのような学校を選択し、塾に行けるか行けないかという教育環境に影響を与える「経済的資本」と、どのようなテレビを観て、どのような本を読むのかなど、心や感情に影響を与える「文化的資本」があるといわれています。

僕個人は、経済的資本に恵まれた家庭には育っていませんし、文化的だったかも怪しい気がします。もっといえば親が離婚したり再婚したりで転校続きだったりと、割りと劣悪な思春期を育って来ました(苦笑)。にも関わらず、僕はなんとかすくすくと育ってきました。若者支援に関わるようになり、これがどうしたことか、ずっと謎でしたが、この「文化的資本」というもので、なんとなく謎が溶けたような気がしています。

ちなみに、僕の子育てのモットーは、支援や教育と同じく「自己肯定感」の育みです。自己肯定感の芽はどうやって育まれるのか?

これは、「ポジティブな言葉のシャワー」と「文化的シャワー」です。水やりをするように挨拶をしたり励ましたり、絵本を読んであげたり家に置いておき、おもいっきり主観的ですが、良質な音楽をシャワーを浴びるように聴く。これでいい子が育たなければおかしいんじゃないかとさえ、僕は思っていますw。

そこで、僕がこのエントリーで何が言いたいかというと、文化的資本を、学校はもっと子どもたちに提供するべきだと思う。ということです。これ、言葉を変えると、「この国はもっと教育にお金を使うべきである」ということですし、「子どもたちにもっと社会的投資をするべきである」ということですが、ただ、今回ここで提案したいことは、お金をかけずにいかに子どもたちに文化的シャワーを浴びせてあげれるかという提案です。まずはこの根拠の基になる学校図書館法の第2条-2を紹介します。

「学校図書館は、その目的を達成するのに支障のない限度において、一般公衆に利用させることができる」

これは、図書室に普通に町の人がいて本を読んだり、借りていくことができる。そして貸し出しをする図書委員の生徒と町の人が「おじさんこんなの読むんだ、面白いんですか?」とか、返却時に「これ面白かったよ、お姉さんも読んでみたら?」なんていう交流が実現可能だということです。

なんかこの光景はどこかで見たことある光景なわけです。そう、僕が横浜パーソナル・サポート・サービスの相談員として行なってる、県立高校の図書館を利用した「田奈Pass」という交流型の相談です。そして僕は、このスタイルの効果性の高さを実感していて、なんとか汎用モデルを作れないのかなと、ずっと考えているわけですが、このモデルだと正直お金がかかる。そこで学校図書館を市民図書館化するアイデアなわけです。

図書館という場所がどういう場所か?

先生たちは、生徒からすると質問をすれば答えてくれる「答えを持った大人たち」です。白黒をはっきりとジャッジする人という役割もあるでしょう。その点、図書室ってグレーゾーンなんですよね。答えがどこにあるかわからないし、司書さんたちは指導的ではない(制度的にはしてはいけないんです)。

そして、今回の話のポイントになる町の大人たちも「正解を持って生きているわけじゃない」んですよね。これ、実は先生たちだって本当はそうなんだけど、正解を職業的に背負わされるんですよね。正解が理路整然と並んでいる場所に文化は生まれないんです。正解と不正解、悪と正義が入り混じるところに文化は生まれるわけです。

学校の中で文化を起こすとしたらどこか?それは図書館なんです。学校図書室こそが、生徒に文化的シャワーを浴びせる、もっとも適した場所であり、司書教諭のスキルや専門性の最大化を図りつつ、そこに町の面白おじさんや世話焼きおばさんが加わることで、図書室は最強のコミュニティサロンとなり、もはや総合的な学習の時間は不要になる、というのが僕の提案なんです。

まず、図書館は高校でも大学でも居場所化しています。その理由は、目的なく居てもおかしくない唯一の場所だから。自然、居場所のない、或いは居場所(かまってくれる人がいる場所)を探してる生徒が集まります。

図書館は話題の宝庫です。ネタに困らない!しかし、もっと重要なのは、ネタに困っても困らないのが図書館なのです。困ったら本に目を落とせば通常形態に戻れますw。

ただ、誰でもいいってわけではないでしょう。生徒とハレーションを起こす町には人物も多いでしょう(でも、本当はこういう時こそが教育機会なんですよね)。なので、ここ小学校なら図書ボランティアの方々にまず開放して居てもらう。中学、高校ならPTAさんたちがいいでしょう。

ポイントは、専門スキルを発揮するのではなく、“居てくれてればいい”ということ。司書さんと主婦トークでもして、今晩のおかずについて話してみましょう。子どもたちは案外耳をダンボにして聞いてて、「私もそれ好き!」なんて言って会話に加わって来るでしょう。

(町人)「◯◯って△△にすると美味しいよね〜」

(生徒)「え!?なにそれ〜知らなかった〜、家でやってみる〜」

これが十分、僕的には文化的シャワーです。

こんな会話からその子の食事の摂取状況や「そんなことも知らないの?」という文化レベルが見えて来るはずです。そして、お母さん目線だろうが、お父さん目線だろうが、安心できる子と、心配になる子が出てくるでしょう。その心配を先生と共有するだけで、このプロジェクトは成功と言えるでしょう。

是非、学校図書館を市民図書館化することで文化的資本力を上げ、同時にコミュニティサロン化することで、学校がコミュニティに中核を担い、子どもたちの就労・就学のサポートを勉強を教えるのではなく、文化的シャワーを浴びせることでしてみませんか?

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