2009年12月15日 (火)

若者自立塾を思う その3「これからの若者の自力支援を考える緊急フォーラム」に参加して

以下はすべての支援団体に当てはまるものではなく、僕の個人的な体験からの見解であることをお断りしておく。

Img_0775「これからの若者の自力支援を考える緊急フォーラム」に参加し、フォーラムの冒頭、宮本みち子先生の、自力塾の振り返りで、忘れていたことが走馬灯のように蘇ってきた。

宮本先生は、64万人という数字上のニートという若者たちが、実際はどんな何者なのか、当時はその実態がわからなかったと言った。

そう、わからないなか実施期間は三ヶ月が最適と判断されたのだ。

これは財務省が三ヶ月分しか予算を認めなかったからで、確か準備委員会では六ヶ月で考えていたんじゃなかったか。

ここに一つ目のズレが生じたのではないかと思う。

また、今回、実施者たちは費用対効果のカウントの仕方に疑問の声を多くあげていたが、どんな若者かわからない、実態の掴めない対象者に対して、卒塾後7割を事業目標に設定していたことになる。

これ、よくあることだろうけど、実は予算獲得のための大義名分だったんじゃないかと思うんですよ。

この仮目標的な設定がそのまま生き続けるという二つ目のズレがあったように思う。

自力塾利用者と発達障害者の関係が明確になったあの時点で、仮目標を修正し、事業目標も軌道修正するべきだったのではないか。

ちなみに僕は当時、日本で1番最初に開塾した自立塾の責任者で、開塾の半年ぐらい前からカリキュラムの構築や、地域での協力者探しなどをしていた。

その当時のNPO経営者や学者たち(すべてではないと思うが)は、ニートという若者像を「仕事をせず訓練も受けず学校にも行ってない若者」と、字面だけで受け止め、支援施設にいるひきこもり経験者と比較して「だけど外出可能で、問題がまだ比較的軽い若者たち」と、安易に読み間違えていたんじゃないかと思う。

誤算の象徴は、コミュニケーション・スキルが苦手ではあるけど、ひきこもりの対人恐怖的なものではないレベルにある状態としては軽い人たち、という、勝手な前提かもしれない。

当たり前なことだが、考えてみれば、外出しようが孤立はするのである。対人恐怖症にまでは至らないが、十分人が苦手で、支援に時間のかかる人が実際は対象となったのである。

これが三つ目のズレ。

同時に謳われていたのは、「でもって働きたくても働けない若者たち」である。

これは間違っていない。

しかし「チャンスがなかった」「時代が悪かった」だけではない複合的な理由を抱えた若者も内包していることに気付いていなかった。

ここに労働施策としてしの落とし穴ができてしまったのではないかと思う。

現に産業経済部が委託下では、労働施策では捉え切れない福祉的な課題は、声を大にしづらい雰囲気はあったように感じるし、出しても暖簾になんとかである。

当時のニートの想定をおおざっぱに振り返れば、若年無業者というピラミッドの底辺に発達障害や精神疾患を抱えた若者、そこと境界を曖昧にしながら、徐々ににひきこもりに上がってきて、そして一番上の尖んがりがニートがいた。

今でも、この説明はおおざっぱな説明としては通用するだろう。

でも、このピラミッドが上に行くほど支援がたやすいわけではないのだ。

ここに四つ目のズレがあった。

ましてや、三ヶ月で正社員にしなさいなんてのは、無茶な話しである(達成してる人たちはある意味、事業開始前の想定通りの人たちだったと言えるかも)。

どんな若者がやってくるのか、期待に胸を膨らませ、カリキュラム構築に明け暮れていた当時の僕だが、開塾してみて、それは焦りに一変した。

僕の考えていたカリキュラムでは、レベルが高すぎたのである。

僕はすぐさま、すべてのカリキュラムを見直さざる得なかった。

そう、現場は目の前に現れた若者のニーズを感じ取り、すぐさま適応せざるを得ない。そしてこれまでの考えを捨て変わった。

しかし、未だに仮目標的に立てられた大義名分のような事業成果が、実施団体に十字架のように張り付いているのである。

これで、事業仕分けで廃止宣告。

おいおいちょっと待ってくれよ。

日本生産性本部の問題(担当者来てましたね。僕も運営委員だったので複雑です)や、実施団体の品格的な問われ方もありますが、これが今回の騒動の大枠のような気がします。

どうやら別スキームに乗っけていくみたいですが、抜本的な事業の見直しの上での仕切り直しを、一関係者として求めます。

若者自立塾を思う その1
若者自立塾を思う その2


Today's BGM is
Eagles/Eagles Live
4ac55f16 ホテル・カリフォルニアというわかりやすい曲から始まるこのライブ。なんの仕掛けもなく、ほぼレコードそのままにヒット曲が惜しみなく演奏される訳ですが、それでいいんです、コーラスを含め完全再現できちゃうイーグルスのバンド力ですから。そんな中、ジョー・ウォルシュの「Life's Been Good」が、ちょっといいのである。このリンクは復活ライブだけど、やっぱ一緒なのである。楽しい。

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2009年11月17日 (火)

若者自立塾廃止に思う その2

若者自立塾が廃止という一報から、少し時間が経ち、冷静に考えてみると、五年前にニートという言葉が使われはじめたのと同時に起こった就労支援の委託バブルが弾けたのかな、なんてことを感慨深く思います。

まあ、他人事じゃないんですがね、僕んとこも。他の予算規模をみたら若年者就労支援の予算なんてかわいいもんじゃないですかねえ。

独立採算型のビジネスモデルを構築しなければダメなんですかねえ?

それも違う気がするんですよ。その場合、保護者に負担がかかる。社会の歪みとして起きているこの現象を、家庭の自己責任として処理せざる得ない形にならざるえないわけで。

高卒求人の有効求人倍率が1を割ってるわけだから、この雇用情勢じゃ、残念ながらニートは自動的に生み出され、引きこもりになるケースも増えてくと思うんです。

そんな時代を生きる若者たちをどう社会が受け止め、どう社会参加させていくのかという国家レベルでのコンセンサスの構築とか、人材育成を含めた就労支援のインフラ整備事業的な側面を捉えれば、社会的投資事業として本当に無駄なんでしょうか?

また振り出しに戻るのか?って感じです。

11月11日の事業仕分けの第二WGの報告書を読むと、ある意味、僕が言ってるようなことを踏まえた上で仕切直しましょうよ。その時には、日本生産性本部を外し、国ではなく地方がNPOと手を組んで、という内容に楽観的に見れば読めます。

まあ、楽観的に読めばですが。

なんてことを昼夜考えつつ、八ッ場ダム廃止の議論を見ていた時に感じたことが、頭の隅でこっちを見てよ、と自己主張しているのでそのことを書きます。

八ッ場の住民の方々が中止に反対してて。住民感情を無視と。

住民感情では中止反対。

そうかもしれない。

でも国民感情に立てば中止賛成。

じゃないのかなあ?

ここの住民(個人)と国民という意識の乖離というか、飛躍は、いったいなんだろうと僕は思った。

ここを繋ぐものは何かと。

ちょっと話が飛びますが、サッカーの日韓戦で体力も技術も互角なのに日本がいつも負ける(ミーハーファンの僕の印象です)、この差は何だろうと考えた場合、やっぱりナショナリズムの強さなんじゃないかなあ、と僕は思うんですよ。

まあ、僕は嫌いな言い方ですが、日の丸を背負ってみたいな。あの感覚。

日本人は、日本という国の国民であるというアイデンティティが希薄なんじゃないかなと思います。というか、歴史的な学習からそういうものを忌み嫌うような文化もあったりするわけだし。

今、日本は未曾有の経済危機に立たされているなかで、CO2の削減目標が25%だったり、ベーシックインカム等、税金と福祉の議論がされているなか、「生き方」についての選択がはじめて問われる時代がはじまったんじゃないかという実感が、ほんわかとありませんか?

僕にはあります。

僕の意思は、年寄り臭い言い方ですが、これからの若い連中の決定に従いたいなあと思っています。

まあ、話を戻すと、国民感情を一つにして、その感情を依り所として生きていける国を作っていきましょうよ、という気分なんです。それがきっと、住民から国民への飛躍なんじゃないかなあ。

僕も国民感情に立って、今回の自立塾の廃止に関して考えました。

その結論は、仕切り直し前提の廃止なら賛成。それがないなら反対です。

今日、僕が書いたようなナショナリズム的発想を危険と取る人がいるかもな、ですよね。でも、僕はロックンロールの観点から、ロックンロール・ピープルとしてものを言ってますんで悪しからず。LOVE & PEACE

Today's BGM is
The Who/My Generation
E0084981_9201360 フーが苦手なのである。なのにiPodにいっぱい入ってて、なんじゃこりゃ!と思うと大抵フーである。ウッドストックの秀樹みたいなあの感じとか、オペラみたいなドラマチックな構成が苦手なんだと思う。でもね、ドラマチックじゃないこの頃のビートバンドなフーは好きです。キース・ムーン(なんて素敵な名前だ!)の疾走感とか、ピート・タウンゼントのリズム隊としてのギター、3ピースバンドとしての最大のグルーヴを引き出していると思う。どうしてああなっちゃったのかなあ。

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2009年11月13日 (金)

若者自立塾廃止を思う その1

事業仕分けにより、若者自立塾事業が廃止になった。自立塾が始まった当時、僕は全国で真っ先に自立塾を開所した塾の副塾長であった。

三ヶ月の合宿型という期間付き支援は、毎月別れがあるわけで。がっつり寝食をともにした若者たちとの別れに何度泣いたことか…。あの頃、卒塾パーティーと呼んでいたパーティーで歌ったオリジナルの歌があるほど、入れ込んで仕事してた。ようやく、日本の支援体制が整っていくんだという実感があった。

去年は、若者自立塾のワーキンググループの委員にも就任し、三ヶ月の合宿期間をを六ヶ月に延長させる議論を延々してきていた。そんな自立塾がなくなるのは、なんとも悲しい。

あそこを旅だって、今元気にやってる連中が確実にいる。あそこがなければ未だに家で引きこもっていたであろう連中。いろんな顔が脳裏をよぎる。僕の会社には自立塾の卒塾生がアルバイトで生き生きと働いている。

まあ、費用対効果という話に尽きるのだろうが、想定利用者1200人が490人、我が国にニートは64万人いることになっているので0.1%未満。そこに3億7500万円。利用者が集まらない=ニーズがないということが最大の廃止の理由だと思う。

ここら辺の大人の無理解がそもそもの失敗なんだと言いたい。彼らに取っては、行きたくても行けない場所、或は行きたくないが行かなければ救われない場所、それが若者自立塾なんだと思う。ここに仕掛けが打てなかったのが最大の敗因だろう。

彼らに取って、この指と止まれで飛びつけないのが自立塾なのである。ただ、これは一部のマニア向けの話かもしれない。

自立塾を知っている親、当事者がどれだけいたのか?認知度テストでもしたデータはないのかな?

例えば、若者自立塾をよく知らないニート、ひきこもり支援者もいっぱいいる。それが同じ厚生労働省管轄のハローワークや若者サポートステーションの職員が、ということもざらにある。

知らないから利用しない、知らないから紹介しない。若者自立塾を運営していたとき、陸の孤島に居るような孤独感を味わったのを思い出す。

なんで厚生労働省は事業パートナーとして、アイドルでも起用してCMの一本でも打ってくれないのか?中吊り広告等のキャンペーンをしないのか?説明会を開催しても人が集まらないことがよくあったが、その度に思った。

保護者からは「もっと早く知っていれば」という声を良く聞いた。

廃止ではなく、予算を上乗せし、広報に力を入れるべきだったと思う。或は、成果の低い自立塾を閉所し、その分の予算を成果を上げている自立塾に回すという成果報酬制にし、ためらう若者を誘導するアウトリーチのスキルを共有化する。そんなことが必要だったのではないかと思う。

今後、サポステにアウトリーチ機能を持たせようという動きがあるが、どんなにアウトリーチして誘導しても、通所型の弱みである「好きなときに行けばいい」では、次回以降の継続利用は経験上あり得ない思う。やはり、アウトリーチした若者は、朝起きたらそこが支援の場であることが求められるのである。アウトリーチしなければならない人だったんだから。

あれこれきりがないが、今後、検証していきたいと思う。

NPO法人育て上げネットの理事長工藤啓氏のブログ
若者自立塾の実施団体であるNPO法人侍学園の理事長長岡氏のブログ
NPO法人教育研究所 若者自立塾宇奈月寮のみんなの日記
K2インターナショナルY-MAC岩本日記

現場の声、聞いて欲しかったです。

Today's BGM is
Ry Cooder/Paris, Texas(OST)
12779 何度聴いたことか。スライドギターに目覚めた時に、確かバイブル的に勧められたかして。『クロスロード』というサントラもありましたね。邪魔にならない、アンビエント差が心地よいんですよ。無理なく没入できるというか。録音もよくて、弦をスライドバーで擦る音、ボディーにぶつかるバーの音、揺れる弦。聴き込めるし、放っといてもくれる。ニックロウと来日中です。そのくせ映画はまだ観ていない。

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