2010年3月18日 (木)

需要と供給の狭間で売れ残った新卒者たち

今年の春、村で収穫されるキャベツは160個(就職希望高校生16万人)で、食べたがっている人は170人(求人数17万人)です。

一人一個は食べられそうですが、去年よりもキャベツを買う人たちにお金がないので、買おうと思ってる人は半分近く減ってしまいました。

どうやらテレビで聞いたリーマンショックが関係しているらしいです。

キャベツたちは食べてもらえるかちょっと心配です。

さあ、全国いっせいにスーパーの棚に並べられ、キャベツたちが売られていきます。

食べたがっていた人の中には、急にお腹が痛くなったり、用事が出来ちゃったり、お金を別のことに使ってしまった人もいて、まだ50人以上の人がキャベツを買っていません(内定率)。

売れ残っていくキャベツたちは気が気ではありません。自分をよく見せようと必死に努力しています。

食べる人たちも少ないお金をやり繰りして買うので、選ぶのには慎重です。

両手でキャベツを持ち、身の詰まった重い方がどちらか、いい色の柔らかそうなキャベツはどちらか、品定めに余念がありません。

お店の人があの手この手でキャベツを売り込みます。

そしていま、まだ30個(3万人)のキャベツが売れ残っています。このままでは豚の餌になってしまいます。

彼らはいったいどんな運命を辿るのでしょうか?

…………………………

まあ、あんまり良い例えじゃないでしょうが、いろんな問題定義が含まれているような気がします。

この場合、身の詰まった見てくれのいいキャベツを作るという生産者側(教育)の努力を考えるのか。

消費者の需要を煽る景気対策(産業=雇用)が先決なのか。

そういう需要と供給の話しになりがちですが、彼らはキャベツ(商品)ではなく人間なんだよなあ。

高校生の就職内定率、12月末時点で74.8%・「就職氷河期」よりは良好だが前年比下落率は過去最大

大学生の就職内定率 氷河期下回る 過去最低

Today's BGM is
Bob Dylan/Saved
Dylansavedcover 今、この瞬間、ディランは日本にいるんですよ。今日辺りは大阪でしょうか?僕は「そうだ、普段聴かないディランを聴こう」というキャンペーンをMixiで張ってます。誰も賛同してくれませんが(苦笑)。いろいろ聴いてますが、やっぱダメだなあと思ったのは『ディライン&デッド』ぐらいであとはやっぱいいなあ。80年代の音に食わず嫌いがあるんだけど、それを超えてくる曲の良さがあったりして。これはマッスルショールズっす。演奏がいいし、ディランもノッてる。お勧めします。

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2010年3月 2日 (火)

高卒就職者へのキャリア・アップ教育について その3 「人間の三世代モデル」とその変容

横浜のユースアドバイザー養成講座の津富先生(ラブリーな方です)の回で紹介していた、広井良典氏の著書『コミュニティを問い直す』が、非常に刺激的だったんで、『定常型社会』を続けて読んでいる。4004307333

これまで個人的に蓋をしてきた臭いものがすべて詰まったような2冊である。

しかし、案外臭くなく、食べてみたらいけるぞ、みたいな本。というか切り口がいいんだなあ。

『定常型社会』は01年の出版であり、激変する今日にあっては随分ピント外れな部分もあるのかと思いきや大間違い。

ある種の予言書とも言える内容で、今読むと、ある意味で政治的な対応の遅れを浮き彫りにしているという思わぬ効果をジワジワと発揮している。

その中にあったのがタイトル。人間のライフサイクルを「高齢者−大人−子ども」の三世代にセグメントして、社会保障のベースにする考え方。448006501609_pc_ou09_sclzzzzzzz__2

人間の特徴は高齢期が構造的に長く、さらに長寿社会が老人の時期を長身させ、高齢者のなかにも「前期高齢者」と「後期高齢者」が分けて語られるようになっている。

同時に、人間は他の生き物のようにいきなり「大人」にならないので「子ども」の時期も長い。

要するに人生を「働(納税者)」と「遊(学)」に分けると、生産性や生殖に関わらない時期が前後に長く存在する。

社会保障の基礎となる「働」のパイの減少と、前後のパイと時期の拡大が税収のバランスを崩し、これをどこから調達し、運用するかということが書かれているわけだけど、そこは置いといて(あ、また蓋をした!)。

若年者就労支援の立場から気になる指摘として。

子ども時代も高齢者同様長期化しており、「前期子ども」「後期子ども」になっているのではないかという考察。

これは、支援現場では思春期の長期化としてよく語られるテーマではあるが、税収との絡みから社会保障を問い直す中で考察されているのがなるほどである。

でもってこんなこと言っている。

「後期子ども」とは、中高、大学を経て30歳前後までを含み、「働」と「遊」の複合形態が重要になる。これは「前期高齢者」も同様。

この「働」と「遊」の複合(中間的)期がまさに、若者の自分探しの時期といえるわけで、前期高齢者にしてみれば、恐らく団塊世代の地域への再デビューのような課題が浮上しそうだ。

まあ、何が言いたいかというと、親の経済事情で早期に社会におっぽりだされる青年たちが社会との齟齬をきたすのは、当然だよなあ、という嘆息が出たという話し。

僕は、ここでもう一度言いますが、『27歳までに2回の転職で天職に就く』という「軌道修正型キャリア・プランニング」(最近考えました)をセオリー化していきたいなと、改めて思った次第です。

でもってCDAの二次試験が落ちっぱなしなのに、テキストに掲載されるという形でのコンプレックス克服をしたい!なんちゃって。

広井さんは僕と同じ40代なんですよ。あとがきに、自分の世代を分水嶺として「定常化社会」への受け止め方が真っ二つだと書いてて。

団塊の世代は「ゼロ成長なんか有り得ない」と、どうやってそんな社会にやり甲斐を見出だすんだと反発が強く、若者からは成長だけが幸せではないという意見。

自立塾の話しで書きましたが、我々は次世代を担う若者の発想にシフトしていくべきだと個人的には思うし、広井さん同様、僕ら世代から変わるんだと思う。

Today's BGM is
Trojan Box Set
41wcszy8tgl_sl500_aa240_ 朝から気分悪いので、音楽だけでもノーテンキなものをセレクトする。こういうこだわりのない音楽とうか、屈託のないというか、何かが「ない」音楽というのはいいなあ。おおらかな気持ちになれる。SKAを聴いていと、特にコーラスワークを聴くとアメリカ音楽がジャマイカンたちのトランジスタのアンテナに引っかかって誤変換を起こした音楽なんだと納得する。早く夏よ来い!

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2010年2月17日 (水)

究極の4つの幸せ

これ、何度か書いていますが、高校内でのパネルディスカッションで就職分野の専門家としてパネラーで参加するわけですが。

毎回、口火を切らされるんです(笑)

しかもその時の質問が「働くとはどのようなことか?」

意地悪問題みたいじゃないですか?

毎回僕はのっけから歯切れが悪く、忸怩たる思いをしているわけです。

思えば、この就労支援業界に10年。社会で働きだして単純に20年以上が経つわけで、もうそれなりに働いているんで、答えられて当然なんですけど…

酒の席ならねえ〜、おじさん止まらないぐらい語ると思いますよ(笑)。或いは、目の前にひとりの若者がいて「なんで働くんでしょうか?」なんて言われれば、「そりゃあおまえ…」と始まるでしょう。

それは僕個人の仕事観なんですよね〜。就職分野の専門家として、無垢な高校一年生が何百人か体育館で体育座りしているんですよ。けっこうなもんですよこれは。

でも今回はようやく、胸を張って語れるネタが仕入れられた。それがタイトルの「究極の4つの幸せ」です。ちなみにそれは、

  1. 人に愛されること
  2. 人に褒められること
  3. 人に必要とされること
  4. 人の役に立つこと

だそうです(成さんコレコレww)。でもって、「愛されること」以外は仕事で得られる幸せだと。誰が言ったんでしょうね?なるほどです。

最近、高校のキャリアガイダンスの一番最初にこの話しをしているんですが、今日もこの話しをしてきたいと思います。

フリーターには多少あるかもしれませんが、フリーターやニートと呼ばれる若者たちの不幸は、まさに2〜4を仕事から得られない点にあると思います。高齢フリーターになると、「愛される」という結婚とか家族という問題が満たしにくくなるでしょう。

僕は自殺してしまう人たちの多くはは、この4つが満たさせなかった人たちなのかと想像します。逆に満たされていたら死ぬという壮絶な選択をする理由が見つかりません。

98年以降年間自殺者が三万人を超え続けていますが、グラフを見ると一目瞭然なんですが、雇用が喪失しているんですよ。

そう考えると、仕事、働くというのは究極の自己実現なんじゃないかと思うのです。

今日はそんな話しを校長先生みたいじゃなくリアリティを持って語ってきたいと思います。

Today's BGM is
Roger Nichols & The Small Circle Of Friends/Same
Rogernichols 昨日、国立でライブを観た帰りの電車でY氏に「ロジャニコとママス&パパスは何が違うのか?」という考察を酔っ払ってしましたが、ちょっと面白いのではないかと思うのです、それ。ついでにいえば「スライと5thディメンション」でも面白いような気がします。ロジャニコでいえば、デカロなんだろうけどアンサンブルなんですよ。ママパパはバンドなんですね。同じくビートルズを取り上げてますがそのアプローチの違いなんか楽しむのはおつですよ!

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2010年2月11日 (木)

高卒就職者へのキャリア・アップ教育について その2

僕はこの発想を「軌道修正型キャリア・プランニング」とでも言おうかと考えている。ていうか、昨日思いついた。

前回その1を書いて、社内でもいろいろと話題になったり、教育関係者や若年者就労支援に携わる方々から反響をいただいた。

教育関係者の方からは、やはり教師は転職をしない人たちなので、教師にこの発想は皆無であり、キャリア・アップ自体を理解することが相当難しいという指摘がありました。ちなみに教員の採用試験に「生徒への就職指導について」などというものはないようである。

こえは外部講師である自分たちのような人間の役割だと実感すると共に、教師に賛同が得られるのかな、という不安も感じる指摘だと思う。

この不安に対して、北海道若者サポートステーションで総括コーディネーターをしていらっしゃる松田さんが、ブログを見ていろいろと意見をして下さった(ちなみにこれがファーストコンタクト。今後ともよろしくです!)。

松田さんの実践経験からの、学校内でキャリア教育を実施するにあたり、教師との連携のあり方について、以下のような現実的なアドバイスを下さった。

「建築・土木業界では、複雑かつ大規模な工事の場合はJVといって複数の企業が専門性を持ち寄って、工区を分担します。生徒の進路支援についても、基本的な人格形成から情報提供、卒業後のキャリア力(石井様が書かれていたような部分)など、さまざまな要素が絡んできます。先生は今までこれを一手に担われてきたかと思いますが、これからは、これらの専門性を持つ外部人材をコーディネートする役割、工事で言うところの現場監督を担っていただきたい」

同感だ。教師が外部講師に対して警戒心を持つのもよ〜くわかる。教師のプライドや役割を尊重しながら、どう学校内に自分たちのような社会資源を持ち込み、定着させるかが大切なのである。ここの関係が成立していなければ「非日常できっかけを作り、日常につなげる」というテーマが果たせないですかね。

僕自身もいろいろあれから考えたけど、ここでもう一度、なぜ高校生に対してキャリア・アップ教育が必要なのかを整理してみたいと思う。

  1. 三年以内に5割以上の者が離・転職を経験する。
  2. しかし、その際の手段を誰も指導していないし、教師は三年後の生徒の心配はしない。
  3. 教師はとかく終身雇用的“一生働ける会社”を探させようとするが、現在の雇用情勢で新卒者採用の求人はかなり条件が厳しい、或いは製造業に偏りが多く、生徒の興味と圧倒的にミスマッチを起こしている。その中から“一生働かなければならない会社”を探すのは精神的にかなりキツイし、そもそも18歳でそのような決断・判断ができるわけがない。
    ⇒就職諦め組が今年は3万人以上出ている。彼らはフリーター・ニートとなる(21年7月時点で19万1000人いた希望者が11月で16万人に減少)
  4. 生徒は経済的な理由で就職を希望者しており、本来的にはモラトリアムを強く要望している非積極的就職希望者である。よって彼らの閉塞感は非常に強く、希望を失っており、就労モチベーションの維持が困難。
  5. 最初の一社目は最低1年、理想は3年勤める。
  6. よって、今、人生の最終決断を下すのではなく、「27歳までに2回の転職で天職に就く」ために、働きながらキャリアを軌道修正してくという考え方を教える必要がある。

ではなぜ二回の転職なのか?

それは人事担当者が三回目の転職からを「危険」と感じ、二回目までなら気にしないからである(リクナビ調べ)。

ではなぜ27歳なのか?

それはある程度の社会経験により自己理解が進んでいる年齢であり、専門性の獲得に動き出すタイムリミット的年齢である。先程18歳で人生の決断を酷だと書いたが、27歳ではするべきである(27歳成人説とか言い出そうか(笑)。また人生を大きく左右する30代のキャリアを安定的なものにするため最終助走期間の開始であるからである。

ちなみに27歳を過ぎたらダメだというつもりはない。僕はこの業界で仕事を開始したのは31歳で、一生の仕事にしようと今のところは思っているんだし(笑)。

もう少し煮詰めたいなこれ。またまた意見をください。

Today's BGM is
Jesse Harris/Feel
2942 これの「Nobody Knows You When You're Down And Out」がさあ、全然泥臭くなくてよくて。聴き方によってはこの人は白痴みたいな。ちょっと今カバー中。有名なのはECですかね?ドミノス時代からやってて。ドミノスの時は壮絶な感じなのに、アンプラグドではほのぼの。人生は流れるんだなあと沁みます。憂歌団が「ドツボ節」と日本語でカバーしてるのもありますが、何をやっても上手くいかない男の物語なんでしょうね。僕はどの辺で歌おうかな。

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2010年1月20日 (水)

高校での就職希望者キャリア・ガイダンスに必要な三つの感じ

まとまりの悪いタイトルです…。高校生で就職希望している生徒を一言でいうと何?

高卒という言葉は卒業してから使うわけで。ま、いいや。

シェアするココロで実施している高校でのキャリア・ガイダンスのカリキュラムは、日々マイナーチェンジしながら進化してて。今、この進化をシステマティックに管理することが課題になっています。

進化しつつ、根底には3つのフィーリングを常に意識しているのですが、今日は僕の頭の整理を兼ねてご紹介したいと思います。

1.危機感:これは危機的な現状を認識させ、他人事を自分事に変える作業。ガイダンス前に進路指導の先生からお願いされる第一位がここになります。

ちなみに、ここだけを強烈に刷り込んで後は自己責任で、というのが最悪パターンだと思います。

ここは、教師とか講師とかいう問題ではなく、術を同時に教えなければ、大人として無責任だと思います。

2.納得感:自分もそうですが納得できなければ行動には移さないですよね。この時に、いかに彼らに響く言葉、エピソード、ビジュアルを使うか。

自分が教壇に立たせてもらって彼らと対峙してきた中で、例えば、常套句的な「10年後の成りたい自分のイメージ」や「正社員とフリーターの生涯賃金格差は二億円」というのは、あまり効果的ではないと感じ、使うのをやめてます。

突き詰めると、情報発信者が納得し、リアリティをもって発信しなければまず通じない。

通じたとこから響かせる作業は魂の問題だと僕は思います。ここでしっかり響いておくと、数年後のキャリア・チェンジの際にヤマビコのようにかえってくる(はず)。

だから、シェアするココロの講師は、魂入れて話せるネタを各自に仕込ませます。高校生というのは、そういうことの眼力のもっとも長けた人種だと思います。高校生を侮るなかれです。

3.効力感:納得感で行動準備に入った生徒が最終的に行動に移せた、移せないという違いになるのは、この自己効力感を持てていたかが、大きなキーポイントになると思います。ここには、本田由紀さんが言ってる労働基準法の知識等「抵抗」の部分も入り込むんだと認識しています。

また、昨今、高校生で就職を希望している生徒の大半が本当は進学したかった非積極的な就活者である現実を踏まえると、ただ術を教えただけじゃ重い腰が持ち上がることはありません。

ここで必要となってくるのが「俺にもやれるんだ」という自己効力感だと思います。

でもってここはガイダンスでどうにかなる部分じゃないんですよ。たまにできちゃうと思ってるカリスマがいますが、あるわけないじゃん。あと、そういう無茶な依頼もありますが、ダメだって。

こここそが、日常的に先生が、保護者が、地域が育てる部分なんですよ。

僕らは、データを使って彼らへの可能性を示唆しています。それが、ちょっと前に書いた「キャリア・アップ教育」の根幹になります。

今後、これらの考え方をセオリーとして固めつつ、効果性をどう測っていくかが課題ですね。

じっくり腰を据えて取り組ませてもらえる高校があれば、是非、ご連絡ください。

Today's BGM is
立川志の輔/志の輔らくごのごらく1
41akiwvxall_sl500_aa240_ BGMというのかな。前々から落語には興味があったのですが入り口がわからずに立ち往生していたら友人がこれをくれて。恐らく最良の入門編にして、スタンダードになりえるのが志の輔さんじゃないでしょうか?電車の中で笑いを堪えながら、どうでもいいとき、どうでもよくなりたいときに聴いています。昨日の「今日のダーリン」で糸井さんがテレビ的なわかりやすさと絶賛されていましたね。僕は「ハンドタオル」が好きです。先日車で聴いたら、これまたよくて。生で観たいなあ、志の輔。

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2010年1月12日 (火)

高卒就職者へのキャリア・アップ教育について その2

昨日アップした『高卒就職者へのキャリア・アップ教育について』について、早速、親しくさせていただいている高校の教師の方から熱いメールが届いた。

自分が送り出す生徒の内の大半は、必ず転職を経験をするというのに、教師にキャリア・アップという発想はまずもって持てるまい。

というのが主旨だが、多少言い過ぎたかな、などとも思っていたのでお叱りかと思いきや、まったくもってその通りだとお嘆きのご様子。

ホッとしていいのやら…。

残念ながら学校というものは、たいがいこちらの想像を下回ることが多い…いやいや失礼。

その中になるほどなと勉強させていただいたのが、工業・商業高校のような企業と学校が密接な繋がりをもっている場合、キャリア・アップという世渡り術を教えるさじ加減が難しいのではないか、というもの。

それもそうですね。自分ならどうするか?

僕ならどこまでも一般論化して語り切りますね、たぶん。そう、そういう場合にこそ客観的な外部協力者が学校という組織には必要なんだと思います。

どうぞ、弊社をご活用下さいませ。きっとお役に立ちますよ!(笑)

続けて、教師という職業興味領域というか、そもそものモチベーションがキャリア・アップとは真逆なベクトルに向いているので、そういう発想が持てないのは無理なかろうとの指摘も。

この課題に対して、僕は教師(学校)が機能拡張する必要はこれっぽっちもないと思います。

これっぽっちもは嘘ですが、速やかにというのはあまりにも非現実的です。しかし、緩やかにではますます若年者問題が深刻化するでしょう(この辺は本田さんの意見に賛同しつつへっぴり腰なのである)。

雇用創出や景気回復は政治家に任せるとして、僕ら実践者は、いや、我々市民は生活者として今のベストを尽くすべきだと思いますよ。

浅知恵ですが、僕が若者と接してきたなかでのモアベターが「高卒就職者へのキャリア・アップ教育」です。

彼らがキャリア・アップを果たす瞬間々々には、きっと更に拡充予定のサポステが役に立つことでしょう。

ベストが見つかるまでの繋ぎかもしれませんが、今はこれが、僕らが教壇から伝えられる精一杯だと思います。

また、本田さんの本で繰り返し訴えられていた「抵抗」も、ここに加えるべきだと学びました。

今年一年、実践を通し、学習を重ねながら、何らかの形にしていきたいと思います。

異論反論あるのは重々承知です。その上で謙虚にいろいろな方々と議論しながら、セオリーを固めていきたいと思いますので、ご興味のある方は是非ご連絡ください。info@sharecoro.com

Today's BGM is
大橋トリオ/PRETAPORTER
1 いいですねえ!いなかったですねえ、こういう人。新しいのに懐かしいような、それでいて何にも似てないようなタイプのアーティスト。洋楽と邦楽という分け方を鼻で笑うような突き抜け方。わりとのぺっとした歌がいいリズムに乗っかって丁度いい。日本語というウェットな語感に対して、感情移入の少ない歌い手が自分は好きなんだなと思う。細野さんとか。女性では原田知世とかつじあやのとか。これがエイベックスらしい。侮れないな。トリオはトリオにあらず。

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2010年1月11日 (月)

高卒就職者へのキャリア・アップ教育について その1

ちょっと高知(講演)と長野(講師)の仕事が煮詰まってきたんで、思っていることをまずは文章にしてみたいと思う。それがタイトルの「高校生へ在学中にキャリア・アップという考え方を指導するべきだと思う」である。

まずこの根拠は、以下の753現象にある。

高市早苗・内閣府特命担当相(青少年育成担当)は2007年6月29日、07年版「青少年の現状と施策」(青少年白書)を閣議で報告した。それによると、 03年春に卒業し就職した人の3年以内の離職率は、中卒70.4%、高卒49.3%、大卒35.7%で、「七五三現象」といわれる状態が続いていることを 示している。

僕は高校生にガイダンスしているときに「このクラスの半分は三年以内に仕事を辞めています」と伝えている。当然、辞めないで欲しいという思いを込めているわけだけど、それもどうなんだろうと考えるようになった。転職ビジネスも旺盛である。

データがないみたいだが、仮に5年で調査したらどうなっているんだろう?中卒は全滅、高卒は70%、大卒は40%とかになっている可能性は十分ある。

まあ、確実に言えることは、僕が指導している高校生は圧倒的多数がいずれ転職経験をする。

この大前提に学校は目をつぶっていないか?

終身雇用という幻想を捨てよ―産業構造変化に合った雇用システムに転換をー「日本の雇用制度を考える」研究会 座長NIRA 理事 柳川範之などを読むとを終身雇用(生涯雇用)が神話と化していることがよくわかるが、高校の進路指導の先生は、恐らく終身雇用される、或いはそうあるべきという前提に生徒に指導しているのではないかと思われる。

そもそも、教員に転職、キャリアップという価値観は存在しないし、実際問題経験値がない。

一方、文部科学省の学校基本調査によれば、現在の高校生への業界別求職状況は以下である。
Image800 これは僕が実際使っている資料だが、とにかく圧倒的に製造業からの求人が50%近く(真ん中の青)、事務や販売は年々非正規雇用に押されて減少の一途を辿っている。

生徒が魅力を感じる職業像とかけ離れているであろうことは、工業高校を卒業した僕には想像が容易である(製造業とモノ作りが似て非なるものというのが僕の実感。ここはまた書いてみたい)。特に女子の場合はキツイ。

この中から一生涯をかけて働ける会社を見つけろ、という指導はどうなんだろうと思う。「だったらフリーターでもいいからショップの店員になりたい」という生徒がいることは、これまた想像に容易い。

僕は、会社に入れば必ずやりがいがある。「フリーターで自分探しをするよりも、会社に入ってやりがい探しをするべし!」という指導をしている。そして、27歳までに適職にたどり着く足掛かりとして、三年は踏ん張れそうな会社を探そう。

そこでキャリアップという考え方である。もう一つ気になるデータとして、「転職歴は3回目から気になる」という回答が全体の36%と最も多くなっているというリクナビの行った人事担当者へのアンケート結果がある。

僕がタイトルで主張する行動目標はこうなる。

「なんとか三回の転職で、27歳までに自分らしい仕事に就こう」である。

その際の転職市場で自分の商品価値をどこまで高めておけるかに指導の的を絞るべきではないかと思う。リスクはあるが、しかし高い離職率、狭まる職業選択という実情を踏まえればこれが現実的ではないか?

本田由紀さんの『教育の職業的意義』48006523 の主張では、学校がもっと職業的教育をするべきであるということが書かれている。僕も大いに賛同するが、学校がその機能を持つまでに僕は何人の学生と対峙するのだろう?圧倒的に衰弱してしまった企業の人材育成能力の回復を待つまでに何年かかるのだろう?

これは僕が実際聞いた話だが、企業側は「卒業するまでにせめてワード・エクセルぐらいはマスターしてきて欲しい」と言い、学校の先生にそれを伝えたら「そういうことは企業が教えることなんじゃないか」とこう来る。学校と企業が人材育成をなすり合いをしているのだ。

こんなご時世である。残念ながら若者は学校側からも企業側からも適切な指導を乞う機会もないまま、労働市場に放り出され、サイバルしながら自己研鑽で職業人としての価値を上げて行くしかないのである。

そのサバイバル・スキルを僕の一時間半の講義ではなく、高校の三年間かけて教えるべきでなのであると思うのだが。シェアするココロとしては、この一年でメソッドとして固めていきたいと考えている。

ああ、一気に書いてしまった!スッキリだ!!

Today's BGM is
Willy Nelson/American Classic
265bd77b これは前も取り上げたっけ?僕はこの人には疎い。知名度の割に音を知らない人は多いのではないかしら?レオン・ラッセルとのセッションモノのバッタモンDVDを持っていてそれもすこぶる良いので、ちょっと当たりを付けたい人である。そしてこれ。僕のギター・ソロごっごのお供にすっかりなっているトミー・リピューマ制作の好盤。ノラ嬢もゲスト参加していますよ。

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2009年12月18日 (金)

校内放送でキャリア・ガイダンス

Image745 新型インフルエンザの猛威さめやらず、ついに僕にも影響が来ました。

体育館で200名を集めてやるはずだったキャリア・ガイダンスが、感染予防で集団にさせない対策が取られ、なんと校内放送で実施です。ぎゃふん。

多分、校内放送でキャリア・ガイダンスを行ったのは、僕が日本ではじめてじゃないかなあ(笑)

配布資料を虫喰いにして、集中力が切れない工夫をしたり、それなりに準備はしました。

いやあ、緊張したなあ、はじまるまでは(笑)。

なんか始まったら楽しくなってきちゃって。横に先生3名いましたが、なんかお構いなしで、ジェスチャーとかしちゃって(笑)

で、意外ですが、目の前には誰もいないんですけど、学校中がし〜んとして、生徒たちが集中して聞いてくれているのが感じれるんです!

これには関係者一同驚きで、体育館でザワザワやるより、効果高かったかもなんて。

「これからは校内放送でいきますか!?」と、盛り上がっちゃいました。

実は僕、佐野元春のFMに高校時代に憧れてて、4トラックのレコーダーでDJ(ディスクジョッキー)ごっことかしてたんですよ。

「では、四ページに行く前にここで一曲お届け」なんてしたかったなあ。

ちょっと、校内放送という盲点に可能性を見出だしちゃいました。

こういうアクシデントから、新たなものが生まれるんだと思いました。

Today's BGM is
The Penguin Cafe Orchestra/Preludes, Airs & Yodels
1e1d635926e04fbab5ac0906d83c0c07big 行ったり来たりの反復の美学である。飯を食い糞をして寝る僕らの、うんざりする程の日常という反復に潜む、ぐわ〜んと俯瞰してはじめて見える齟齬を、パターンとして抜き取り、ゆるく紡いでいる大勢のペンギンたち。マンネリこそが気づかせた些々な奇跡の瞬間をサビと呼ぼう。パターンから外れた時の、静寂に垣間見えるものは、希望なのか諦観なのか。眠れない夜に闇に埋没するために聴く音楽。

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