2011年5月15日 (日)

バイターン構想 Vol.1〜高校生のアルバイトがなくなっている〜

はじめに。家計を支えるバイトよりも人格形成のためのバイトを優先させるのか?という突っ込みに対しては、家計を支えるためのバイト優先でいいと思います。人格形成のためのバイトは教育的であるので、国の取り組みとして学校の地域活用という解釈で補助をすることで、バイトを雇いたいけど雇え切れない事業者とのマッチングをしていく、というのが僕の「バイターン」というインターンシップとバイトを合体させた中間的就労のアイデアです。バイターンについてはまた今度。

最近、高校の先生から、生徒がアルバイトに就けなくなってきている、と多く聞く。その理由は、ここ数年バイトの求人数が減ってきているうえに、失業者や失業中の方のパートナー、大学生などが、高校生のバイト市場に入ってきているからです。

「家計を支える必要もないんだし、別に高校生のバイトなんていいじゃないか」「学生は学業に専念すればいい」という意見もあると思いますが、社会に出る前のバイトってかけがえのない経験だったりしませんか?

僕自身は学校をさぼってバイトばかりしている学生でした(これは弊害w)。「勉強出来ないけど、仕事はできた」ということが、僕の人格形成にはめちゃくちゃプラスに作用したし、学校以外の仲間、特に年上の先輩たちや社員の大人たち、いわゆる最近の言い方だと“斜めの関係”から、いいこと悪いこと、いろんなことを学びました。社会をサバイブしていくスキルを身につけたのはバイトだったといい切れます。

僕が懸念しているのは、バイトのかけがえのない経験が就活の大きなアドバンテージとなる就職希望の高校生たちです。もっとセグメントを強化すると、商業、工業高校よりも就職内定率の低い普通科の就職希望生徒たちです。

彼らは職業学科の生徒たちとは違い、学校を卒業して企業で働くことを前提には教育を受けていませんし、特に進学校だと、マイノリティーである就職希望生徒に手をかけません(40分で自己PR、志望動機、筆記試験の出題傾向、心構えを教えてくれという無謀な依頼もあります)。それを補うのはアルバイトでの社会経験に他ならないと思います。
※ここを「職業的教育」で補うという本田先生はじめ、意見があると思いますし、僕もそれが理想だと思っていますが、まだまだ時期尚早です。それが実現するまでは、やはりアルバイトかと思います。

事実、「就職を決める生徒のバイト経験率は高いのか?」という僕の質問に、先生方は「データ化されていないがその傾向はある」とほぼ答えます。それを強く感じている、いわゆる底辺校の進路指導の先生たちが冒頭の「生徒がアルバイトに就けなくなってきている」という嘆きになるわけです。

以前、まじめ君たちが就活で結果を出せず、多少やんちゃな生徒の方が結果を出しているということを書きましたが、企業目線はこの2タイプをどのように評価しているのか。僕の知る先生たちはこの違いを「生活力」という言葉で表現していました。言い換えれば、こんな時代を生き抜く「タフ」さだったり、処世していく「狡猾さ」や、さまざまな出来事に折り合いをつけていく「バランス感覚」だったりするのはないかと思います。

これを学校で教えられますか?もっといえば、これらは教わるものですか?

そんなものは若いうちから知る必要はないし、それを教えるのが会社だろう。僕の内側からもそういう声が湧いてきます。しかし、そんな悠長な世の中ではないのです。

とある高校の相談員を横浜PSの事業として、毎週一回やることになりました。そんなこともあり高校生が教育的職業的体験を受けられるメリットとその仕組みについて、学校の先生とディスカッションする機会が増えています。その中で、僕がずっとやっている「アル活」の有効性も実証していきたいと考えています。

しばらくこのテーマを考えたいと思います。

Today's BGM is
Cream/Goodbye Cream
51ykcogtd0l_sl500_aa300_クラプトン好きなんで聴くのですがクラプトン関係では一番聴かないのがクリームかもw。そんな中でも比較的よく聴くのが2ndとこれかな。このアルバムとの出会いが映画『ファンダンゴ』のなかの「バッヂ」が聴きたくてだったので、そういう思い出もありで贔屓にしてます。圧倒的なライブパフォーマンスとキャッチーなスタジオワークの両方が楽しめますが、レコードだとB面ばかり聴いていましたねw。このバンドのスタジオワークはどれもぶっ飛んでます。


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2010年10月23日 (土)

ひきこもりの支援をするということについての個人的整理

内閣府の調査では70万人。
その他の調査では100万人とも言われている「ひきこもり」。

解せないですよね、「ひきこもり」って。

僕もそうでしたし、今もよくわからないまま、解せていません。

「なんで?」「どうして?」

こちら側の「?」に彼らは答えてくれません。

だから、こちらから推論を立てるんですよね、大人としては。

不登校、いじめ、怠け、甘え、親、社会変容、病気・発達障害、仕事の失敗とかが代表的でしょうか。

これらを繋ぎ合わせると、なんとなくモヤモヤが晴れます。

いろんなことをいろんな人が上記のさじ加減を変えながら、
いろんな言い方で「ひきこもり」を語ってます。

僕も職業柄で質問されるので答えはするけど、
一度もスカッと答えられたことはこの10年ないです。

解せない彼らを理解し、自分の世界から「?」を追い出したいんですよね。

この心理は、誰にでも備わったココロの安全装置だと思うんです。

僕は「なぜひきこもるのか」が解せてないというより、わかろうとする努力をある時期から積極的に怠ってきている、という感じがしています。

でも、僕の職業柄、モヤモヤを残しておくことの方が、
実は安全装置になるんじゃないかなあ、などと都合よく思っています。

立場上どうなんだという突っ込みは自分自身にありますよw。
でも、わからない怖さがないといろいろな場面で危険だなと思います。

危険に触れる機会のない人たちがわかった顔をして、
それを商売にしているんですよ。

僕が前職で、ひきこもり青年のいる家に家庭訪問をする機会を与えてもらい、
ひとつだけ言えることがあります。

彼らが最後、長年ひきこもっていた自分の部屋を出るとき、
たいていは、根が生えたようにぽつねんと座っているわけですが、

僕が長い時間語りかけたあと、彼らの両腕を抱え立ち上がるとき、
比較的ふわっと非常に軽く持ち上がることが多かったんです。

「ああ、この人は永い間、この時を待っていたんだな」と僕は感じ、
彼の閉ざされてきた人生に思いを馳せます。

そういう軽く持ち上がるようにタイミングを環境調整していくのが
支援という技術ではありますが、だいたい、その時をみんな待ってるんです。

ですから、「ひきこもり」の訪問支援を超簡略化して一文にすると
「あ、待ってたんだ、遅くなってごめんごめん。じゃあ行こうか」なんです。

もう一文付け加えるなら、
「忘れ物してたらそれはそれで、あとでなんとかしようよ」という感じでしょうか。

無言のSOSをキャッチしたレスキュー隊とでも言いましょうか。

「ひきこもり」って底なし沼みたいなもんじゃないかって思うんです。

底なし沼の脇を通りがかった人が、胸まで沈んだ人を発見します。

「なんで入っちゃったんですか?」と聞きますよね。

でも、胸まで沈んだ人は「いやあ〜…」とか、
「なんでって言うか〜…」みたいなことしか言えないんです。

「ボール取ろうとして〜…」ぐらいがかろうじて答えらしい答えかなあみたいな。

通りがかりの人は、「もう〜、しょうがないなあ〜」と言って腕まくりを始める。

僕はまったくこれです。たまたま誰も通らない道を通りがかっちゃったみたいな。
ロープ投げて引っ張ったら、苦労はしたものの案外助けられて。

なんかいいことしたなあって。
救出したとお茶でも飲みながら話すうちにいろんなこと知って。

ひょっとしてまた誰か落ちてんじゃねえかってんで行ってみたら、やだよぉ〜ってなもんで、
しょがねえってんで何をしまして、みたいな。注)ここだけ柳家小三治師匠風

そんな気がしてます。

僕の中の「ひきこもり」を支援する意味は、
社会的コスト云々ではなくここにあります。

ですから「なんでひきこもるのか?」という、
現実にひきこもっている70万人の吟味や評価は置いといて、ひきこもりを救出する仕組み。
とりわけ、救出するレスキュー隊の人材育成と確保が急務であると思うのです。

そういうことにシェアコロとして貢献できるよう動いてみたいと思っています。

最後に、中には出ない方がいい人、出る場所と出す人のミスマッチみたいなこともある
ということだけを付け加えておきます。

更に追伸を加えると。シェアコロはひきこもりやニートの予防支援を行っています。
予防支援というのは、「なんでなるの?」がわかってないとできない支援です。
「なんでなるの?」の答えは置いといて、「不登校」「(大学を含む)進路未決定」「中退」がそのリスクを高めることは事実だと思います。なので、この三点への支援を現在行なっています。

Today's BGM is
原田知世/eyja
22023公言している通り、僕の永遠のアイドルといえば原田知世さんであります。ただ、今はアイドルとしては見ておりません。アーティストとして見て、聴いています。この方は年々表現の幅というか奥行きが出てきつつ透明感を失わない稀有なアーティストだと思います。これは前作の延長線上、伊藤ゴロー色を強くした感じ。アンビエントなフワっとした音作りの中でしっかりと輪郭を持った知世さんの声。最高です。シンガー原田知世を知らない人は是非!
こちらは前作のキセルとのコラボ作品「クチナシの花」。名曲です。


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2010年5月12日 (水)

伴走支援の距離感

伴走支援という言葉をこのところよく聞く。けっこう前からあった言葉だろう、僕にもしきりに使っていた時期がある。

しきりに使っていたのは、我こそは伴走支援者という自負があったし、所属していたNPO法人のもっとも素晴らしいマインドの現れが、伴走支援だと思っていたからだ。

昨日とある会議で、ほぼ生涯に渡る伴走支援ということを話していた。

「接続」したらもうずっと。

縦割りの制度をサバイバルしていく力のない情報弱者や読み書きが苦手な人はサバイバルできずに野垂れ死にしてしまう。そんな社会じゃだめだよね。

縦割りに横串刺して、横断的に付き合い続けられる支援者とその支援者を制度的及び経済的に支援する仕組みが必要だよね。

そんな話し。

モヤイの湯浅誠さんは「路上から墓場まで」と言ってるけど、まぁそれです。

うん、いいね!と思う。けど膝をポンと叩く力が心なしか弱い。考えれば考えるほど途方もなく、浪漫を感じちゃうようなスケールなのだ。

距離感掴めませんが、やれることはやりたいと思ってます。

その会議中、あるエピソードを思い出した。以下、いろんな誤解や反論がありそうだが、自分の個人史を振り返っても妥当性はあると思うので注釈入れずに書きたいと思う(ほんとは入れてたけどぼやけるのでカットした)。

僕が若者自立塾をかなり真剣に楽しみながらやってた当時。二期目が終わった頃に同窓会が行われた。

懐かしい面々が集まり思い出話に花を咲かせ酒を呑んでいた。

慣れない手つきでお酌をし、お酌をされつつ、嬉しい報告を聞かせてくれる。先生という職業はこんなものなのかなあと思い、悪くないなあと、多分思った。

呑ながら、来ていない連中が気になりだし、あいつはどうしてる?なんて話しになる。

そういうことに頓着しないタイプもいたが、よくよく見渡すと、手土産がわりの「いい報告」を持ってる連中だけが集まってて、手土産のない連中は来ていないことがわかった。

支援者として、来れなかった連中にこそ参加してもらい、弱音の一つでも吐かせてやりたいところなのになあ、と急に白けた。

相手の気持ちをおもんぱかりすぎる彼らは、世話になった恩を仇で返すような人たちではない。

きっと手ぶらは彼らにとっては仇なんだろう。

ただ、そう何年も思ってた。

でも昨日気がついたのは、同じ釜の飯を食ったとはいえ、自分は恩を売ってしまっていたということ。

ここムズイっす。

一晩飲み明かせるテーマだと思いますが敢えていい切ってくと。

伴走支援という継続を途切れさせないための信頼関係と「恩」とかいうことではない距離感。

ここを成立させるのはどういうことなのか?

僕のような(それでも距離感はあった方だと思うが)密着型支援者と、ハローワークの窓口職員のような会いに行かなきゃ会えない支援者の間ぐらい。

それでいて…と、注文は留まらない。

この会議はそんな臭い物の蓋を開け、こそぎ出すような話しで疲れる。

疲れるが、翌日こうしてブログにしたためておくような気付きも多く、やらねばと思うのです。

リハビリと記憶の価値を高めるために、現場時代を振り返る記事を少しずつ書いていきたいと思う。

せっかくだから書いておくと、共に走る伴走支援よりも、後ろから鼓舞するようなリズムを送り続ける伴奏支援の方がいいと思うのです。

Today's BGM is
YUKI/Joy
20091129_578794YUKIはジュディマリ時代から気になるボーカリストだけど、バンドを離れソロになり一気に開放されアーティスティックになった彼女は非常に魅力的だ。バンドというフォーマットのワンパターン性から一気にエレクトリックに走りつつ、アナログ、アコースティックのバランス、特にストーンズライクなギターの入り方が好き(ここはデリコにも通じる。ていうかデフォルメしやすいんだなキース=オープンG)。歌詞の内容もドキリとしたり。気持ちよく聴けます。


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2010年3月 4日 (木)

若年無業者が困難を抱えながらも中間的な就労を実現させる手段を考える

若年無業者が困難を抱えながらも中間的な就労を実現させる手段としての在宅ワークの可能性を探る『在宅ワーク・アカデミー』というイベントを開催した(やっとすっきり説明できた気がするなあf^_^;)。

大枠はかなり赤裸々に記事にしてあるのでこちらをご覧いただき、もっと引いた視点からの話しをしてみたい。

前もって言っとくと、僕は“ほぼ肯定派”です。

なので支援者が懐疑的になるのもよ〜くわかる。

もしも自分に上司がいて「今度うちの利用者に在宅ワークをやらせるからさ。おまえ責任者ね、よろしく」なんて言われたら、「何考えてんだうちの社長は。やっとひきこもりから出てきたのにまたひきこもらすのか!?」とかって言ってたでしょうね(苦笑)。

でも、よく考えると。

これは「在宅ワーク×ひきこもり」というミスマッチではなく、「在宅ワーク×僕らの勤労観」の問題なのではないかと、昨日のアカデミィを聞いていて思っちゃったわけです。

もしもですよ。高校三年生の息子が「俺、就職しないで在宅やるわあ」と言ったらどうですか?

「ちょっと待て」ですよね(笑)

今、イチローが週に一日は在宅ワークをなんてCMやってますよね(正社員の勤務形態なのでズレますが=議論がこんがらがる一因はこれ)。

国土交通省も在宅ワークを支援しているんですが、これは通勤に伴うCO2の削減とか環境という切り口で在宅ワーク推進派なんです。その他にも厚労省とか、国をあげて推進派なんですよ。

でも実際、企業でどの程度在宅ワークを導入できているのか。それがこのデータ。

まあ、予想通りかなり苦戦しているんです。これは日本人の勤労観に在宅ワークが馴染まないのではないかなあ、と思うのです。

ざっくり言うと「在宅ワーク=サボり」というパラダイムがある。

で、この勤労観がネックになる似たものとして「ベーシック・インカム」が挙げれるのではないかと思うんです。

「働かざる者、食うべからず」という徹底的に僕らに刷り込まれた価値観が、それを飲み込もうとするんだけど、喉に引っ掛かり押し戻そうとするみたいな。

だから、「自立=会社に行く」なんですよね普通。だから自立支援というスタンスからの反発がある。

でもこの議論は既存の自立をベストとしながら、新しい自立の形である“ベター”を模索する取り組みなんですよ。ようやく僕も議論しながら咀嚼と反芻を繰り返し飲み込めてきたんですけどね。

いや、社会経験がほとんどないひきこもり経験者の在宅ワークのリスクは十分わかってて。

でもこれはカリキュラム化で越えられる壁だと思います。

何度も言いますが、これをバネに一般就労を果たすのがベストです。

今回の“中間的就労”というテーマでいうところのメインターゲットは、カリキュラムとしてはこなせるけど、その後の一般就労の道がなかなか険しいぞ、という人たち。

そんな彼らのベターな策になるものの模索であり、現状でもっとも現実的なのが在宅ワークだと僕は思います。

他のスキームの模索もし続けるべきです。行政との事業はこの辺と、その可能性が浮上しても方向転換の舵切りが難しいのがネックです。

そして(この間の本田先生的に言えば)本体が動き、なんらかの社会保障がつくまでの“命を繋ぐ”ための手段という発想が必要だと思う。

在宅ワークは目的ではなく手段であり、本当の目的は違うよね(こっちの議論の方が早急に必要)。

ただ僕も“ほぼ”なんで。後は、試しながら不安や不満を解消できればいいと思います。

Today's BGM is
小野リサ/Look To The Rainbow-Jazz Standards from L.A.-/Cheek To Cheek-Jazz Standards from RIO-
51ixfn210fl_sl500_aa240__2 一時期の流行りのせいでいったん飽きちゃってましたが、この二枚をシャッフルして最近よくBGMとして聴いています。随分、アダルトですよ~。実際アダルトになられているのですが。洗練されたAORとして十分楽しめるクオリティの高さです。コーラス・ワークがゴージャス&パーフェクトなのが好みが分かれそうな気がします。僕は昔聴いていたマンハッタン・トランスファーみたいでありかなと。僕は意外な感じでLAの方が好きです。

51ccl87intl_sl500_aa240__2

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2010年2月24日 (水)

第三回ヨコハマユースフォーラム雑感

昨日は第三回ヨコハマユースフォーラムでした。大勢の方に起こしいただき、ありがとうございました。

これまでウェブ上だけのお付き合いだった札幌サポステの松田さん、横浜のLittleRingさん、やっと会えましたね!またつながりました(^O^)/

フォーラムの内容については追ってハマトリアム・カフェで紹介させていただくとして、僕の雑感を。

昨日、あのパネルディスカッションの列に、しかも僕の隣に本田先生がいたというのは非常に刺激でした。22なぜか笑顔の私。

僕が横からチラミしたのと本田先生の発言をつなぎ合わせると、本田先生はメモ魔で図フェチで自虐的だということがわかりました(笑)

本田先生が自嘲しながら何度も「ホンタイ」という言葉を使っていました。

それは文脈により、学校であり企業だったり、自治体であり政府であるわけですが、研究者として、問題の糸口を手繰れば必然的に辿り着くテーマなわけで、そこを熱心に考え憤っている。

研究者としてピュアな方だなあと印象を持ちましたし、大局的な視点の高さと、等身大の憂いにはリスペクトです。

現場は現場で目の前の若者たちの今と未来を真剣に考えていると、強く感じました。

まあ、いつもOA(オンザアルコール)でもOFFA(オフザアルコール)でもあんな話しをしているのですが。今度、OAパネルディスカッション(OAPD)っていう夢の企画を実現させたいですね(笑)

僕は、現場に現れていない大多数の若者に対して思いを馳せるようになってきています。

何度か書いてますが、64万人のニートのうち、施設利用しているのは恐らく4万人に満たないのです。僕の仮設の裏付けとして本田先生の調査で、支援情報を持つニートは全体の0.2%だと言ってましたね(質問しそびれましたが、ちょっと少な過ぎのようなリアリティあるような。母数が何か知りたい)。

何が言いたいかというと、みんながバラバラな対象に思いを寄せ取り組みをしていながら、みんながひとつのフィールドの上で切磋琢磨しながら協力関係にある(本田先生は前日もK2でフィールドワークをされていたそうです!)。

この状態をさらに進め、横浜の、各法人の強味にしていくことの可能性には、ちょっと他では考えにくいことがまさに起きそうな手応えがありました。

終了後、いつも意見交換させていただいている高校の先生と、これまたやっと酒を酌み交わす機会も持てました!出会いの数だけ呑みがある。ちょっと飲み過ぎだなあ今週…。出会わなくても呑んでいるんだよなあ(みつを風)

みなさま、今後ともご指導ご鞭撻、ご協力よろしくお願いいたします。

Today's BGM is
チャットモンチー/告白
4108121642_2福生の図書館にたまたまあった前作の「生命力」。子供達用に借りてきたら見事はまって。車での移動中はほぼチャットモンチーに…。徐々にはまっちゃって今度はこれ。変拍子が気持ちいい「シャングリラ」(子供に変拍子を理解させるには絶好の曲)のようなキラー・チューンはないのかもですが、アルバムとしてこっちの方がいいです。女子のトリオって頼りない気がするじゃないですか?頼りないんですよ。でもリズムアレンジでカバーしてたり、小手先感がキュート(ライブを観るとテクニックあります。行きたい!)。ひょっとすると女子高生が背伸びするとカバー出来るぐらいのハードル設定にプロデュースされているのでは?とおじさんは思うのです。程よく可愛い三人組!いつもより長いなあ((´∀`*))ヶラヶラ

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2010年2月21日 (日)

社会資源の偏りとその秘密

極めて当たり前なことなのかもしれないが、若者を支援している人とか、そういう団体は、手の掛かるしんどいなユーザーに引っ張られる傾向を持っているようである。

実はこれ、教師にも当てはまると藤原和博氏も指摘していて。その指摘の仕方がわかりやすかったのでうっすらと引用してみると。

五段階評価で生徒をセグメントしたとすると、教師が気になるのは、1や2の生徒であり、どうやらそういう生徒が可愛いのだそうだ。

そういう情はなんとなくというか、よくわかる。

次いで気になるのは3の生徒を4、4の生徒を5にすることだと。ハイエンドな5の生徒が1番ほっとかれて塾任せになっているが、実は経済的に塾にいけない子がいるので、藤原氏は夜スペでハイエンドの生徒を更に伸ばす取り組みをした(賛否両論ありましたがこの説明は納得がいきます)。

支援者と教師は、なんとなく別の人種のように感じてしまいがちだが、ソーシャルな共通領域にいることを改めて感じさせるエピソードである。

さて、下の図を見てほしい。これはA〜Eという社会資源が理想的に配置されているという図である。緩やかな階段が居場所的支援から徐々に就労を強く意識した支援につながっていることを表している。

Image903

ちなみに今回話題にしているのは、私的な法人ではなく、公的な機関及び公的な資金で運営されている公的なミッションで活動する機関についてである(シェアコロの運営するハマトリアム・カフェもこれ)。

私的な法人は自らのミッションをまっとうするために我が道をいってほしい。

今度はこちらの図を見てほしい。全国的にだと思うが、どうも支援機関が社会的に求められた立ち位置よりも随分と居場所、或いは個別カウンセリングよりにシフトした支援メニューで運営されているように感じるのである。

Image904

これにより、本来緩やかな階段をステップアップできるように配置された社会資源が、どこも緩やかな定着支援や居場所支援、カウンセリングを中心にすることとなり、社会資源としての差別化がなくなってきている(実際は各々特徴的であるがマニアックなジャンル分けに過ぎない)。

これにより、就労を強く打ち出した社会資源が手薄になり、ステップアップしたいユーザーが立ち往生してしまっている。いきなりハローワークは無理!みたいな。或いはギャップが大きすぎ、そこにポッカリと落ちてしまうユーザーが出ているのではないか。

現場がニーズを感じ、徐々にシフトしたのだろうが、本来担うべきポジションよりも随分と前に、かなり無理して支援して、そこに二年、三年通い続けている若者がいるというケースを耳にするたびに、どうしてこんな風になってしまったのか考えてしまうのだが、その答えが冒頭の支援者、いや、ソーシャルな領域で仕事をする人たちの性のようなものなのかと思い当たったのである。

しかし、支援者個人がそのような嗜好を持つのは悪いとは思わないが、団体や施設が本来担うべき役割、社会的ミッションを蔑ろにしてシフトしてしまうのはおかしいと思うのである。

もうひとつ縦割り行政の弊害がもろに出ているケースも見受けられる。根っこの省や部が違うことで起きているかぶりもあるのだ。Aという社会資源があるにも関わらず、知ってか知らずがBという社会資源が別の部署から立ち上がると。こういうのはどんどん事業仕分けで整理されていくのでしょうが。

最後にもうひとつ。それがこの図。要するに、ローエンドユーザーほどリファー(他団体への紹介誘導)が困難なのである(それにしても字が汚い。写真を転送をする手間を考えればパワポで作っちゃえばよかったなあ)。

Image905

一度関係を(彼ら的には相当!)苦労して築いたら、新たな関係をゼロから構築しようとは思わないのだ。

誰にも話したくない秘密の話しを、わかってくれる保証のない人間にもう一度しなくてはならないのだから、その気持ちはちょっと想像力を使えばよくわかるだろう。なので彼らはファーストコンタクトした施設に定着する傾向を持っている。

そもそも、このボタンの掛け違いをなくすためのアセスメント、つまり本人を理解するための最低限の聞き取りではなく、どの団体に行くことがベストなのかを、いったんその団体の職員という立場から離れ、俯瞰的に社会資源の照合を行うためのアセスメントが各機関で出来上がっていないことが課題なのではないかと思う。

これは、僕が最近、いろいろなところで語るようにしている「出口非未決定型アウトリーチ」と理念は一緒である。

最後に言うまでもないが、理想的なネットワーキングを表にしてみた。

Image906

例えば、BにAが対象しているような若者が現れたら、BがそのサービスをA側に拡大するのではなくAにリファーすればいいのだ。コアコンピタンスという経営用語がある。意味は「競合他社を圧倒的に上まわるレベルの能力」「競合他社に真似できない核となる能力」ということだが、こういうことをもっと意識しあわないと社会資源としての価値がなくなることを、理解すべきだと思う。

Today's BGM is
John Coltrane/The John Coltrane Quartet Plays
Coltrane_qurtet_plays 苦手だったアルバムが急に聴けるようになることってありませんか?僕はこれ、という後期のコルトレーン。たいがい何かナビゲーションとなる音楽との出会いがそうさせているのだと思いますが、僕の場合はマイケル・ブレッカーがコルトレーンへの理解に導いたような感じがしています。それにしてもベースが二人ですよ!ひとりはギコギコ、一人がブインブイン!エルビンの拡散するドラム。カオス一歩手前でコルトレーンが境界を手探りしている。そんなアルバムです。

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2010年1月28日 (木)

ネットワークの難しさについて考える その2

この間は、少しネットワークについてネガティブなことを書いてしまったので、少しポジティブな話を書こう。

僕らの若年者就労支援業界の現場の方々が集まると、何らかのアイスブレイクがあると、ふっと言葉を超えた繋がれる感覚があるんです。

僕は、わりとブレイクできない質なんですが、あれはなんかほっとしますね。

それは、教育の現場に行った時もたまにあって、「おっしゃる通り」と共感することの方が多い。

見ず知らずの方々が、同じ課題、悩みを抱え、同じ希望を持ちながら仕事してんだなと、ホントに救われる。

あ、↑今書いたここだな、と思うのです。

入口と出口はだいたい一緒なんだと。つまり、大変な状況の人を見たらなんとかしてあげたいと思い、この人が社会に出て自分の人生を歩んで欲しいなと当たり前なことをみんな思うんだ。

ここ。大枠は一緒でフワッと繋がれる部分なんです。

これがひと度、ケース・カンファレンス的(個人への対応=入口出口で言えばの中)になってくると、良い方にも悪い方にも、大分様相が変わってきます。まあ、こういう機会を持てる支援者は正直少ないと思いますが。

要するに手法や理念なんかの話に入ると、「そんなもんほっときゃいいのになあ」とか、「それくらいの融通は効かせてあげなきゃ」とか、「あんたは保護者かよ」とか、いろいろ〜な突っ込みが出て来るわけですよ。だいたい僕が思うことはこんなことです(笑)

「あぁ、この人の施設は一度見に行かなきゃな」とかも思いますが、注意したいのは「あぁ、この人のところにはリファーしたくないなあ」とかの方。

この考えが駄目なんですね。この時点で思考が停止し、可能性を失っています。

昨日のタイトルで実は言いたかったのはこれ(やっと辿り着けた〜)。

Q:ネットワークは理念を超えられるのか?

A:顔見知りにはなるけど、やはり超えるのは難しそう。

Q:超える必要があるのでしょうか?

A:ないのでは?

ネットワークを広げるには、超えるのではなく、異質な理念を自らの幅や多用性として受容していかないと駄目だと思います。

その際の感覚として重要なのはスペシャリスト的なものではなくジェネラリスト的な感覚だと思います。

そして利己的ではなく利他的に考えること。

まずは机上の議論から離れ、リソース開拓を足を使ってするべきではないか?

自分の施設の利用者に紹介できる運営がなされているのか、自分の目で確かめるべきだと思う。

ハマトリアム・カフェで取り上げたコラムがあります。B8e2bdace0859dbdf074745a4ec5043a

これ、ちょっと舞台裏を明かすと、NPO法人ユースポート横濱が運営する通所型支援施設「よこはまサポートステーション」のスタッフの岡本さんが、NPO法人ヒューマンフェローシップの運営する宿泊型支援施設である若者自立塾を見学に行った際に出した、お礼状のような感想を記したメールだったんです。

僕もCCに入れてもらっていて、その文章をワクワクしながら読みはじめ、終わった時にはハマトリアム・カフェへの掲載を企画してました。

岡本さんの素直で忌憚のない感想に触れ、こういうことが本当に大事だよなあと思いました。

きっと岡本さんが、ワールドカフェでいうところの旅人になり、自立塾についてサポステ・スタッフに語ることでしょう。

このことで岡本さん、いや、ユースポート横濱に足を運んだ若者の可能性の幅が、きっと少し広がったと思います。

こういうことの繰り返し何だと思います。どこかに集めて「ネットワークを作ろう!」ではダメなんです。

Today's BGM is
Galactic/ya-ka-may
Galactic_yakamay_albumcover 萩原健太のブログで紹介されててすごく気になっていたら職場にあった。新し物好きのBig-Oが持ってた、さすがである。できる男になったものである。アラン・トゥーサンだと!でも、ニューオリンズというイメージをどう捉えているかが問われるアルバムのような気がする。僕は正直面食らって今聴いているよ。Dr.John、Metersですからね僕のは。少しずつ聴き込んで点を線で結んでいくと面白いかも。

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2010年1月26日 (火)

ネットワークの難しさについて考える

今、内閣府の『子ども・若者支援推進法』が、ネットワーク在りきでできているせいか、ネットワークの必要性がいろんなところで言われてます。

ていうかず〜っと前から言われてるんだけど、行政の縦割りや政治しかり、派閥はできるが理想郷のようにはどうもならないみたいです。この機会でなるのかな?

特にネットワーキングが困難だと感じるのは、団体の規模公民に関わらず、以下の三つのタイプの団体だと僕は思います(多少の偏向もあると思います)。

1.他人の力を借りるという発想がないオールマイティ型(別名:お山の大将型⇒ワンストップを標榜する際に実は陥りやすい)

2.他人がいるということを知らない無知型(別名:組織的学習障害型⇒小さなカリスマ理事長がいたりする)

3.自分のところの理念を頑なに貫き通したい正解はこの世にひとつ型(別名:神様型)

これらがネットワーク形成を阻害しているんだと思います。

1と3は、他人の力量を評価していない点で共通していますが、力量を評価する基準がないのも問題なのかもしれませんね。

非常にデリケートな問題ですが、ネットワーク形成の際にはクリアーしていかなければならない問題かもしれませんね。

例えば、現場スタッフの平均勤続年数を公表するとか、スタッフ研修や育成プログラム、保有資格を公表するとか。要するに透明性を確保している団体にはリファーしやすいと。

ちなみに僕はネットワークで解決する問題は実はそう多くはないのかも、なんて感じてます。

誰かと誰かが仲良くなったからってそう簡単にマッチングは図れないですからね。

ただ、その確率をあげる努力はしようよ、という意味で僕はネットワーキング推進派「シェアするココロ」です。

でもってネットワークができていても(言い換えれば会合にちゃんと出ていて)もですよ、自分のとこでやることやったけど結果が出ない、やることやっちゃったら危険そうだ、という若者を自団体で引っ張り続けてて(事故はこういう時に起こる)、しかもネットワーク内に、より相応しいリソースを持つ支援団体がいながらリファーをしないのは、上記1〜3の場合だと思います。

また、1〜3は要素として併せ持つ場合が多いようにも思います。

しかしまた、1と3は多少なりとも持ってないと気概というか、踏ん張りのきかない、たらい回し拠点に成り兼ねません。地域若者サポートステーションの拡充等、業界の成熟に見合わないインフラが行われる過渡期に出現しやすいので注意が必要だと思います。いかに過渡期を短縮させるか!

踏ん張っていいのか、駄目なのかを見立てるのがスタッフの力量であり、ネットワーキングが業界全体の踏ん張り力を上げるわけですが、今回の内閣府の政策でネットワーキングが進むのでしょうか。

しましょう、しましょう、じゃ駄目なんだということに気付き、メスを入れる時期なのではないでしょうか?

昔、このブログに書いたワンダーウォール・プロジェクトは一つのきっかけになりえると未だに思っていますよ僕は(笑)

Today's BGM is
Ben Harper & The Innocent Criminals/Lifeline
Benharperandtheinnocentcriminalslif この人に何を求めているのか多少評価が変わりそうだが、このアルバムは本当にいいなあと思う。音楽しているっていう、生っぽい演奏している感じが凄いリアルに伝わってくる。録音がいいのかなあ。確かツアー中にフランスかなんかで一発録りしたとか。バンドとしての一体感を押させたドキュメンタリー的な臨場感があるのかな。スライドが控えめになっていくのにはデレク・トラックスの登場とかがあり、ボーカルに力が入っているのかなとか深読みする。ルーツ好きにはお勧めです。

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